限界

20代後半 ネイリスト | 新潟出身 | 東京一人暮らし | 名古屋在住 | タフネス…

限界

20代後半 ネイリスト | 新潟出身 | 東京一人暮らし | 名古屋在住 | タフネスな肉体と精神を手に入れたい。 これまでのこと 映画やドラマの感想 旅行記。などなど

マガジン

  • 生まれてからのこと淡々と

    誕生〜現在に至るまで、を淡々と綴っています。 記憶のある部分は、覚えている限りその時何を思っていたかも添えてみます。 感情的にならず、あくまで起こった出来事をただ簡潔に、淡白に。

最近の記事

新しい友だち

間違いなく人生のターニングポイント。 それはナツとの出会いだ。 恐らく小学校5年生ごろから、決定的な出来事はなく、だがじわじわと、私とナツは仲良くなっていった。 ナツやナツのグループの子たちと過ごす時間が増えるに連れ、里子ちゃん、千春ちゃんとは距離が出来ていった。 小学6年生になった頃には、私に対する周りの認識は「里子と千春と仲の良い子」から「ナツグループの女子」に変わっていったと思う。 ナツグループはスクールカーストの上位に居た。 ナツには年の離れた姉が2人居て

    • 真似

      小学五年生頃まで、私は里子ちゃんと千春ちゃんの三人仲良し組だった。 千春ちゃんとは幼稚園からの仲であるし、そこに同じ町内唯一の女子である里子ちゃんが加わるのは当然の流れであった。 三人で下校し、放課後はたいてい誰かの家で漫画を読んだり、ゲームやシルバニア、お絵かきをして遊んだ。 里子ちゃんはポケモンが大好きで、ポケモンのゲームはもちろん、アニメも毎週欠かさず見ていた。 そのうち、里子ちゃんはポケモンの創作漫画を描くようになり、三人集まると、私と千春ちゃんはその漫画を読むのが

      • 小学校入学、登下校

        保育園を卒園し、私は小学校へ入学する。 私が住んでいた町には大きな小学校が2つあって、 学区が異なるため、同じ保育園のお友達は大半が私とは別の小学校へ入学した。 同じ保育園から同じ小学校になったのは、最初の幼稚園から一緒の小春ちゃんだけだった。 私の通っていた小学校は、家から歩いて15分程の場所にあった。 道中にはかなり急勾配な坂があり、冬場の凍結時はかなり気をつけて登校する必要があった。 付き合い始めの頃、旦那から 「限界は歩き方が独特だよね。ペンギンみたいにペタペ

        • 酔っ払った勢いで

          ①氷結 無糖 レモン 7%  500ml 明日は休み。 今日はこれを飲むって前日から決めていた。 晩酌に 5%以上のアルコールを取り入れるのは初めてのこと。 最近、5%のビールや酎ハイではいい感じに酔わなくなってきた。 理由は多分、日々そんな疲れていないから。 しかし9%の、いわゆるストロング系に挑戦する自信はない。 飲みたがりのくせに、弱いのです。 お酒のあては、 ・冷凍餃子5個 ・カマンベールチーズ1切れ ・えのき肉巻き(自炊) 完飲。まだ飲み足りない。(つ

        新しい友だち

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        • 生まれてからのこと淡々と
          10本

        記事

          「裸の王様」

          保育園の発表会。 私が通っていた保育園では、各学年で「楽器演奏」「演劇」「ダンス」の3グループに分かれてそれぞれ発表をした。 グループの振り分けは立候補ではなく、先生による振り分けだった。 保育園最後の年、私は演劇グループに選ばれた。 演劇の内容は 「裸の王様」 私が演じたのは二人の仕立て屋(詐欺師)のうちの一人だった。 演劇グループの子だけは、お昼寝の時間にみんなより先に起こされて、セリフの練習をした。 当時私はお昼寝が苦手(眠れなかった)だったので、この練習は

