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小説:狐017「シンジさん」(621文字)

「マスター、久しぶりー。カルーアちょうだい」
 その声を聞いてマニさんが分厚い本から視線を上げる。
「シンジさんじゃないですか」
「やあマニさん、みんな! あとそっちのお嬢さんたちは新顔だねー」
 シンジさんはいつも外向的だ。ハンチング帽を被っている。年齢的にはスミさんよりも上だと思う。年金暮らしで旅行が趣味らしい。それ以上のことは知らない。その点では常連客の中ではかなり疎遠な方だと言える。
 お嬢さんたち、と呼ばれた二人の“非”常連客は軽く会釈をする。赤いセルフレームメガネの彼女はあわてて漫画本肉しょくパラダイス3をカバンにしまう。

「いや、しかしさあ。昨日まで、ダダトンネルに行ってきたんだけどさ、面白かったねー」
 ダダトンネル? 聞いたことがない。聞き手の知識レベルに配慮する人とそうでない人というのがいるとするならば、シンジさんは完全に後者だ。
 こんな時、『狐』の面々は決まってマニさんのほうを向く。待ってましたとばかりに語り出す。
「霊峰富士の北北東に位置するトンネルですよね。ダダは陀田と書きます」
 文庫版サイズのノートにさらっと書いて示す。
「心霊スポットであり、かつパワースポット。ミュージシャンにして心霊研究家の池口大名いけぐちだいみょうは1999年に亡くなりましたけど、彼がテレビでよく紹介してました」
「流石、マニさんよく知ってんなー。でな、今日はマニさんも知らない情報持ってきたんだよ」とシンジさんは顔をほころばせる。

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