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この世のルール設定を本気で考察してみた④

前回の続き
“観測行為のプロセス”の、今回は「観察される側」について考えてみます。


ではこちらが観測される時の場合。

こちらから見た場合、先方からは、「個」である空間の界面(外縁部)から矢印が飛んできます。

何故かというと、その空間内がそのまま「個」の構成要素なので、それを包括してる外縁の部分からの矢印が来ます。


そして同じように観測結果を持ち帰り、先方の結果処理を行っているわけなのですが、こちらからは観測される矢印が到着した時に、先方の「外縁部」が見えます。

先方の観測したという行為は、対称として観測された側を作り出すので、
こちらは観測されたら感知して相互作用が発生します。


観測され感知をすると、見える場合や聞こえる場合、香りなど感じる場合、思い出す場合など色々あると考えます。

この違いは、空間内の定義によるエネルギー構造体の性質により、
飛ばしてきてる矢印の種類が違い、色々な感じ取り方をするのではないかと思ってます。

生物に限らず、自然や建造物や物や記憶、観測できるものとは全て、
あちらからも観測され、相互作用しているという事です。

膨大な相互作用なので、もちろん無意識化で行われていると思います。

日常で、突然何かがふっと頭に思い浮かぶことありますね。

そういう時、もしかしたらその思い浮かんだ何かから観測されてるのかも
と思うと面白くないですか?


顕微鏡で見てミクロの世界で見るとスカスカなのにというのは、
可視光の周波数帯を表現している意識体を観測した場合、空間構造の外縁部が見えてるから詰まっている実体として見えているのかも…

空間維持の為の定義設定と自己表現が意識の役割と先に申しました通り、
意識にとっては“外縁部がどう見えてるか”というのは大きな自己表現の一つなのです。
(人間にとっての外縁部は、身体ではないので、雰囲気やどんな属性かや、オーラ的なものですかね)

ルフィはたしか周りを巻き込んで仲間にしちゃう属性

という事で、個が矢印を飛ばし、飛ばされた側は到着と同時に認知し、こちらも矢印を飛ばし、互いに認識し存在の確定をするという観測行為を知らぬ間に行い、知らぬ間に自分の存在由来の一部を託しあうという事をしています。


認識による存在確定が、このように共依存で成り立っているとすると、「承認欲求」というものはあって当然だという事になりますね。
誰とも相互作用しないと自分が世の中に存在していない様な気がするのは、生理的な現象に近いと考えられます。

生理現象を抑えろとか感じないようにするとかって解決策にはなりませんね。

天才の作り方もガチ考察してて、この意識空間仮説のあとに続きますので、よろしかったら引き続きご覧ください。


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