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小説「ある日の“未来”」 第3話

「学校」


未来は、ばあにゃからもらった真っ赤なトマトを、いかにも大事そうに冷蔵庫にしまってから、学習ロボットのスイッチを入れた。

ロボットはリモート学習をサポートするため、生徒に一人一台ずつ配られている。鉄腕アトムやドラエモンのような、魅力的なキャラクターとは程遠いが、それでも未来はけっこう気に入っていた。 

「おはよう。今日はどこから始める?」

機械的ではあるが、親しみのある声だ。

「そうだなあ。どうしようかな」

自宅学習のカリキュラムは、生徒が自由に選ぶことができる。

未来は算数と理科が得意だった。自分の好きな科目は、どんどん進んでいく。未来はすでに、小学生の理科と算数のレベルをはるかに超えて、高校の数学と物理にまで進んでいた。

その代わり、社会と国語はまったくだめだった。このままでは、今年も単位を取るのは難しいかもしれない。

「じゃあ、今日は社会から始めようよ」
と、ロボットが促す。

ロボッチの奴、痛いところをついてくるな……。

未来はこのロボットにあだ名をつけていた。ロボッチは未来の苦手な科目を承知のうえで、学習を勧めてくるのだ。

今年も社会の科目を落としてしまうと、来年は、数学と物理の選択に制限がかかってしまうかもしれなかった。

しかたがない、社会にするか……。

未来はしぶしぶ、ロボッチに従った。

10年前なら、未来は「発達障害」と診断されていただろう。小さいときから、自分の興味のあることには夢中になるが、それ以外のこととなると、まったくやろうとはしなかった。
未来はどう頑張っても、みんなと同じように、“普通の子”にはなれなかったのだ。

昔なら、未来は「特別支援学級」と呼ばれる、障害児のための教室に入いり、普通のこどもと同じになるようにと、教えられていたかもしれない。

しかし、今では未来のようなこどもは、「発達障害」ではなく「発達個性」と呼ばれて、むしろ積極的に、その子の個性を伸ばすことが推奨されている。

特別支援の目的が、みんなと同じことができるようにするのではなく、みんなと違うその子の特別な能力を最大限に伸ばすことに変わっているのだった。

だれにでも、夢中になれるものがある。

発達個性のこどもたちは、いわゆる普通のこどもと比べて、夢中になる度合いが飛び抜けて高いだけなのだ。

今では、程度の差こそあれ、だれもが発達個性であり、教育の目的は、それぞれのこどもの個性を伸ばすことだと考えられている。

このように、教育の目的が、それまでの、社会に適合できる人間を育てることから、個性を最大限に伸ばす方向へと180度転換したきっかけは、新型コロナウイルスのパンデミックと気候変動による危機だった。

7年間続いたパンデミックは、教育制度に限らず、あらゆる面で、それまでの社会のあり方を大きく変えるきっかけとなった。

さらに、気候変動はもはや限界点を超えてしまい、このままでは人類が滅亡しかねない瀬戸際にまで追い詰められていた。

政府は、これまでの画一的な教育制度では、パンデミックや気候変動の危機を克服することはできないと、ようやく気付いたのだった。

2032年現在、日本の教育制度はすっかり様変わりしていた。

今は、小学校から大学院まで、一貫した教育制度が敷かれている。試験制度はなく、生徒は行きたい学校に、どこにでも入学することができる。

各段階で求められる最低限の基礎科目の単位さえ取れば、あとは自分の好きな科目を自由に選ぶことができる。授業料や教材などは、全て無料だ。

教育の完全な自由化と無償化が実現していた。

生徒は、週に1回登校するだけで、あとは自宅でリモート学習をしている。

登校する場所も、従来の学校にするか、フリースクールにするかは、生徒が自由に選ぶことができる。行きたいと思えば、両方に通うこともできる。

家庭でのリモート学習は、生徒のレベルに応じて学習ロボットがサポートしている。さらに、必要に応じて週に何回かは、生徒の様子を見に、担任の先生が複数で、各家庭を訪問している。

