周司あきら・高井ゆと里「トランスジェンダー入門」批判(3) 美山みどり

第1章 トランスジェンダーとは?
第2章 性別移行
第3章 差別
第4章 医療と健康
第5章 法律
終りに

第3章 差別

今年6月のLGBT理解増進法を巡るゴタゴタの中で、野党案の名称であった「LGBT差別禁止法」が、与党案側の「理解増進」に代わったことに、活動家は激怒している状況なのですが、この法案審議とこれを巡るネットの上での言論でも、

差別って具体的なんだ?

と法案反対派が詰めよっても、野党案支持の法案賛成派が具体的な「差別」の内容を上げられない、また「そういう質問自体が差別だ!」と「ノーディベート」方針で議論を回避することで、LGBT活動家に対する国民の信用が地に堕ちたことは記憶に新しいです。

公的場面(行政・医療機関・金融機関)での差別

では、具体的に「トランスジェンダーへの差別」の実態はどうなのでしょう?

たまたま私はこの問題にかなり正確に答えることができるのです。私は特例法が成立したことを受けて、2004年に社会生活を女性側に移行しましたが、手術を受けて戸籍を変えたのは、2020年です。つまり、約15年間、戸籍上の性別と名前も男名前のままで使っていましたが、見た目の女性というジェンダーと、女名前の通名で社会生活を送ってきました。

この15年間の生活の結論がこうです。見かけのジェンダーと戸籍の性別(と男名前)の食い違いを指摘されても「性同一性障害です」と言うだけで、

・役所などで困ったことになったことはない(不在者投票も何度もやってます)
・病院などで恥ずかしい目にあったことはない(会社の健康診断でも、別室での着替えなどの配慮を頂いてます)
・銀行など金融機関で困ったことはない(この間に相続の関連で金融機関との折衝が必要でしたが、問題になったことはありません)

と一般に社会でイメージされる「差別」にはまったくあったことがないのです。言いかえると「公的な場面での差別はない」と断言してもいいとまで考えています。実は「性同一性障害」という言葉を普及させた「性同一性障害特例法」こそが、トランス差別解消法であり、その成果はしっかりと社会に定着しているのです。

逆にこの本で、

例えば2015年の米国の調査では、回答者のうち医療関係者と関わることになったトランスの人の3分の1(33%)が、トランスジェンダーであることを理由にハラスメントを受けたり治療を拒否されたりしています。(略)これは日本でも起きている現実です。2019年に実施された日本の調査では、トランス女性MtFの51.2%、トランス男性FtMの38.8%が、「体調不良でも医療機関にいくことを我慢した経験がある」と回答していました。

p.140

…いや、これこの本の印象操作がアカラサマに出ている部分なので、特に指摘しますが、前段の話はアメリカの例です。確かにアメリカでは、トランス差別が原因で医療へのアクセスが困難な状況が現実にあります。キリスト教からくるトランス差別はアメリカでは根強いものがあるのですね。しかし、後段の日本の調査では「医療機関に行きづらかった」経験の話です。初めての医療機関に行く場合に不安になるのは当然の話です。「不安に思った」ことが「差別」になるのでしょうか?いや、行ってみればいいのです。そこで「差別的な扱い」を受けたら、本当に「差別」ですから、許すべきではありません。

私の印象で語れば、医療機関ではこれが「病気」に関わる話だから、という側面もあって、よく事情を理解してもらえる、というのが普通です。最初の問診票などに「ウソ」を書くとかは大目に見てほしいですが、実際の診察などで打ち明けても、急に態度が変わるなどの目にあうことはほとんどない、と言ってもいいでしょう。医療機関でのトランスジェンダー問題というのは、当事者が思う以上にしっかりと考えられているのです。

逆に問いましょう。引用部分のような印象操作によって、実際にトランス当事者が「医療機関に行くのが怖い」と感じてしまい、行かずに健康を損ねたら、この本の著者はどう責任を取るのでしょうか?

