うんこの絵と没後に認められる画家たち
例えばここに6つのうんこの絵があったとする。
①伝統素材と100年以上前からある歴史ある手法 によって描かれたうんこ。
②ダビンチの描いたうんこ。
③著名な美術館に作品が収納されている現代作家が描いたうんこ
④最近、海外で認められた90歳の芸術家の描いたうんこ
⑤芸術大学を首席を卒業し、新進気鋭の作家が描いた本物と見紛うほどのうんこ
⑥デジタルで描いたメタバースなうんこ
他にも種類があるだろうし、うんこでなくてもいいが、せっかくの機会なのでうんこにした。
日常生活で我々は排泄物を亡き者にして久しい。
どんな高尚な人だって排泄している筈だし、生物にとってはかなり重要である。今の仕打ちは甚だ遺憾である。でも、単にその絵を飾りたい人はそういないというのは大いに頷ける。
いつか上手く分からないようわかるように描きたい。
何を言いたいかというとどんな絵か見てなくとも、大体、この中で欲しい絵は決められる。構成要素で欲しい絵なんて決まるのである。
かくゆう私もそうだ。
「歌川国芳の大きい絵」
「欲しい!!」
である。
絵の見方なんて習わないし、絵は感性だと言われる。自分の好き嫌いはわかっても、良い悪いなんて見ただけではそう測れない。しかも、間違えたらセンスがないと辟易されてしまう。
だから既にある測れる指標で欲しい絵を決めるのは理にかなっている。
存命中に世間に殆ど見向きされなかった画家たちはきっと絵のよさ以外のものが色々足りなかったのだろう。
要件は色々とあるだろうが、画家の没後に認められた絵が好かれる理由が、いい絵であるというのが一番の理由であって欲しいものである。