支配的な父親と私に蓄積された無力感。
こんばんは、限界アラフォーきこです。
さっき、Twitterで犬と飼い主の久しぶりの再会の動画が流れてきて微笑ましくみていたのだが、それで思い出した事があったので書いてみる。
犬への虐待を止められなかった私
私が子供の時、犬を飼っていた事があった。名前をポチ(仮)としよう。
父は、ポチが自分の指示と違う、気に入らない事をすると
お風呂に顔をつけたり、殴ったりと明らかに虐待をしていた。
私はそれを見て、「やめてお父さん」と泣きながら訴えるしか出来なかった。父親は辞めなかった。私は無力だった。
最終的には、マンションで飼えないと言うことになり、
知り合いの家で飼ってもらう事になった。
数年してから一度だけポチに会ったのだが、私たちを覚えている様子はなかった。
でも新しい家族で幸せに生きているようだったから、私は寂しい気持ちもあったけどとても安心したのを覚えている。
そりゃ忘れたい生活だったと思うよ。
冒頭で見た動画は、飼い主のお父さんに会った犬がめちゃくちゃ喜んでいて、うちでは絶対こうはならんなぁ…と思って思い出してしまった。
今思い出しても気持ちが悲しくなる。
ポチはうちでの生活、辛かっただろうな。
元々は私や弟が犬を欲しがった事から始まった気がするので
本当に申し訳ない事をしたなと思っている。
消化しきれない支配的な父への感情
父はめちゃくちゃに支配的な人間だ。
先日、こちらの記事で両親の事を「過保護な親」と表現したが
門限などが厳しく、私のやりたい事はよく規制された。
反抗すれば、ポチのような虐待までは行かずとも
大声で怒鳴られたり、手を振りかぶって殴るフリなどをされた。
そうやって恐怖で支配してきていたのだ。
ここを抜き出すとうちも十分毒親だな。笑
弟は、そんな父親の事が嫌いで、中学生頃から結婚するまで
父親とマトモに会話していなかった。
私は今思えばそんな空気の中にいるのも苦痛だった。
でも弟は流されず、自分の嫌なものとは距離を置く、
と言うことが当時からできていたのだなと今になって思う。
父も丸くなったとは思うが、根本的には変わっていない気がする。
数年前に意見が食い違って喧嘩した時にはやはり大きな声で怒鳴られて、
私は自分の部屋に鍵をかけて父親が入れないようにして身を守った。
書いていて、この感情は消化し切れるのか…?と思っている。
こういう時は
感情を感じ切る、
父親への不満を書き殴るなどして
感情を開放した後に父親を許す
などのワークがメジャーだと思うが、
”許す”と言うのが、「愛してくれてたんだしね」とか「父親も人間だから、不器用だったんだ」など思うんだけど、心からそれで許せていない 気がする。
だからワークをやってるつもりでも何度も浮き出してくる。
小さな頃からずっと私の心の奥の方に蓄積し続けてきたものだ。
そう簡単に消えるわけではないのだろう。許せるわけではないのだろう。
拭えない無力感
父親へのそういった感情とともに私に蓄積していたのは、
おそらくポチを助けられなかった時にも感じていた
”無力感”だろう。
ポチは助けられなかったし、
父親に規制された多くのことには従わざるを得なかった。
母親も、父親が折れるはずないと思っているので
味方をしてくれることはなく、
こちらの気持ちは分かる、と言うような雰囲気を出しても
結局は父親の言うことを聞きなさい、と言う感じだった。
大人になった私も、何か意見の相違があった時、
相手が立場が上の人だったり自分が心理的に上に置いている人だったりすると「言ってもどうせわかってもらえない」と諦めてしまっている気がする。
自分は無力だと思っている。
これはどうしたものか。
おそらく、すぐにどうにかなる特効薬はなくて、
日々自分を労ったり褒めたりしたり、
勇気を出して意見を言って案外通る、みたいな経験を積み重ねていくしか無いのかな、と思っている。
しんどいしめんどいけど、やるしかない。
思考の癖に気付けたので、「じゃあここで勇気出してみるか…」と
軌道修正できるチャンスが出来たのだとは思う。
みなさんも消化しきれない感情ありますか?
ある人は、本当に今までお疲れ様。
頑張ってきたよね。
出来る限り吐き出して
出来るだけ自分に寄り添って
前向けなくてもそんな自分にOK出して生きていこうね。
限界アラフォーきこ