医療機関では恥ずかしいこと・困ったことになることはまずありません。受診をためらわないでください。

就職などでの差別

就職差別はないとはいえないでしょう。もちろんこれは企業採用側の問題ですが、現実問題として「不採用の理由を、応募者に明かすことはない」という原則から、本当にトランスが原因で就職できなかったのかは、活動団体などが出すレポートの数字は割り引いて考える方がいいでしょう。

実際、私は特例法の制定当時、今から20年前の話ですが、大学在学中にトランスした方が、新卒で大企業への就職をしたのを複数見ています。在学トランスで新卒ならば、ほとんどの場合で問題があるとは思いがたいです。また、すでに戸籍を変えているのであれば、そもそもカミングアウトの必要もありません。

私はトランス後にIT業界で働いて、一時は完全にフリーで仕事をしていたこともありますが、その間でも一度たりとも就業を拒まれた経験はありません。トランス後20年の職歴の中で、ある程度のご配慮を勤務先からいただきはしましたが、特に問題を感じたこともありません。

もちろんこれには、IT業界という「個人主義」「実力主義」で、個人の性格や協調性をあまり問わない業界という特質が影響していますから、それに助けられているということは実感します。しかし、そういう「腕一本」の業界はいくつもあります。本気でトランスするなら、この現実はしっかりと心得て人生設計をするのがいいことでしょう。
私は、特例法なぞ想像の埒外だった子供の頃から「いつかは性別を変えたい」と思っていましたから、技術を習得して個人単位で生きていけるように「手に職をつける」ことを最初から目指していました。しっかりとした人生設計を考えずに、トランスするのはそもそも無謀というものではありませんか? 技術や資格がトランスの生き方を大きく決定づけるのならば、「パス度」以上にそちらを真剣に捉えるべきでしょう。

しかし、この本では、

日本で2022年に実施された ReBit の調査では、1年以内に就職・転職をしたトランスの若者の75,6%が採用選考時に困難やハラスメントを経験したとされています。

p.95

この調査でも、子細にみたらi一番回答として多い「履歴書に性別記載が必須で困った(60.34%)」とか2番目に多い「スーツやバッグなどを購入する困難(46.55%)」など、「そりゃ困難には違いないが?」と、いわゆる「差別」とは少しズレた回答が多いのですね。さらに言えば、「希望伝えらえれず、性自認と異なるトイレ等設備を使用(12.07%)」「希望を伝えたが、希望のトイレ等設備の使用不可(1.72%)」ならば、就職差別はされずに就職に成功し、その後に起きた問題だ、ということ、さらに「戸籍の性別」が変わっていない状況ですから、一般論としてトイレなどの性別で区分されたスペースの利用について、無理を押し通すのは厳しいのは当然ではないでしょうか?やはり周囲の同僚たちの理解を一歩づつ得て、信頼されたあとに、それからトイレの利用などを実現するように、地道にやっていくほかないと考えます。

もう一つ言えば、この調査でさえ「困ったことなし(10.34%)」と、1割の人が「なにも困らなかった」と報告しています。この回答は他の回答と重複するわけがありませんから、最低でも1割のトランス当事者は、就業に「なにも困らない」という現実が見えてきます。必ずしも「トランス差別」が社会に蔓延して逃れ難いわけではなく、うまくやれば大した障害にもならずに回避できる可能性が見えているのです。

この調査は「LGBTの就業支援のため」になされた調査ですから、もちろん活動家寄りの調査であることは間違いありません。そもそもの回答でも、全体数も n=95 で、一般的な結論を引き出すには少なすぎますから、どれほどの信頼性があるのかも不明な調査でしかありません。我田引水の結果だとするのは酷かもしれませんが、それでもこのような結果が出てしまうのです。

もちろん就職については、当事者としての不安心理もありますし、またその応募者個人の状況に依存する部分も多々あります。トランス当事者が精神的に不安定になっている時期ならば、やはり就職活動もうまくいかないでしょう。

しかし、この1割の方が「何も問題がない」としていることの向こう側に、明るい光が見えませんか?今や「差別」を声高に叫ぶことではなく、トランスの就職を改善するには、トランスがしっかり就職して、社会に貢献していくこと、こちらの方が大事なのではないのでしょうか?
私たちの未来は、やはり私たちの日常の延長線の上にあります。私たちが日々仕事に精励し、周囲からの信頼を得、自らが幸せになることを通じて、若いトランスの方の未来も作っているのだ、と思うべきでしょう。

「ノンパス差別」

見てきたように、この本が主張する「トランス差別」にはかなり強い印象操作が付きまとっています。現在、トータルで見て「トランス差別」は解消の方向に向かっています。「法律で簡単に解消可能な差別」など、見当たらないというのが本当のところでしょう。

もちろん子供の間での「女っぽいオトコ」への揶揄や、男性の間での「男らしさ」のマウンティングなど、トランス当事者が傷つく場面はいくらでもあります。また、親からしてみれば、子供のトランスは「親の理想」を傷つけると思ってしまうのは仕方のないことですし、また「親の都合」をご破算にしてしまうケースだってあるでしょう。

しかし、このような問題を法律を作ることで解消できますか?

