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人の信頼を失う方法。

さて、宮迫さん達芸人の闇営業問題のアレコレが今も騒がれていますが、昨日のワイドナショーで松ちゃんが、「宮迫に直接電話して、ギャラをもらっていないっていうウソは通らないって言った」ってのが流れてました。

まあ、状況的に、そう言われたとしても後には引けないことになっていたのかもしれませんが、松ちゃんに忠告されてもウソを通すことを選んだのね・・・、っていう感想も持ちました。

というのもね、先日、ココリコの遠藤が、「ガキの使い」の収録日前にはいまだに緊張するし、ダウンタウンに挨拶しに行くときもいまだに緊張するってことを言っていたんですね。

宮迫も、売れたキッカケはガキの使いの出演だったわけで、その後に松ちゃんと親しく付き合うことがあったとしても、先輩の忠告すら聞けなくなってしまったんか・・・、ってのがね、ことの顛末を見ている第三者としては、非常に学ぶことの多い事案なんですね。

先日も、「嘘をついてはいかん」って意味の記事を書きましたが、何がしかの過ちを犯してしまった時には、誠実に、正直に、嘘をつかないようにしなくてはいかん、ってことと、どれだけ地位や名誉やカネを手にしても、お世話になった人の話は聞くだけの肚と耳を持ってなきゃ行かんよなあ・・・、ってことを改めて思ったわけです。


「ギャラはもらっていない」ってことを言っていた時のラジオでも、謝罪はしているものの、一々ね、自己弁護が入るんですね。

「出たがりで、調子乗りなのでそういうところに行ってしまいがち」ってのはわかるんですが、「盛り上がっていないと思うと2時間汗だくで盛り上げる。そんなことはしなくてもいいのにやってしまう」とかっていう自己弁護がね、最初に聞いた時も「微妙・・・。」って思ってましたが、「全部ウソでした~~~~!!」ってことがわかってしまった後に聞くと、トコトン「ダメだなあ・・・。」っていう感想になります。

同じ内容を、他人が言うのならば信憑性も出る話ですが、自分で自己弁護の為に言うと、それが事実だとしても聞いている人は不快になります。

自慢話と一緒ですよね。

自分で自分のことを守り、褒め称える方法論というのは、それが有効に作用する場面というのは本当に少ない。

「俺って凄いんです!」って意味のアピールが問題なく通用するのは、会社やなんかの入社面接くらいのもんじゃないですか?

その他の場面で自慢や自己弁護がプラスに作用するケースが浮かばないんだよなあ。


というわけでね、


過ちを犯してしまった時に
・ウソをつかない
・事実をありのまま述べる
・誠実に対応する
・自己弁護をしない
・真摯に謝る


ってのは大事だし、


自分がどれだけ偉くなろうが、他者からの忠告(特にお世話になった人)は、
・きっちりと受け止める
・忠告されている時点で事態は相当やばくなっていると理解する


っていう姿勢も大変大事であると思った次第です。

ほんとね、俺が、お世話になった人から電話をもらって、「あそこはどうなの?」ってことを言われた時に、「うるせえなあ。オレはオレで大変なんだし、言われなくてもわかっているよ。」的な態度と思いを持つようになったら、マジで終わりだな・・・、ってことを想像してました。

他人からの信頼を失った時に、そこに残るものってなんでしょうかね?

相手からの信頼を失った時に、俺のところに残ってくれる人の姿を想像出来ません。

想像すればするほど、本当に恐ろしいことです。

ただ、人間、「やばい状況」になった時には、瞬間的に反射的に保身のためにウソをついてしまう弱い生き物でもあります。

だからこそね、普段から、「そういう態度はダメだよね。」ってことは認識しておいた方がいいし、お子さんがいたり、教育的立場にあって教育する対象がある人には、常日頃からリアルガチで口を酸っぱくして言っておいた方が良い話ですね。

宮迫さんたちには悪いですが、今回の一連の事件の流れは、自分たちが引き起こしたことについての対応の悪さと、それによって失ったものの大きさが目に見えてわかる、って意味で、リスクマネージメントについての本当に良いモデルケースであります。

「ウソをつくとこうなる」「信頼を失うとこうなる」ってことが痛いほどに見えますので。

「信頼を失うこと」ってのは、本当に恐ろしいことです。

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