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小説:狐

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『狐』 ジブラルタル峻 作 2024年2月6日、30投稿にて完結。
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2024年1月の記事一覧

小説:狐015「絵刀飛地先生」(556文字)

「いらっしゃいませ」  マスターが珍しく丁寧な挨拶をする。  女性客二人。見慣れない客だ。キョロキョロと店内を見回して、カウンターから割と遠い距離にある丸テーブルに座る。その様を見てスミさんが 「初めてだな」  と私にだけつぶやく。私もそう思うと伝える。『狐』は何しろウェブの地図には掲載されていないし、もちろん地上にも看板など出していない。偶然発見したところで地下二階のこの扉を初見で開けるには勇気が要るだろう。あるいは何らかの精神的な力や覚悟、明確な目的が。  赤いセルフレー

小説:狐016「ファン」(638文字)

「まぁそんなことはどうでもいいけど」  絵刀飛地(漫画家としての名)ことエロウさん(この『狐』での呼称)は渡された自著にマジックペンでさらさらっとサインを書きつつ喋る。 「よくここにいるってわかったねー。それに女だってことも知ってたね?」 「はいあのえーとワタシ絵刀先生の作品ずっとずっと好きで好き過ぎて先生のことネットで調べまくったりしてまして……」  極端に早口だ。その高揚感が伝わってくる。 「すごいね、あなた。ほとんどウェブに情報出してないはずだけど」  スミさんが声をひ

小説:狐017「シンジさん」(621文字)

「マスター、久しぶりー。カルーアちょうだい」  その声を聞いてマニさんが分厚い本から視線を上げる。 「シンジさんじゃないですか」 「やあマニさん、みんな! あとそっちのお嬢さんたちは新顔だねー」  シンジさんはいつも外向的だ。ハンチング帽を被っている。年齢的にはスミさんよりも上だと思う。年金暮らしで旅行が趣味らしい。それ以上のことは知らない。その点では常連客の中ではかなり疎遠な方だと言える。  お嬢さんたち、と呼ばれた二人の“非”常連客は軽く会釈をする。赤いセルフレームメガネ

小説:狐018「怪談とマニさん」(545文字)

「フン! くだらないですよ」  シンジさんが帰ったのをいいことに、マニさんが顔をしかめて語る。 「陀田トンネルに限らず、だいたいの心霊スポットなら、“いないはずの女性の叫び声が聞こえる”なんて、よくある話じゃないですか。これは知っているとか知らないとかそういうレベルの案件じゃありませんよ!」  マニさんが感情を露わにする。“陀田トンネルでは、いないはずの女性の叫び声が聞こえるという噂がある”というところまで押さえていなかった自分に腹を立てているのだろうか? 彼は知性、いや知識

小説:狐019「マニさんの述懐」(706文字)

「……小学生の頃、いじめられていた、と思います。身体が弱くて、運動もまるでダメ。足も遅すぎる……  おまけに、人前では緊張して言いたいことも言えない、そういう少年でした」  今のマニさんからは想像出来ない。 「そんなとき、『地球一周エクストリームクイズ』っていうテレビ番組を見たんです。知っていますか? バブル期の特番です。密かに復活を祈っているわけですが、このご時世、難しいようですね。  知識自慢の猛者たちが己の知力で、南北アメリカ大陸を、アフリカを、ユーラシアを、旅していく

小説:狐020「本当の怖さ」(708文字)

「シンジさんの話だけどさぁ」  エロウさんがレッドアイを飲みつつ喋る。 「定食屋のエピソードのほうが怖かったな。アタシにとっては」  シンジさんとしてはどうでもいい話だったのだろうが、確かに気になる。だいたいこんな話だった。  *  その定食屋に入るシンジさん。常連と思しき中年男性が一人、カウンターで肉野菜炒め定食を食べている。彼がシンジさんに語りかける。 中年男性「あんた、見慣れないねえ。東京から来た? あ、そう。あのね、新しい時代に入ってるからね」 シンジさん「新し

