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小説:狐

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『狐』 ジブラルタル峻 作 2024年2月6日、30投稿にて完結。
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小説『狐』のセルフライナーノーツあるいは創作を巡って

 先月のことにはなりますが『狐』なる小説を書き終えました。上のマガジンにまとめています。  この記事ではこれについて語り散らします。想定読者は、 私自身 (もし万が一こちらの作品を読んでくれている方がいるのであれば)その方 セルフライナーノーツ的な、作者あとがき的な文章そのものを読むのが好きな方 ということになろうかと思います。  一素人がこんなかたちで語るなんて…… と卑屈にならないこともないのですが、やりたいのでやります。やらせてください。 だいたいどんな内容だ

小説:狐001「マスターの声」(363文字)

 地下二階。いつものように『狐』の門を叩く。別に叩かなくてもいいのだか、私は叩くことにしている。右手で拳を作り、中指の第二関節を木の板に三度弾ませる。社会人一年目のマナー研修で、ノック二回はトイレノックだから良くない、と習ったことを毎度思い出すのであった。  扉を押し開く。ギギギギギ。 「ぅいらっしゃっ」  マスターはこちらを振り向かずに声を発する。彼特有のイントネーションが薄暗い店内に響きわたる。その「ぅいらっしゃっ」は誰のためでもなく私のためだけの挨拶なのである。そういう

小説:狐002「ビール」(444文字)

 いつものカウンターに座り、「いつもの」と注文する。いつものカウンターというのは、店の最も奥のカウンター席で、マスターから見ると一番右手に当たる。「いつもの」注文というのは、野球のボール程の氷ひとつが浮かんだ中ジョッキビールのことだ。白い小皿でアーモンドも添えられている。これは毎回出るわけではない。振舞われる日もあれば、そうではない日もある。別の何かの場合だってある。今のところ、そこに法則性は見出せない。マスターの気まぐれならそれはそれで良かろう。ただこのまま通い詰めてその法

小説:狐003「スミさんとマニさん」(733文字)

「水で薄まったビールなんか美味くねえだろうよ。それになあ、ビールはそこまで冷やして飲むもんじゃねえんだ、ナリさんよお。日本人だけだろ、キンキンに冷やして飲むってのは」  美味しいか否かというのは個人の味覚に因るものであって……という話をスミさんにしても意味がないことを私は知っている。それに、まるで自分が日本人ではないかのような物言いだ。あるいはスミさんって実は日本人じゃないのかな。  別席で静観していたマニさんが口を開く。 「とりわけ夏、温暖湿潤気候の日本ではやはりキンキンに

小説:狐004「スミさん」(472文字)

 この『狐』は常連客が大半だ。それぞれがそれぞれを何となく認識しており、愛称で呼び合う。愛称なのか蔑称なのか微妙な人もいるが。  スミさんについては私とほぼ同時期にこの店に来るようになっていて、いわば同期といったところだろうか。本名がスミさんなのか、または、一番スミの丸テーブルの席を取りがちだからなのか、身体のどこかに入れズミが入っているからなのか、あるいはそれらのミックスなのか、そのあたりははっきりしない。詳しい年齢も分からないが、私より年上なのは間違いなさそうだ。髪を短く

小説:狐005「古びたジャージ」(576文字)

「カズミちゃんだって暇じゃないですよ。そう都合良く来るはずないですから」  マニさんが分かったような、知ったようなことを言って諭そうとする。スミさんは口を尖らせて下を向く。明らかにマニさんのほうが若いだろうに、スミさんよりも大人びた物言いだ。いやマニさんは元々少し背伸びしたことを言おうとしがちで、それに加えてどこかスミさんのことを下に見ているふしがある。  確かにスミさんはいつもお決まりの古びたジャージを来ているし、言動もがさつだ。外見やふるまいから、品格のようなものを感じ

小説:狐006「前衛芸術」(647文字)

 仕事で信じられないミスをして落ち込んだ日の『狐』にて。 「ナリさんよぉ。病人みてーな顔すんなや。人生なんてあっという間だぞ。悩む暇があんなら笑えや。苦しむ暇があんなら踊れよ」  スミさんはそう言って、ぎこちなくも陽気な盆踊りに似たステップを踏んでみせた。それは盆踊りとは明らかに異なるふるまいで、憤怒と歓喜を同時に表現したような前衛芸術を思わせるものではあるものの、決して前衛芸術などではなかった。その狂気を存分に吸い込んだ珍奇さと滑稽さに満ちた舞いは、私の胸に突き刺さり、心の

