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小説:狐015「絵刀飛地先生」(556文字)

「いらっしゃいませ」
 マスターが珍しく丁寧な挨拶をする。
 女性客二人。見慣れない客だ。キョロキョロと店内を見回して、カウンターから割と遠い距離にある丸テーブルに座る。その様を見てスミさんが
「初めてだな」
 と私にだけつぶやく。私もそう思うと伝える。『狐』は何しろウェブの地図には掲載されていないし、もちろん地上にも看板など出していない。偶然発見したところで地下二階のこの扉を初見で開けるには勇気が要るだろう。あるいは何らかの精神的な力や覚悟、明確な目的が。
 赤いセルフレームの女性が大切そうに本を取り出し、また店内を見回す。
 その様子に反応したのはエロウさんだった。
「あ、それあたしの新刊」と彼女の持っている本を指す。タイトルが見える。『肉しょくパラダイス3』。エロウさんがその手の漫画家だと言うのは知っているが、改めて刺激的だ。エロウさんの外見・プロポーションそのものが煽情的であり、こんな人が官能的な漫画を生み出しているという事実に。
「絵刀飛地(えとうとびち)さん、です、ね? やったー!! あの、サ、サ、サインしてください」
「あのね、“と”びちって(笑)。
 と、にアクセント置かないよ。とびち、って平板だから。“ちくわ”とか、“ひらめ”とかと同じね」
「あっ、ごめんなさい。ずっと、“と”びちって言ってました」

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