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人生最期の食事を求めて

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【人生最期の食事を求めて】 この1回限りの人生において、A級・B級の分け隔てなく美味しい食事と幾度と出逢うのであろうか? そして、いつ来るとも解らない死の直前に何を選ぶのだろうか… もっと読む
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【人生最期の食事を求めて】無味乾燥の街で出逢うステーキランチの質感。

【人生最期の食事を求めて】無味乾燥の街で出逢うステーキランチの質感。

2024年4月3日(水)
ステーキレストラン がんねん(北海道札幌市厚別区)

いわゆる和製英語と呼ばれるものがある。
例えば【vitamin】は“ビタミン”ではなく“ヴァイタミン”であり、
【energy】は“エネルギー”ではく“エナジー”であり、
さらに踏み込めば“ノートパソコン”は“【laptop PC】ラップトップ・ピーシー)”と言わなければ通じない。
当然にして【steak】は“ステーキ

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【人生最期の食事を求めて】無表情、無為、そして無感動の朝。

【人生最期の食事を求めて】無表情、無為、そして無感動の朝。

2024年4月21日(日)
カンパーニュ クチーナ&バール(石川県金沢市木ノ新保町)

スペインが生んだ偉大なチェリストであるパブロ・カザルスは、彼が敬愛したバッハの「プレリュード(前奏曲)」と「フーガ」の2曲を、80年以上にも渡り毎朝の日課として演奏してきたことは有名な逸話である。
その絶え間ない探求と研究と鍛錬の日々は、チェロの聖書とも呼ばれる「無伴奏チェロ組曲」に結実した。
10代の頃に買い

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【人生最期の食事を求めて】寿司王国金沢に潜む期待という名の幻想。

【人生最期の食事を求めて】寿司王国金沢に潜む期待という名の幻想。

2024年4月20日(土)
まわる寿し もりもり寿し近江町店(石川県金沢市近江町)

古いデータになるが、総務省が2015年に公表した「平成26年経済センサス」 によると「人口10万人あたりの寿司店の数」トップ5は以下の通りになっている。
第1位 山梨県
第2位 石川県
第3位 東京都
第4位 福井県
第5位 静岡県
海のない山梨県が第1位というのは、しばしばマスメディアの紋切り型の情報ソースにな

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【人生最期の食事を求めて】若さと活気と品格が共存する北陸再興の灯火。

【人生最期の食事を求めて】若さと活気と品格が共存する北陸再興の灯火。

2024年4月19日(金)
居酒屋花組(石川県金沢市木倉町)

2024年1月1日(月)。
定刻を15分程遅れで出発した飛行機はあの能登半島地震によって小松空港に着陸できず、余儀なくセントレア中部国際空港に回避した。
その記憶を拭い去れないままに、私は再び飛行機に搭乗した。
飛行機に乗っている時もしばしば脳裡をよぎるのは、あの地震の再来だった。

無事に小松空港に到着した時、私は大きな安堵に包まれ

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【人生最期の食事を求めて】魚とおでんと店の喧騒に飲み込まれる片町の夕刻。

【人生最期の食事を求めて】魚とおでんと店の喧騒に飲み込まれる片町の夕刻。

2024年4月20日(土)
金沢炉端あっぱれ金沢片町店(石川県金沢市片町)

ひがし茶屋街の一角から三味線の音がそこはかとなく耳に届いたかと思うと、町家の玄関の庇に巣を作った燕が頭上をかすめた。
欧米系の外国人観光客の姿が見受けられたものの至って少なく、ある意味で心地よい閑散具合と思えた。
午前中のひがし茶屋街は思いのほか平穏としている。

統一感を保った外観はもちろん色彩にも統一感の配慮がなされ

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【人生最期の食事を求めて】大混雑の仙台牛たんの代表格に挑む正午。

【人生最期の食事を求めて】大混雑の仙台牛たんの代表格に挑む正午。

2024年4月15日(月)
たんや善治郎仙台駅前本店(宮城県仙台市青葉区)

昨日の昼に食したマーボー焼きそば。
それはそれとして宮城県屈指のご当地グルメとして名高い。
けれどもその時、あまりの行列で断念した牛たんへの振り払いがたい誘引は、起床早々から私につきまとうばかりだった。

思えば本格的な牛たんを食べた記憶は、知り得るかぎり2005年と記憶する。
その際の地を転覆するかのような衝撃と感動。

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【人生最期の食事を求めて】深みのあるたまり醤油が織り成す中華そばの妙。

【人生最期の食事を求めて】深みのあるたまり醤油が織り成す中華そばの妙。

2024年4月14日(日)
末廣ラーメン本舗仙台駅前分店(宮城県仙台市青葉区)

急な会食を終え解放されたのは21時を過ぎた頃だった。
日曜日の深い夜に包まれつつある仙台駅前は、それでも多くの人々が交錯していた。
このまま帰るのも気が引ける。
と言って、もう少しだけアルコールに身を浸すのにも気が引ける。
名掛丁のアーケードから仙台駅に向かって押し寄せる人の波を避けるように、駅前通から広瀬通に抜けた

