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新しい友だち

間違いなく人生のターニングポイント。

それはナツとの出会いだ。

恐らく小学校5年生ごろから、決定的な出来事はなく、だがじわじわと、私とナツは仲良くなっていった。

ナツやナツのグループの子たちと過ごす時間が増えるに連れ、里子ちゃん、千春ちゃんとは距離が出来ていった。

小学6年生になった頃には、私に対する周りの認識は「里子と千春と仲の良い子」から「ナツグループの女子」に変わっていったと思う。

ナツグループはスクールカーストの上位に居た。

ナツには年の離れた姉が2人居て、どちらも美人で有名だった。

もちろんナツも美人だった。姉の影響もあるのか、外見も中身も大人びていた。

私はナツの影響をもろに受けた。

愛読書は「ちゃお」から「ピチレモン」や「セブンティーン」に。

ナツグループの女子は、誰かの家で漫画本を読んだりお絵描きして遊ぶ、なんてことはしなかった。

休みの日には、街へ出てカラオケへ行くか、ゲームセンターでプリクラをとったりしていた。

小学生だけで街へ出かける事を、私の親は簡単には許してくれなかった。


【round 1 】 vs 母
「ナツたちと街に遊びにいってもいい?」
洗い物をしている母に、キッチンカウンター越しに声をかける。
いつも通り、不機嫌そうに洗い物をする母は、私の発言でより怪訝そうな顔をする。
「知らない。お父さんに聞いたら。」
目も合わせずにそう言う。
母はいつもこうである。

【round 2】 vs 父
「ナツたちと街に遊びにいってもいい?」
父に対しては、しつこく何度も、
「もう勝手にしろや」
この言葉を引き出すまで食い下がった。
大体最後には、溜息交じりにそう言ってくれた。
父がどの程度呆れていたのかは知る由もない。


街へ遊びに行くことは、強引に解決できたが、お手伝いをしようとお小遣いをくれる親ではなかったので、金銭的に問題があった。

小学生にして既に私の頭は「お金が欲しい」でいっぱいだった。

私はあの頃、祖母や祖父にお金ちょうだい、と言っていた?
もし言っていたら、本当にごめん。
卑しい孫だなと思う。
今もだけど、どうして私の性格はこんなにも捻くれて汚くて陰湿なんだろう。

なんとかお年玉でやり繰りしていたが、毎週毎週街へ遊びに行くお金はなかった。

それでも、「お金がないから私行けない」とは言えなかった。
なぜならグループの会話はもっぱら次の休みはどこに遊びに行くか、だった。
「行けない」と言った時点で会話について行けなくなってしまうのを私は恐れていた。


母は、私が里子と千春ではなく、ナツたちと仲良くしている事を良く思わなかった。

私が自分の意思で服や靴を欲しがるのも、よく思わなかった。
(遊びに行く当日よりも、こちらの方が高くついた)

「ナツちゃんたちについて行くのに必死だね」
「遊びに行けるフリするのも大変だね〜、でもそうしないと仲間外れにされちゃうもんね」

そんな言葉を母から投げられた事もある。

私がなんと答えていたか覚えていないが、
母は私がナツたちと仲良くするのが嫌なんだな、とは嫌でも感じた。



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