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母への罪悪感を手放し、自分に幸せを許す。

こんばんは、限界アラフォーきこです。

今日は、昨年習ったアクセスバーズと言うセッションを、
出来る人同士でやりあうギフレシ会というのに参加してきた。
アクセスバーズとは頭の不必要な思考を消去してくれ、エネルギーがスムーズに流れるイメージ。頭の断捨離や人にやってもらう瞑想と言われている。

その後にサイゼリアにきて、腹ごしらえとワインを飲みながらこの文章を書いているのだが、
エネルギーが循環してるからか、めちゃくちゃアルコールが回ってるのを感じる。笑
(普段は赤ワイン一杯でそうなる事はほぼない。)

ちなみに、サイゼリアは100円でその辺の適当な居酒屋で出てくるワインより遥かに美味しいワインが出てくる。
一人でちょっぴり飲みたい時には本当に助かる。
たった500円でお腹も膨れて美味しいワインも飲める。
(調子に乗らずに1杯と最低限に抑えたら。笑)

ギフレシ会で参加者の方と話した中で、
今日はこれを書いておこう、と思った事があったのでシェアする。
まとめるのがとても難しく、文章がかなり長くなってしまったが、気が向いたら読んでもらえると嬉しい。今までで最長だ。

※先に少し書いておくと、所謂「毒親」と呼ばれるような家庭で過ごした方には綺麗事に聞こえたり、腹の立つような表現があるかもしれない。
おそらく共感はできないと思う。(該当すると感じる方は読まない事を勧める。)

母親の罪悪感

参加者の方で少し前に離婚をしてシングルマザーになった方がいた。
そしてお子さんに対して、「もっとちゃんとした母親にならないと」と自分の行動を
制限している部分があった、という話をして下さった。
自由にする事に対して、子供への罪悪感があったようだった。
セッションや他の参加者との会話の中で、
「もっと自分を楽しんでいいんだなぁ」という結論に至っていた。

私はそれを聞いて、子供サイドから感じていた事をシェアした。

「私は母親にずっと強い罪悪感を感じていて、
それは”私が生まれたことでお母さんの自由を奪った。私のせいでお母さんが沢山我慢している”という罪悪感です。
だから、 母親にはもっと自由にしてほしいと今でも思っています。」

と伝えたら、別の参加者さんが
「わかる。私も小さい時からずっとそうだった。」
とおっしゃっていて、

それを聞いてシングルマザーの方は、びっくりしていたし(自分にその発想がなかったから)
今後自由に生きる事について、少し楽になったようで何よりだった。

娘の罪悪感

母親の自由を奪った私

私の様々な行動を妨げる心理的要因の一つに、先ほど述べた母への罪悪感があると思っている。

心理学では親との関係がお金や人間関係の課題と密接に関わっている事はよく言われることで。
私は母親に対してかなり根深く罪悪感を持っているよだ、という事が最近分かってきた。

お正月に実家に帰った時にも、その辺について色々自分の中で感じたし、
感情が沢山あり過ぎて、整理仕切れていない所がある。

とにもかくにも、長女である私が生まれた瞬間から、母親の自由は絶たれたのだ、
という感覚が強烈にあり、
そんな母親から自由を奪った私が、「自由に幸せになって良い訳が無い」と思っているようだ。

自由は手に入れた。だから…

私の父親はかなり心配性で、過保護な家庭環境で育ってきた。
門限も厳しく、私のやりたい事に対して禁止される場面も多かった。

そんなこともあり、私は「自由」を渇望している。
何かやりたい事があると、父に知られれば反対されると思って内緒ではじめる。

今こうやって匿名で文章を書いているのもその影響もあるのかもしれない。
自分のことを知っている人に見られて、否定されて止められて足を引っ張られるくらいなら、知られたくない。といった所だろうか。

そう、自由を渇望しているから、
お金に困っていて、実家から帰ってきなさいと言われても頑なに帰らない。

親とめちゃくちゃ仲悪いとかではない。
腹が立つことや、価値観が合わない事はもちろんあるが
実家に帰れば親が美味しいものを沢山食べさせてくれ、それなりに会話だってする。

