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皆に認められることは絶対にできないので、せめて批判されるストレスを減らすための方法

できることなら世の中に存在する人々がお互いに認め合い、仲良く生きていきたいものだ。

批判はストレスになるし、モチベーションを削ぐので、できれば受けたくない。

立場や目標に基づいた行動を取ることで、他人や組織とある程度は調和することはできる。

成果を出したり相手や組織に貢献することで正常な人は評価をしてくれる。

真っ当に生きていれば、大抵の批判を避けることは可能だ。

しかし、どんなに努力・工夫をして、結果まで出しても、皆から認められる日は来ない。

その原因として、主に以下の3タイプの人からの批判は避けられないものであると考えられる。

①無関心
②酸っぱいぶどう
③幼児気質

これらの内容について及びその対処方法について以下に述べる。


無関心

まず、どんなに素晴らしい成果を残したとしても、全く評価されないことはよくある。

価値観が違う人はそれ自体に関心がないので、どんな偉業であっても何も感じてくれない。

例えば、国際的な音楽コンクールで日本人で初めて受賞したと言っても、その音楽に興味がない人からしてみれば関心すら湧かない。

これは悪意もないし、割とただ仕方がなく残念なだけで済むだろう。


酸っぱいぶどう

正しく事実の認識ができない人は誤った評価を下す。

例えば、仮想通貨なんて本質的には価値がないとか、この資格は取らないけど取っても意味がないとか、成果を出していない・知りもしないにも関わらず傍若無人な価値の否定を決め込む人は少なくない。

努力を止めて過去の知識・経験に縋る老人がこのような態度を取ることが多いため、近年はこういうことを言う側が「老害」と評される。

しかし、老人のみならず若い人も含めてこのタイプは多く、誤った評価を広めようとすらするので特に厄介であり、ストレスになる。

しかし、大抵の場合これは「酸っぱいぶどう」である。

要するに、自分が関与ないし達成できなかった事象について、やらなかった・できなかった自分を正当化するための心理なのである。

素直に悔しいですと言ってくれればストレスにはならないのだが、大抵そうは言えないものなのであろう。


幼児気質

他人の役に立っているのに批判されるというのは全く合理的ではないが、そういうこともよくある。

例えば職場で優れた人がどんなに組織に貢献しようとも、劣った人はその貢献を享受しながらも自尊心を保つために優れた人に攻撃したりする。

劣った人が優れた人と対峙した時、劣った人は何も誇れる材料がない場合でも、自尊心を保つために何かしら自分の価値を信じようとする。

典型的な例は、特殊な能力がない代わりに自分には「人間味」などがあるとか、「できないのではなくやらないだけ」と思いたがったりする。

人間味なんて定義すら定かではなく、本当に自分がそれを周囲よりも持ち合わせているかどうかも測定できない。逆に、組織に貢献している人を否定する人に人間味なんてあるのだろうか?という疑念の方が大きい。

また、「やらない」のは「できない」のと同一の結果だし、組織の構成員として必要であるのに「やらない」人は害悪でしかない。

これは「酸っぱいぶどう」の更なる退化版であり、親の庇護を受けながらも親を否定する幼児と同等な気質である。


あの有名人すら認めない人が大勢いる事実

怠惰だったり迷惑だったりするならまだしも、このようにどんなに優れてても、どんなに貢献しても、批判されるものなのだ。

考えてみれば、スティーブ・ジョブズだって、孫正義だって、ビヨンセだって、安室奈美恵だって、King Gnuだって、あんなに偉業を成し遂げて、あんなにプロダクトで皆を喜ばせたのに、それでも否定する人がたくさんいる。

ましてや一般人が否定されずに生きていくなんてできるはずがない。


結論と対応

このようなタイプの他人からの批判は防ぎようがない。

なぜなら、批判する原因が批判する人に内在するからだ。

そしてそのような人たちを一人ずつ納得させてもキリがないので、そのような人たちの批判は聞き入れるだけ無駄でしかない。

批判されるとその瞬間はとてもストレスを感じて反発してしまいたくもなるが、それは批判の原因を特定していないからである。

噛みついてきたのが犬だと認識していれば、犬に論理的に説明しようと思わないことと同様に、この人は「無関心」だ、「酸っぱいぶどう」だ、「幼児気質」だと分類して理解することで、こういうものなんだと整理することができるので、諦めがついたり、取るに足らないことだと切り替えが利くようになることだろう。


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