          「裸の王様」

          花まつり

          卒園アルバムを見返す中で、やけにブサイクな写真を発見した。 煌びやかな衣装に身を包み、お化粧もしている。 手には花を持ち、隣には母の姿。 写真に写る私はそれはそれは気怠そうな表情をしていた。 このブサイク写真は「花まつり」で撮られた一枚である。 通っていた保育園が仏教保育であった為、 私は「花まつり」の稚児行列(ちごぎょうれつ)に参加していた。 稚児行列で頭につける「天冠」が重くて、私は不機嫌になっていたらしい。 なんとなく覚えている。 なぜ私はこんな重いものをか

          花まつり

          登園拒否

          今日のnailのテーマ:「園バス」 ___________________________________ 保育園の記事を書くにあたって、通っていた保育園のHPで年間行事や1日の流れ、園の教育理念などをざっと確認した。 ホームページをみると、自分はとっても楽しげな保育園生活を送っていたように思えた。 だが、私は保育園に行くのが嫌な時期があった。 なぜ嫌だったのか。 いじめられていたとか、仲間外れにされた記憶は一切なし。 ただ、家で妹とおばあちゃんと遊んでいたい、と

          登園拒否

          仏教保育

          今日のnailのテーマ:「地獄の絵」 ___________________________________ 近所の幼稚園が閉園後、私は別の保育園に通うことになった。 幼稚園で仲良くなったお友達とも一旦、さようなら。 一番仲良しの小春ちゃん(仮)は同じ保育園に通う事になった。 この頃の感情はもう覚えていないけど、嬉しかったはず。 新しい保育園は、家から少し離れた場所にあるので、園バスで通った。 〜〜〜〜〜〜〜 登園 ↓ 自由に遊ぶ ↓ 朝の会 ↓ 自分のクラスでビ

          仏教保育

          幼稚園デビュー

          私の幼稚園デビューは3歳。(たぶん) 私が3歳なので妹は当時1歳。 自分が幼稚園に行っている間、妹は何をしていたのだろう。 既に母は働いていたので、祖母が面倒を見ていたのだろうけれど。 私が通っていた幼稚園は 家から近く、毎日 祖母 に送り迎えをしてもらっていた。 そうなると祖母は、私の幼稚園の送り迎えに加え、家では妹の面倒を見ながら家事をこなしていた事になる。 恐れ入る。尊敬する。 ※あくまで想像、実際のところはわからない。 ちなみにこの時点で既に両親はフルタ

          幼稚園デビュー

          母方の実家

          母方の実家を出て、少し離れた町に土地を買い、家を建て家族4人で暮らしていたが、妹が生まれたタイミングで祖母が越してきたらしい。 (私の記憶にはないから、らしい。) 祖父と曽祖母は母方の実家に残り暮らしていた。 たまに2人に会いに母方の実家へ遊びに行った記憶がある。 この頃の祖父はまだ元気で、土方仕事をしながら農業もしていた。 野菜も米もたくさん作っていた。 曽祖母はいつ会いに行っても、居間の座椅子に座っている印象。 もうあまり動けなくなっていたのかも。 私は曽祖母の事を、

          母方の実家

          私が2歳になると、妹が誕生する。 赤ちゃんの頃の妹の事は全然覚えていない。 記憶にあるのは保育園の頃から。 この頃の記憶で一番印象に残っているのは、 叔母(母の妹)の結婚式前日に妹が文具用のハサミで自分の髪の毛を切った事。 どうして髪を切ったのか、誰も止めなかったのか、とか細かな部分までは思い出せない。 でもなんとなく、怒られそう!でも面白そう!と思って髪を切る妹を止めなかった。気がする。 もしこの時 妹に髪を切るよう、私が炊き付けていたらどうしよう。 流石にそこまで腐

          生まれる

          東北地方 1995年 雪深い土地の山奥の病院で生まれる。 母 23歳 父 25歳 当時の家族構成: 父と母、母方の両親、祖母(私からみたら曾おばあちゃん)そして生まれたばかりの私。 この頃はまだ母の実家に住んでいたそうだ。 村、むしろ集落?くらいの田舎。 なお、この家は後に起こる災害によって全壊となる。 この当時の記憶は全くない。 当時の写真を見たのも、もうだいぶ昔の話。 大人になって、結婚した今、この環境で暮らしていた父の凄さが良くわかる。 後からわかった

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