小説:狐007「ヒトエさんとタロウさん」(830文字)

「ナスは闇でしょ」  ひときわ大きな声が響いた。その声の主はタロウさんだ。 「いや、どう考えても光属性じゃない?」  そう応じるのは、ヒトエさん。 「またお前らか。ったく仲がいいねえ」  とスミさん。  タロウさんは日本最高ランクの大学を目指す浪人生だ。『多浪』中らしいので、みんなからタロウさんと呼ばれる。ただ『狐』にちょくちょく来ているところを見ると、合格には程遠いのではないかと思われる。本人も実は本気ではないのかもしれない。  ライターの仕事をしていて何とかそれで暮らせ

小説:狐008「エロウさん」(693文字)

 また私は来た。いや帰ってきたのかもしれない、この『狐』に。ここもまた私の家であり、巣なのだから。 「コミコングの客がガンガン書き込みするからじゃないかな」  エロウさんが喋っている。 「でもどうだろう。上の階だよね。そんなことで表示されなくなんのか」  アーマーさんは太い腕を組む。  いきさつは分からないのだが、『狐』はインターネット上の地図に表示されない。都内でも有数の大都市、それも駅近に店を構えてはいるのだが。その表示されないことを議論しているようだ。  エロウさん

小説:狐009「来店客」(998文字)

 開きつつある扉。誰だろうか? 時刻は、20:45。あらゆる可能性が押し寄せる。  スミさん説 「おう! ナリさん。調子はどうだ? お、今日は飲みもんにタコワサついてくんのか! おいら好物なんだよなあ。マスターいつものー」  きっとこんな調子だろう。尚、このたこわさびは私が注文したものであって、自動的についてくるものではない。  マニさん説 「ナリさんこんばんは。先日学園祭で来場者参加型のクイズ大会やっていましてね、優勝してきました」  だいたいそんな感じだろう。はい。よ

小説:狐010「狐と狼」(831文字)

 リスト化コンサルタントのリスティーさん。小気味のよいトーク力でテレビのコメンテーターとしても活躍中だ。  挨拶と紹介(という名の営業)で顔を出しただけらしく、すぐに帰っていった。  本とチラシを私たちに手渡してから。  エロウさんがその新書のタイトルを指差して、 「『とにかくリスト化しなさい』だってさ〜、あはははは」  と冷笑する。 「馬鹿にすんな。まあまあ売れてるみたいだよ、前作の『全てをリスト化しなさい』。社会が求めてるんじゃね」  とアーマーさん。  エロウさんはレ

小説:狐011「狼のリスト」(959文字)

「これ、マズイだろ?」  リスティーさんとすれ違いでやってきたスミさんが目を丸くする。 「あのさぁ、『狼』ってさぁ。西宿駅地下東口のバーだろ? あのコンサル、勘違いしたな?」  スミさんの言う通りだと思う。リスティーさんがみんなに配ったチラシの冒頭には、 “これで明快!『狼』の常連客リスト (『狼』の皆様が楽しむためだけにお使いください)” とある。 “・バルさん:アドバルーンのように誇張した話しをする。ただし中身は無い。ネクタイが派手。ピン芸人をやりつつ、テレアポの仕

小説:狐012「名詞の性」(1210文字)

「走る、は男性かなー」  ダークマターの研究者・ヒトエさんが言い放つ。黒いハイネックのニットを着ている。 「まあ、ちょっと偏りがあるような気もするけど、うん、まあ、男性でいいと思う」  と多浪中のタロウさんが受ける。ウーロンハイに口をつける。 「じゃあ、歩く、は?」 「歩く、は、中性じゃないかな?」 「中性は無しって言ったじゃん」 「あ、そっか。うーん、どちらかというと女性かな」 「そうしておこうか。じゃあ、待つ、は?」  さっぱり何のことか分からない。宇宙物理学を突き詰め

小説:狐013「臨時休業」(982文字)

 月曜日、『狐』へと続く階段を降りようとしたところ、スミさんが肩を落として戻ってくる。 「おう、ナリさん。臨休だ。別んとこ行こか」  毎週火曜日と第五水曜日が定休日。それ以外にも休業することが年に数回程度ある。マスターだって人だ。休みたい日もあるのだろう。  とは言え、ほぼ毎晩独りカウンターに立つ彼は鉄人級で、誰もが敬服している。  スミさんの言うままにやって来たのは、大衆的な居酒屋チェーン店『つぼ民』だった。 「ナリさん、来たことあるか?」との問いかけに、無いと答えた。