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女医の妊娠・出産体験記~出産編~

こんにちは。精神科女医のyumeです。
前回は、女医の妊娠・出産体験記の妊娠期編を書きました。

(前回の記事はこちら↓)



今回は、出産編について書いて行こうと思います。
出産のリアルな経験談になるので、苦手な人は読み飛ばしていただいて大丈夫です(^^;

分娩第一期~思ったのと違った陣痛、逃せないいきみ~

前回の記事でも書いていたのですが、私は妊娠後期に切迫早産になり、1か月ほど薬物療法と自宅安静を余儀なくされましたが、なんとか正期産まで生まれることなく、臨月に突入できました。
自宅安静の反動もあって、臨月に入ってからは積極的に動いていました。散歩や買い物、ランチに行ったり、マタニティヨガやストレッチをしたり。できたら予定日前に産みたいなあと思っていました。

そんなふうに過ごしていた予定日前のある日、出血がありました。特に腹痛はなかったのですが、念のため受診したところ、分娩第一期が始まっているかもとのこと。
陣痛もなかったので実感がないま入院となり、ベッドでストレッチをしていたところ、なんとなく下腹部が痛いような気がしてきました。普段の生理痛よりも全然軽かったので、これは陣痛なのかわからず様子を見ていたのですが、数十分あけてまた痛みが。さっきよりも少し強いような。そしてまた感覚をあけて痛みが。ちょっとずつちょっとずつ、しかし確実に強くなっていっている。まだ全然耐えられるくらいでしたが、10分間隔になったので助産師さんにコールし、分娩待機室へ。

徐々に強くなる陣痛に、しだいに「う”ぅ”~」と声を出さなければ耐えられないようになり、そのたびに助産師さんが来て腰をさすってくれました。これほんとに痛み和らぎます。そして共感しながらさすってくれることが更に助けになっていました。

(ちなみにテニスボールでお尻の穴を押すと痛みが和らぐと言われていますが、私の場合それをやると気持ち悪くなり吐きそうになりました。そういう人もいると参考までに。)

そうやっているうちに、陣痛感覚がどんどん短くなって、あれ?気づいたらもう3~4分になってるんだけど・・・・
早くない?
まだ10分間隔になってから4時間も経ってないぞ?
初産だと半日くらいかかるって国試で習ったけど??

そんなこんな考えてるうちに痛みが耐えられないくらいになり、助産師さんに抱えられながら分娩台へ。

なんとか分娩台に上がった瞬間、一気に気持ち悪くなり嘔吐。
そして破水。
そっからは、もう必死
無理です。耐えられません。本当に。
痛すぎます。叫ばずにはいられません。

「もう嫌だー!」「無理ー!」「助けてー!」と何度叫んだことか。
そのたびに助産師さんが腰をさすってくれて励ましてくれました。
ほんと救われた・・・助産師さん神。
もし一人だったら、多分耐えられなかったと思います。

そして私が一番苦戦したのが、いきみ逃しです。
子宮口が全開大になるまではいきんではいけないのですが、私の場合8㎝ぐらいまでは早かったのですが、そこからなかなか進まず、赤ちゃんの頭が出てきそうな感じが何度も押し寄せ、いきみたくなっていました。私の場合はテニスボールも逆効果なので、上手く逃せず、力んでしまって、肛門のあたりが激痛でした。分娩台の柵に必死でしがみついて「いきみたい~!」と声を出しながら耐えていたという感じです。今振り返ってもこの時間が一番辛かったと思います


分娩第2期~限界の向こう側は達成感~

なんとか全開大に達し、「いきんでいいよー!」と助産師さんからOKサインが。いきみ逃しから解放され、ちょっと楽になりました。
あとは助産師さんの掛け声に合わせて、自然に任せていきむだけ。
余計なことは考えず、言われた通りにいきむことに集中。
いきむ方が全然楽でした。(もちろん痛いけど)

そして何回繰り返したのかよく覚えていませんが、気づいたら産婦人科の先生が来て、会陰切開をしてくれて、「はい、次で産まれるよー!」と言われ。
え!まだ心の準備が!
と思ったけど早く会いたいと思ったので、最後のひといきみ。

そして・・・

「おめでとうございます~!」
ベビー誕生。

やった・・・。
産んだよ・・・。母になったよ・・・。

限界突破した先には、ベビーに会えたという達成感が待っていたのでした。


分娩第3期~ベビーと対面、幸せな時間~

ベビーが生まれた直後にお顔を見たけど、「あれ?自分の子かしら?」というのが率直な感想。
私にも夫にもそんなに似ていない。(あとで見たらパーツパーツは似ているのだが)
ので、実感がわかず。

