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大丈夫になって、気にかけられなくなるのが“怖い”。

「本当には」幸せになろうとしていない、心の表れ。

心の探索。

自分が大丈夫になって、本当に幸せになろうと心底思う(自ら考え、動き、管理し、成長して自分の人生と向き合っていく)と、ある時点でこの考え方に気づいて、もう辞めることにすると思います。

これは幼い頃、親から関心を向けてもらうために、あらゆる引き付ける表現方法によって勝ち得てきた成功体験、自分を守るテクニックのようなイメージです。

逆にその方法に頼り続けて、
「助けられるべき自分」というポジショニングを取り、気にかけてもらうことで自分が愛され、受け入れられていることを確認し続ける場合もあります。
でも、その確認に終わりはなく、満たされる期間もどんどん短くなり、もっともっと、と要求が増えて行くことでしょう。
そしてそのような人に近づきたいと思う人はかなり少なくなり、負のスパイラルから抜けるのが大変になってきます。


みんなが人生の一定のタイミングで、そのようなことに気づいて方向転換するわけではありません。
本人も何となく気づいていたり、人から親切に指摘を受けられたとしても、それを見たくないと思うなら、この考えはその人にとって”欲しくないもの”、”独りにされて恐ろしいもの”なのです。
自分を思って言ってくれたその人に向き直って噛み付き、傷を負わせることなんてザラだと思います。

なので、「本当に」幸せになろうとしていないタイプの人には、気づかせようという努力はほぼ無意味に終わり、他の人間関係も含めて破壊される方向に行きやすいのでオススメしません。

それもそのようなタイプの人の立場に立てば、分かる気がします。
本人の人生なので、本人に選択権があるのに、本人が望んでいないことを押し付け、コントロールしようと無理しているってことです。
それが本当に相手の幸せを願ってのことだとしても。

だから、相手の悪い選択のことで、原因に気づいている自分が責任を感じる必要もないってことです。
なぜなら、それはその人が決めるべき選択であり、人生であるからです。


人はおのずと、ある面無意識的に、偶然の出来事による影響かのように思い込みながら、こうして自分の人生を”選択”して生きる道を決めているんですね。


だから、何歳になっても謙虚な気持ちを意識すれば。
発見や気付けることがあり、そこから学んで成長し幸せな生き方になっていけるっていう希望があるってことですね。

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