このような問題を「差別!」と糾弾して解決することができますか?

活動家の「差別解消」は、「活動家のための活動」でしかないのではないのでしょうか。

それよりも、この本が触れていない重大な「差別」の話があります。

少なくとも「希望する性別」の側で「通る(パスする)」トランスの場合には、ほとんど「差別」というほどの問題はないのです。そうでない場合、厳しい言い方をすれば「見かけがおかしい人」の問題は、たしかに別にあるのです。これは「トランス差別」とは別に「ノンパス差別」と呼ぶべき問題なのではないのでしょうか。

これはその人が、見た目の印象から「そうあるべき」であるジェンダー表現と、実際に取られているジェンダー表現とが一致しないことによる「差別」です。ジェンダー表現の「食い違い」ですから、目立ちますし、さらに揶揄の対象にもなりがちです。GIDの場合には「パスする」ことが最大の関心事ですから、それに全力を傾けますし、事実「パス」に成功するケースも多いわけです。しかし、いわゆる「トランスジェンダー」の場合には、「パスに関心がない」「パスしたくない」という「思想」や感情が先に立つ方も含まれます。

「職場の服装は自由」だとしても、セーラー服をどう見てもオジサンな方が来て出社されたら困ります。女装がまるっきりミエミエな方がレジ打ちするのは、やはりお客に敬遠されますから、お店としては困ります。これは「差別」なのでしょうか。バックヤードに回されるのは「適材適所」なのではないのでしょうか?

職場はあなたのジェンダーに関するパフォーマンスの場ではありません。それこそ男女区別のない制服がある職場の方が、見た目の問題を抱えたトランスの場合には、問題も少ないではないのでしょうか。「スカートをはいて仕事をしたい」と強引に押し込もうとするから、職場で拒絶されるのではないのでしょうか?

アタリマエですが、性別移行は「自分がしたい服装をする」ということではないのです。TPOに合わせた服装ができないのならば、そもそも社会人としては失格です。オートガイネフィリアの場合には、「女装による性的興奮」が目的なのですが、これと職業生活が両立すると思うのがそもそもの誤りなのではないのでしょうか。会社はイメクラではありませんよ。社会の固定観念に挑戦するのならば、不利益は自分で全部引き受ける気概があってのことでしょう。

「男女雇用機会均等法」によって、職場での男女差別はそもそも禁止されています。今では履歴書の性別欄が削除される時代でもあります。中性的なパンツスーツで応募するのならそれでよし。無理して似合わないスカートをはいて就職面接をする意味なんてありません。さらに言えば、仕事は仕事、プライベートは無関係。これが今の普通の考え方なのではないのでしょうか。

逆に「似合わないジェンダー表現」をする人に対して、「似合わない」「おかしい」「気持ち悪い」という声がかけられるのならば、なぜそこまでこだわるのでしょうか?私は実はそれが不思議なのです。「古臭いジェンダー規範」にこだわっているのは、実は強引にスカートで仕事をしたがる「トランス女性」の側なのではないのでしょうか?
女性の服装・生き方は多様ですし、男性の多様性も徐々に一般化しつつあります。そうしてみれば、トランスジェンダーの方が「無理して古臭いジェンダー規範に自分を押し込もう」として、そのやり方があまりに自分勝手なために、周囲の理解が得られないことの方が多いのではありませんか?
もちろんジェンダー規範の縛りが緩くなれば、それに越したことはないのですが、「自由」になればなるほどに、個々人の「ジェンダーと個性の表現」の「格差」だって広がります。その「自由な世界」で勝ち抜くのは「思い込みのジェンダー表現」ではなく、まさに自分の個性を生かし、自分の良さを発揮する「ファッション」であると私は考えるのです。

私などは、そもそもジェンダーの狭間に落ち込んで生まれているようなものです。「自分に似合った格好ができる」のが、移行先の性別の方なのです。「生きやすい方」を自分で選んでいる、という自負が私にはありますから、わざわざ「生きにくい生き方」をあえて選ぶ気持ちがよくわかりません。

第4章 医療と健康

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