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もしも自分が残り10年の命だったら

こんにちは!今回は余命10年を見て自分が茉莉ちゃんの立場だったら何をするのかについて書いていきたいと思います。

①余命10年という映画について

不治の病を抱えて余命10年と知った茉莉が、地元の同窓会で出会った和人と恋に落ちるラブストーリー。数万人に一人という不治の病を患い、余命10年と知った20歳の茉莉は、生きることに執着しないために「もう恋はしない」と心に決めていた。そんなある日、かつて同級生だった真部和人と同窓会で再会し恋に落ちる。最初から終わりの見えている恋だから、もう会ってはいけない。そう思いつつ、自分の気持ちに嘘をつけなくなった茉莉は、自らが病に侵されていることを隠しながら、どこにでもいる20代の男女のように和人と楽しい時を重ねていく。茉莉は初めはもう早く死にたいと思っていたが終盤になるにつれて和人と離れたくないと思うようになり死にたくないと思っていることが感じられる描写が増えてくる点が見ている人の心を熱くさせる。

②もしも自分が残り10年の命であったら

映画『余命10年』を見てもしも自分が余命10年であることを告げられたら自分はどのように思うのだろうと考えてから1週間以上が経過しましたが私の意見はそれほどはっきりとまとまることはありませんでした。10年という長いのか短いのかがわからない期間をどのように過ごすのが正解なのかは全くわかりません。しかしそんな中で私が考えた一つの案は普段通り耒栖ということです。もしも自分が茉莉ちゃんと同じ立場だったら病気だからという理由で特別扱いされる方が死に近づいていつ感じがして不安になると思います。なので不安を感じることを軽減するためにも制限を受けながらにはなると思いますが周りには特別扱いしてほしくないです。
映画をみて普段通り過ごしたいと思えば思うだけ自分の思いとできることのギャップで苦しむことも多いと思うので自分の考えはかなりきれいごとに近いと思います。実際に体験すると自分が茉莉ちゃんのように強く生きるここが出来る自信はありません。

この話は著者である小坂流加さんの実体験に基づくものです。それを踏まえてみると余計に涙が止まらない作品でした。人にはいつか死というものが訪れるものです。それを頭の片隅にはわかっていますが多くの人は普段の生活では意識せずに生活をしています。私もその多くの人の一部です。しかし余命という形で人生の終わりを告げられた時、急に死を近くに感じます。「明日死ぬかもしれない」そんな恐怖に毎日追われると思うと今自分が生きていいるだけで幸せであり会いたい人に会いたいときに会えることはさらに幸せであると思います。この映画を見てからしんどいことを経験していても「生きてるだけで幸せ」というマインドで生きると生きるのが少し楽になります。生きたくても生きることが出来ない人が一定数いる中で自分が生きていることに幸せを感じて生きていきます。当たり前の日常がいつ非日常になってもいいように毎日を全力で生きて今を大切にしたいです。

今回も記事を読んでいただきありがとうございました。皆さんのいいね、フォローが私のモチベーションにつながります。まだまだ未熟なので文章について、レイアウトについてなどコメントでご意見を頂けると嬉しいです。さらなる成長のためにもよろしくお願いします。
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