小説:ドーナツ、サルトル、サーターアンダギー(666文字)
カルガモの対義語は乳液だと言ってきかないブルドーザー伯爵。
常に叫びを聞くのは、あるところのものではなくあらぬところのもの、の仕業だと分かる。地下茎がまた伸びる。
ドーナツに穴があることは、ないことがあることであり、存在性の思春期を意味している。ドーナツの存在はその背中に非存在の銃口を突きつけられており、いつ食べられてもよいという覚悟に満ちている。
覚悟とは無縁のサーターアンダギー。サーターアンダギーは爆発前の太陽であり、常に神聖な営みの結晶だった。サーターアンダギーは覚悟を必要としない。常にそして既にサーターアンダギーはサーターアンダギーであり、カットレタスではないし、ましてやアメリカンショートヘアーでもない。たとえフロントホックのカテゴリーに隣接していたとしても。
84世紀の大衆哲学者、ゼクスウントフュンフツィヒカイトの著書『睡眠と強制存在』に書かれたことをダイヤの乱れに乗じて書き写す。
パンに炎を塗って、あるところのものではなくあらぬところのもの、が食べる。あるところのものではなくあらぬところのもの、は間接的に喜び、空も飛べるはず、と言ってきかない。
そうして知った痛みをいまだに僕は覚えている、と反証可能性が首をもたげ、あるところのものではなくあらぬところのもの、がまた世界の外へと分泌される。
いつもありがとうございます、とガンジス川に祈るフリーメイソンの一行。もはや食べきれないほどのオーロラ。
生きることに殺される。
生きることに殺される。
それは喜劇だね。
そのように書き記して、彼は靴紐を結び直す。
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