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とある教授の動物的な誤解 下

この記事は前回の記事の続きです。


教授の発言では、動物的という言葉が、何か悪いことであるかのように使われている。動物的であることは悪、人間的であることが善、という思い込みの上に成り立った発言である。

ここには、さらにその前提として、人間と動物は全く別物であるという考えがある。しかし、はたして本当にそうだろうか。

私の考えでは、人間も動物の一種である。食事を取り、運動をし、寝る。こういったことをしなければ人間は生きてはいけない。子孫を残すためには性行為を行わなければいけないし、そういったことをするための欲もしっかりと備わっている。

そんな人間をつかまえて、動物とは全く違う生き物だと言い切ることはできるだろうか。むしろ、動物の一種であるということを認めた上で、”おもしろい特徴を持った動物である”という考え方で人間を定義したほうがよほど自然ではないだろうか。

以上の二点において、私は、教授の発言に納得しかねたのである。

人文学の領域では往々にして、「動物的である」ということや、「野性的である」ということが悪いこととして捉えられがちである。しかし、私達は紛れもなく動物の一種であり、動物的で野性的な一面を持っている。

そのことを認めず、人間の本質を忘れ、理想的な人間像だけを扱って物事を考えてしまうと、その議論は机上の空論以外の何物でもなくなってしまう。

人間だけにできることは何か、を追求しようとする人々もいる。私が思うにそれは、自分自身がどのような存在であるのかを冷静に見つめることである。そして、その先に出てきた事実を受け止めて生きていくことである。

真に人間的に生きるとはそういうことである。それは決して、自分の中の動物的な一面を否定しながら、人間的という言葉でカモフラージュしただけの虚栄心をまとって生きていくことではない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!