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一年前に書き上げた長編小説を前に、どうすればこれが面白くなるのかと絶望している。【2024/5/15】

昨年の夏に、一つの長編小説を書きあげた。
それは「近い将来にはAIが恋愛対象になるのではないか」という日常生活で得た思い付きを、コンテンツとして表現したら面白いんじゃないかと思って書き始めたものだった。

今思えばありきたりな題材で、目新しさには欠けたテーマだったのかもしれない。
しかも、僕が思いついた”AIが恋愛対象となる”ということは既に現実として起こっている物事のようだ。
(どこの記事で見たのかは忘れたが、AIに恋をした海外の男性がそのAIに唆されて事件を起こした、というニュースを読んだことがある)

過去の自分のnoteを見返してみると、2023年の6月に書き始めて、8月に書き終えたようだ。
始めて書いた小説が上手く出来ている訳が無いだろうと思って、どこにも投稿せずに暫く寝かせてから第二稿にブラッシュアップして、それからどこかに出してみようと思っていた。

そして今、僕はその小説を前にして、どうすればこれが面白くなるのだろうかと思って絶望している。
モニターの前で頭を抱えて途方に暮れ、意味もなくブラウザを立ち上げたり消したりして、その後に部屋の中をウロウロしている。

この小説が、小説としては”不完全なもの”にしかならないことが分かり始めてしまって辛い。
なんだか良く分からない、変な物を書いてしまった。
無かったことにして投げ出してしまいたいと思う時もある。

要素と要素の間のつながりが薄い。
そのせいで主人公たちの動きや感情に必然性が乏しい部分がある。
感情が深まっておらず要素との繋がりが薄いために、主人公たちの言行が浅はかであり、幼稚で直情的なものとなってしまっている。
この小説は、論理性の部分で建築基準法を満たしていない。

「訴えたい論理」「扱いたい感情」
そういった、読者に対して投げかけてみたいものはある。
この小説を書き上げていく中で、自分の中で深まった物が確かに存在する。
その意味では、僕の個人的な経験としては去年の夏に小説を書いたことは無意味ではなかった。

しかしこれが、どうすれば他人が読んでも面白いものになるんだろうか。

とりあえずは、もがいてみようと思っている。
書きあがった小説を改めてプロット化して、全体の問題点を洗い出す。
主人公たちの背景を検討しなおして、そこから立ち上がってくる要素をもう一度吟味してみる。
要素と要素、主人公たちの論理・感情の移り変わりを平面上に描いてみて、それらの接続を試みる。
ゆっくりと攪拌しながら、観察する。

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