小説:狐021「ヘチマ」(972文字)

「ウリ科の一年草。インド原産です。ちなみにヘチマという和名は、まあ諸説ありますが、漢字の糸瓜に由来します。いとうり。これが縮んで、“とうり”。このと、は、いろはにほへ“と”ちりぬるを、で分かるように“へとちの間”にありますよね。だからヘチマ。この説が有力ですね。  ちなみに、ヘチマの花言葉は“悠々自適”で……」  その後もマニさんの蘊蓄は続いた。私は2杯目のビールに突入していた。球体の氷がカラリと音を立てた。  一通り喋り終えてスッキリするマニさん。そこでエロウさんが、 「

小説:狐022「リスティーさん01」(857文字)

「リスティー先生、こんばんは!」  そう切り出したのはアーマーさんだった。 「ハイ。こんばんは、アーマー先生。ハイ」  とリスティーさんがにこやかに応じる。  先生? アーマーさんも先生なのか? 互いが互いを先生と呼んでいる? 「ハイ、皆さん。最近痩せたと思いませんか? ええ、アーマー先生にいわゆるパーソナルトレーニングを施してもらってます」  と笑みを浮かべるリスティーさん。ハイ、という口癖が今日も気になる。聞いている側としては無くてもいいものだが、話者としては必要なバッフ

小説:狐023「リスティーさん02」(908文字)

「ハイ。いいですか? まずですね、人はランダムな行動の総体なんです。  “自分のことは自分が1番分かっていて、自分を自分がきっちり制御している”  多くの人はこのように思っていますが、それは誤りです。  この得体の知れない“自分”の中を分析していきましょう。するとどうでしょう?  ハイ。カオスです。カオスなんですよね」  ここでリスティーさんはライムサワーを飲む。なぜかライムサワーである。アルコールを知り始めた大学生が飲みがちなものとしてのライムサワー。あるいは、とりあえず

小説:狐024「ボウリング」(1006文字)

 ゴロゴロゴロゴロー…… ガッシャーン! 「っしゃー! ストライク!! どんなもんだぁ」  スミさんに誘われボーリング場に来てみた。平日の夜なのでかなり空いている。大学生風の男女混合グループが一組。一番端のレーンには一人で黙々と投げ込んでいる男性ボウラーがいる。 ……先日の『狐』にて。スミさんが、 「久々にボウリングしてえなあ。今度みんなで行ってみねぇか?」  と思いつきで発言する。それに快諾したのが私と意外にもヒトエさんだった。  ヒトエさんは、スミさんとハイタッチし

小説:狐025「ポジション」(883文字)

 珍しく会社の飲み会があり、それを経て『狐』に来た。いつものカウンターに腰掛けていつもの球状の氷が浮かんだビールを飲む。  後ろでは既にいつもの調子で方向感のない議論が巻き起こっていた。 「譲れないね。鶏の唐揚げだよ」  とスミさん。 「いやー。サードは春巻きに決まりですって」  とタロウさん。  サード? 三塁?  スミさんが少し大きな声を出す。 「だからさぁ、セカンドがたこわさびでショートが枝豆なのは一致したよなぁ! ならサードは鳥唐で決まりだろ?」 「決まらないです!

小説:狐026「たこ、いか」(1026文字)

「で、結局のところたこですよね、たこわさびって。わさびではなくたこ。たこがメインでわさびがサブと。メイン→サブの順」  タロウさんがハイボールを飲みながら身振り手振りを交えて力説する。  すかさず、スミさんが、 「それがどうしたんだ? タコわさうめぇよな。おいらの大好物! それだけだな。  あ、思い出した。昔ラズマタズってバンドあったけど、あれの愛称はラズマタ、だったよな。ズだけ略すんだ。一文字だけ縮めるってところがミソでな。タコわさもそういうこった」  と言い放つ。 「