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【人生最期の食事を求めて】麻婆焼きそばとバナナ餃子に漲ぎ溢れる迫力。

【人生最期の食事を求めて】麻婆焼きそばとバナナ餃子に漲ぎ溢れる迫力。

2024年4月14日(日)
口福吉祥 囍龍(シーロン)(宮城県仙台市青葉区)

駅前のアーケードに降り注ぐ日差しは季節を飛び越えて初夏を装い、所々の公園や庭先には満開の桜が咲き乱れ、行き交う人々の面持ちには春の解放感がもたらす喜色が浮かんでいるように見える。
兎にも角にも心地よい日和としか言いようがない。

11時になろうとしていた。
午後に備えて少し早めの昼食を求めた。
駅前の牛たん屋の様子を伺

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【人生最期の食事を求めて】幾度となく訪れてしまうごまさばの誘惑。

【人生最期の食事を求めて】幾度となく訪れてしまうごまさばの誘惑。

2024年3月23日(土)
博多ごまさば屋(福岡県福岡市中央区)

中洲のバーでマスターと深夜3時頃まで話し込み盛り上がったしまったせいで、この日はまさしく寝不足だった。
といって、福岡で過ごす時間は限りある。
朝から時折強く降る雨と寝不足の冴えない思考のせいか、食欲はあるものの昼食に対する開拓力がどうしても芽生えようとしなかった。
しかも昨日同様に博多駅の人混みは雨であろうが著しい。
昨夜、どの

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【人生最期の食事を求めて】彷徨の末の屋台、という予定調和的着地。

【人生最期の食事を求めて】彷徨の末の屋台、という予定調和的着地。

2024年3月22日(金)
風来けん坊(福岡県福岡市中央区)

大濠公園エリアから天神エリアに移動した。
日中の晴れ渡った空も気がつけば重苦しい雲に覆われ、今にも雨が降る気配だった。
時折過ぎ去る暴走族の滑稽なアナクロニズムをものともしない溢れかえる群衆と活気に包まながら、歩き慣れた道を歩き続けた。
目指した店は、福岡に訪れた際に必ず訪れる屋台バーだった。
直近の訪問において、2回連続して満席で入

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【人生最期の食事を求めて】入念と洗練を尽くした焼鳥への想い。

【人生最期の食事を求めて】入念と洗練を尽くした焼鳥への想い。

2024年3月22日(金)
炭焼き とりこ(福岡県福岡市中央区)

この国の人口減少問題は今に始まったことではないが、政策が後手に回っているうちに手遅れ感が否めない。
けれども、福岡に関して言えば地理的要因や様々な施策によって、もはや人口増の
を継続しているのはまさにこの街のポテンシャルを活用した結果と言えるだろう。
いざ現地に降り立つとその実感は揺るぎない。

長崎駅から博多駅に到着したのは15

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【人生最期の食事を求めて】童心と郷愁を刺激する洋食の結晶。

【人生最期の食事を求めて】童心と郷愁を刺激する洋食の結晶。

2024年3月22日(金)
ニッキー・アースティン長崎駅前店(長崎県長崎市尾上町)

まさに一点の雲もない碧空が広がっていた。
ホテルをチェックアウトしたものの、あまりの清々しさに私は中島川を伝いながら散策することにした。

春らしからぬ強い日光に思わず上着を脱いだ。
中島川の水面の乏しさはそれに反して涼しげな表情を浮かべているだが、だからこそ水面に朧げに浮かぶアーチ状の石造りの橋の影さえも穏やか

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【人生最期の食事を求めて】地元民に愛され続ける長崎おでんの滋味深い懐。

【人生最期の食事を求めて】地元民に愛され続ける長崎おでんの滋味深い懐。

2024年3月21日(木)
おでん桃若(長崎県長崎市本石炭町)

数分置きに往来する時刻表のない電車の轟音は、晴れ渡る春の空に向かって高らかに鳴り響く遠雷のようで、乗り慣れた市民はそんな轟音を気にすることもなく後方の入口から速やかに飛び乗っている。
私も市民然として電車に飛び乗った。

目指すべき場所は平和公園、浦上天主堂、そして原爆資料館だった。
世界が暴力の混沌に再び陥りつつある今、そこは多く

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【人生最期の食事を求めて】歴史と伝統が醸し出す穏やかなちゃんぽんの風合い。

【人生最期の食事を求めて】歴史と伝統が醸し出す穏やかなちゃんぽんの風合い。

2024年3月21日(木)
中華大八駅前店(長崎県長崎市大黒町)

【人生最期の食事を求めて】歴史と伝統が醸し出す穏やかなちゃんぽんの風合い。

長崎港に広がる朝の爽快な空と長崎湾の凪いだ海の境界線、それを遮る稲佐山の青々とした輪郭を朝から漠たる面持ちで眺め続けた。
時折、猛々しい雲の塊が湧き立ったかと思うと辺りに陰影を投じていた。
とはいえ、そこに足早に寄り添う春を感じた。
だからこそ、と私は奮

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