その後、胎盤がするするっと出て。第3期終了。これにて分娩終了。お疲れさま自分。

そして、体重測ったり、お臍の処置したりして、ベビーが落ち着いたところでカンガルーケアをさせてもらいました。

多幸感・・・。
なんてかわいいの・・・。((ノェ`*)っ))タシタシ

普段こんな絵文字なんて使わないのですが、この時の感情をリアルに表現するために使ってみました(笑)

ずっとこうしていたいーって思ったけど、ベビーのケアもあったので、しばしお別れ。

私も経過観察のため分娩室で休憩。
出産をやりきったという達成感と、ベビーに会えた多幸感でいっぱいでした。


産後の入院生活~マタニティーブルーを経験~

産後は助産師さんたちがとても気遣ってくれました。
出産当日は痛みで動けないので、ほとんどベッド上で、ゆっくりさせてもらいました。

ベビーが処置を終えて帰ってきたので、抱っこ。
かわいい~(/ω\)
いつまでも眺めていられる我が子。

・・・と思ったのですが、そんな時間は長くは続かず、そこからは授乳、授乳、授乳。

我が子は正期産で適正体重内ではありましたが体が少し小さめであったため、他の子よりも哺乳力が弱く、なかなかうまく吸うことができませんでした。

始めのうちは、「小さく生まれたから仕方ない、体重が増えるまでの辛抱」と考えて前向きにトライしていました。しかし周りの子はほとんど3000g越え、我が子が一番小さい。授乳室ではみんな問題なく飲んでいるのに、我が子だけが上手く吸えなくて泣き叫んでいる。

そんな姿に、なんだか申し訳なくなって、悲しくなってきました。
産後2日目の夜、涙があふれてきて、一人で泣いていました。

これがマタニティーブルーか。

頭では現状を理解して受け入れられるのに、感情がコントロールできない。
ホルモン変化には敵わないと身に染みて感じました。

夫に電話して話を聞いてもらって、少し落ち着きましたが、次の日は目が腫れて顔がひどすぎたので、助産師さんにお願いして午前中は赤ちゃんを預かってもらいました。私が出産した病院の助産師さんは本当に親切で寄り添ってくれて、疲れたときにはいつでも赤ちゃんを預かってくれて、搾乳のお手伝いや授乳の練習に何度も付き合ってくれました。そのおかげで徐々に我が子も上手く飲めるようになってきて、そのたびに褒めてくれ、私のメンタルも落ち着いていきました。

この時無理しなくてよかったなあと今でも思います。

0歳から1~2歳頃までは、お母さん赤ちゃんとの絆を結ぶ大切な時期です。
この時期に自分のメンタルが不調であった場合、この絆が上手く形成されないこともあります。

だからこそ産後はできるだけ無理しないほうがいいと私は思います。

この時期を周りに頼りながら乗り切ったおかげで、今本当に幸せな気持ちで我が子と接することができています。

私も以前そうでしたが、女医は医者という立場上、自分で判断し、その責任や重圧に一人で耐えてきた人たちです。だからこそ周囲に助けてと言えない、言ってはいけないと思っている人が多い印象を受けます。

もし出産を控えた女医さんや産後しんどい女医さんがいたら、決して無理せず、周りを頼ってほしいなと思います。


女医が出産してみて~周産期医療スタッフへの感謝の気持ちが強くなった~

最後に、女医の出産体験記、ということなので、女医ならではの目線で出産の感想を書いて行きたいと思います。

一言でいうと、産婦人科の先生、小児科の先生、助産師さん、看護師さんをはじめ、周産期医療に関わってくれたスタッフ皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

私は学生・研修医時代、産婦人科医や小児科医に興味があった時期がありました。しかし、勉強や研修をしてみて、自分には無理だと思い、進路には選びませんでした。

その理由は、24時間昼夜問わない救急対応力が必要な科だと感じたからです。十分な睡眠時間が取れない中で手術やお産、新生児の処置をしなければいけないのは、自分の体力、メンタルでは無理だと。特に地方では産科・小児科医の数が本当に少なく、産科医は隔日で当直、小児科医は一人科長で365日オンコールしていたという話も聞きます。(今は改善されてきたところもありますが)

だからこそ、先生たちや助産師さんたちには本当に感謝です。
自分の出産でも、こんな時間に・・・という時間に先生に対応していだきましたし、夜間の授乳も助産師さんは嫌な顔ひとつせず快くサポートしてくれました。
自分には決してできないことをやってくれる皆様がいるおかげで、私は我が子に出会うことができ、今、本当に幸せです。周産期医療を支えてくださるスタッフの皆様に、心から感謝しています。

私もいつか、周産期医療に精神科医として関わることができたらいいなと思いました。


ということで、今回は女医の妊娠・出産体験記~出産編~について書いてみました。
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ではまた。

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