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#わけて書きます

---そう、冒頭でも触れた、人について。
病院、色んな人がいました。

看護師さん。
時々、本を読んで貰った。
たまたまだったけど、それが飛び出す絵本で、読み進めて、あるページでかたつむりがびよーんと飛び出すと、看護師さんはびっくり仰天、床に尻餅をついてしまった。僕、爆笑---

少し間が空きました。

---保育園の先生も見舞いに来て頂いた。
それってやっぱり相当危険な時もあったのかな。
忙しい筈の現場の保育士、職務を終えて、夜、通っていた保育園から総合病院までは車で約1時間は掛かるのに、有り難いことでした。嬉しかった、りんごとか頂いた---

---また、母親は、僕の月日の記憶がまた合っているならば、その時既に弟を身籠っていた筈。明るい家族計画をある一定期だけかもしれないけれど見事に崩してしまった。
母親は明るく、いつも笑顔、いつも一生懸命、無理をしていることにも気が付かず時々寝込んでしまっていた。思えば似ている---

---そして、そういった、30歳前後の時期の父親は幾ら公務員だったとは言え、恐らく出世前。多分。
子どもが3ヶ月も4ヶ月も総合病院に入院すれば、莫大に出費もあったでしょう。
子どものこととなれば、それこそ、「身を粉にして」労働をしていたと思うと、本当に感謝しています---

何にせよ。とっ散らかってきてしまうので一旦戻して、自分で始めたことは整理していきます。
病院での記憶、続けます。
…他にも中途半端にしている記事があるんだよなあ笑。
他の人は気にしていないかもしれないけれど、自分の、そういうところ良いこととは思えない。
それらも段々に整理します。

---両親にとって、初めての子ども。

それは苦労をかけたろうな、と。

働き盛り(今そんなんあるのかどうなのか)の父親が、当時の古いアパートで、僕が見ていないところで頭を抱える姿が濃く、想像出来てしまう。
そんなこと実際はわからないけど、本当はとても神経質な人だから---

---その時ばかりは、
母親は確か、都合が合えば病院に寝泊まりしてくれたり、
所謂、「頑固親父」の父親も仕事が終わった後で様子を見に来てくれました。
あまり見せない、心配そうな表情を浮かべていたような、気のせいのような。

まあー、でも、ええ。一応僕は長男なんですけれど---

---今は解明されているのか、されていないのか、調べてませんが(そのくらいその病気を
今は気にしていない)、確か、謎の高熱が出る病気で心臓などに影響を及ぼすこともあるらしく、僕もまた熱に因り、病室でうなされていました。家族は毎日のように傍に居てくれました---

---あったという事実を覚えています。
ただ、4歳の頃の記憶なので、恐らく、日々脳内で塗り替えられていることでしょう。
同時に、それまで普段自分が長期間滞在する環境下ではなかったので、無意識に記憶に焼き付いているんだと思います。

主に人、について、色々な記憶があります---

僕は幼少期、心臓病で長い間入院していたことがありました。

今は多分完治しています。

まあ退院後も何か症状が出ることはなく、至って或いは健康に育ったつもりです。

病気のことではなく、病院のことなんですが、長いこと入院していると退屈ではあったけれど、それなりに色々なことが---