未来はその度に、難しい物理の質問を投げかけては、先生たちを困らせていた。

週1回の登校日は、体験型学習が中心だった。
みんなで好きなスポーツを楽しんだり、好きな楽器を練習して、市民ホールで合奏したり、近くの農家を訪ねて、野菜の作り方を学んだり、工場や商店街やオフィスを見学したり、森や海の自然観察に行ったり、といった具合だ。

先生は上から教え導く教師ではなく、文字どおり、先に生まれた人生の先輩として、生徒に寄り添いながら、生徒の個性を伸ばし、自主的な学習を手助けするサポーター役に徹していた。

未来は苦手な社会と国語をさっさと終わらせると、好きな物理の勉強を始めた。このレベルになると、もはや今のロボッチでは役に立たなかった。
未来はわからないことがあると、専門システムにアクセスして、AIを相手に何時間でもパソコンにかじりついているのだった。

すると、母親から決まって、

「そんなに家で勉強ばかりしていないで、友だちと一緒に外で遊びなさい!」

と、叱られるのだった。

未来は、学校で友だちと会うのが待ち遠しかった。
今でもいじめはあるが、昔に比べるとかなり減っている。みんな、久しぶりに友だちと会うのが楽しみで、いじめなどしている暇はないようだ。

もっともその分、仮想世界のメタバースでは、いじめがエスカレートしていた。匿名のアバターに変身すると、人は邪悪な性格が顔を出すのだろうか。

僕のアバターをいじめているのは、あいつかもしれないな……。 

未来は、今度学校で会ったら、問い詰めてやろうかと思うこともあるが、ばかばかしいからやめている。第一、証拠がないし、あったとしてもメタバースの世界でちょっと羽目を外しただけだと開き直られるかもしれない。
それに、もし違ったら、大切な友だちを失くすのが嫌だったのだ。

昔、「リケジョ」という言葉が流行ったことがある。理工系女子の略称だ。理工系の大学に進む女性が少なかった時代のことだ。
今では、科学者の半数以上が女性だし、ノーベル賞は、ほとんど女性が独占している。

未来の母も科学者だ。最先端の生命科学の分野で、いくつも論文を出している。未来の科学好きは、母親の影響なのだろう。

「ねえ、ママ。ママはどうして科学者になったの?」

未来の質問に、母はしばらく考えてから、

「そうねえ。ママが中学生の頃は、女性の科学者が少なかったから、私がリケジョになって、ノーベル賞でも取ってやろうか、なんて考えたからかな」

と、応えた。
母の意外な返答に、未来は驚いた。

「え! そんな理由だったの?」

「そんな理由って、なによ。立派な理由でしょ。その頃はまだ男性中心の社会で、同じ仕事をしていても給料が男性の半分なんて、ばかなことがまかり通っていた時代だったのよ。おかしいと思うでしょう」

「うーん、たしかにそれはおかしいね。学校では女の子のほうが優秀で、なにをやっても、ぜんぜんかなわないけどね。そういえば、数学や物理を選択しているのは、ほとんどみんな女の子だね」

「そうでしょう。おかしいでしょ。だから、ママは女性が少なかった科学者になって、男性中心の社会を変えてやろうと思ったのよ」

「そうなんだ。なんだか女戦士みたいで、ママ、怖いね」

「女戦士なんて、ママは嫌いよ。戦争が好きなのは、みんな男たちだもの」

母は、競争や争いが好きな男性中心の社会が、地球温暖化を放置し、今日の危機を招いたと考えている。競争より協調を好む女性のほうが、これからの新しい世界を築いていくにはふさわしいと、本気で考えているのだった。

それは男性差別だ、と批判されても構わないと思っている。
それほど母は、これまで男たちが中心になって作ってきた世界に、絶望していたのだった。

「僕も男だけど、戦争はいやだな」

「あなたは私の大切な子だもの。なにがあっても、絶対に、戦争になんか行かせないわ!」

そう言って、母は未来を引き寄せると、力いっぱい抱きしめた。

「ママ、苦しいよ!」 


(続く)

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