そして自由に生きている。

が、豊かとは言えない。
おそらくどこかで「自由な上に豊かで幸せになっていいはずがない」と思っている。

自分の幸せの許可を出せていない。
いや、自由はあるからそれなりに幸せだ。
でもこれ以上を許していない。

母親の名誉のために言っておくと、
母親が「私がこんなに我慢してるんだから!!!!」とか言ってくる訳ではない。

でも、母親は色んな事を我慢していたと思っているし、
私はそれをひしひしと感じていた。
(父親はわかりやすく家では何もしない亭主関白タイプだ。
両親とのその辺を書き出すと、色んな内容が出てくる。
今の能力では難しいが、いつかちゃんとまとめる。)

母親と私は違う人間

先日実家に帰って感じた事がある。
母親は、私が思っていたほどには、不自由を感じていなかったかも?
という事だ。

私は、最近流行りの言葉でいうとHSS型HSPというやつみたいで、
「繊細なくせに刺激を求める」ややこしいタイプ。
なので元気なときは人にあったり、新しい場所に言って刺激を欲しがる。
が、繊細なため疲れるので一人の時間も必要。
引っ越しも沢山してきたので、その時々によって関わる人間は変わる。
ずっと同じは耐えられない。

母親は、友人は私の小さい時の公園デビューで出来たママ友と
何十年と付き合いが続いていて、新しい友人は居ない。
SNSもLINEくらしかせず、友人は少しいれば良いタイプ。
(ちなみに私から見ると繊細なタイプには見えない。)

だから休日は家族(今は主に夫婦で)と過ごす事が多い。
旅行などはたまに二人で行っているようだ。
先日、母親と二人で話した時にそれについて言及したら、
新しい友達は特に要らないそうだ。

私からすると、母親の生活はたいそう窮屈に見えたのだが、
母親の中では”そんなもの”であり、
「”そんなもの"で済ませたくない!」という私とはまるで違う人間なのだ。

父親と私も違う人間ではあるが、タイプで分類すれば父親の方が私に近く、
還暦を過ぎた今も、夜な夜な遊びに行くこともある。(女性関係とかではなく)

そんな時、家で待っている母親をどこか「かわいそう」と思っている私がいた。
今思えばかなり失礼な話だ。
母は母で父親が居ない夜は、自由に家で観たいドラマをみて一人を楽しんでいるのだろうと思う。

私は、母親の幸せの形を勝手に自分と重ね合わせ、
母親をさも不幸かのように思っていたのだ。

母親の愛を受け取り、自分の幸せを許可するしかない

母親は母親で幸せだった。
そりゃあ、私たち姉弟を育てる過程で、大変なことも我慢したこともあっただろうし、
投げ出したくなることもあったかもしれない。

でも、こんな年齢になった私にも、
アボカドが好きだと言えば次の日(自分は好きではないのに)アボカドを買ってきてくれ、
いつもお香を焚いてると話をすれば、父親と行った場所でお香立てとお香を買ってきてくれる。
美味しいものがあれば、私の為にとって置いてくれる。

言葉は厳しいことを言う事が多い母だけど、
愛をいつもいつもくれていたのだ。

私が小さな頃に我慢してくれた事が沢山あったとしても、
それに罪悪感を感じるのでなく、愛として受け取ろう。

先ほどのシングルマザーさんだって、「自由にしていいんだ!」と言う気付きがあったのは確かだが、
これまでの我慢がいけない事だった訳じゃない。
お子さんの事を愛していて、その表現として我慢するしかないと思っていただけだ。
その他の愛し方を知らなかっただけだ。

ちょっと締め方がわからないのだが、
私が母親の幸、不幸を決めるなんて烏滸がましい話であり、

私は母親からのその愛を受け取り、自分は自分で幸せになる他
出来る事はない。

両親は、たまに過保護が過ぎて鬱陶しいけど
私が幸せでいる事を望んでくれているのだ。

自由で、豊かで、楽しく、幸せになって良い。
いつもいつも、自分に許可を出そう。

まとまり切っていない気はするが、今日はここまで。
もしここまで読んでくれた人がいたら、拙くて長い文章を最後まで読んでくれて本当にありがとう。

限界アラフォーきこ


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