「何を言うか?」ではなく、「誰が言うか?」という人格の問題。
「コミュニケーション」っていうのはね、技術だと思うんですね。
もちろん、天性の資質だったり個性だったり、人見知りする人と社交的な人では方法論は変わるのは当然ですが、「人見知りで性格が暗くて口下手だからコミュニケーションは無理です・・・。」って嘆く必要はありません。
人見知りだろうが、性格が暗かろうが、口下手だろうが、「出来れば家に引きこもっていたいし、それが1番好き♡」という人であろうが問題はない。
「技術」だから。
技術を学んで、技術を磨けば、多くの人が悩んでいるコミュニケーションのアレコレは、ほぼ解決すると思います。
「技術なくて、個性・人格の問題」だと思っているから改善されないだけです。
が。
とは言っても、コミュニケーションにおいて、どう考えても技術では磨けない領域というのもあります。
ん~、もうちょい言い変えてみると、「磨けないことはないけれど、磨くのがすんごい大変な領域」。
それこそが、「キャラクター・人格」の1つの場所ですね。
やはりね、「根っから明るい人」とか、「根っから人に好かれる人」、「なぜか、何をしても許されてしまう人」というのはいるものです。
「技術を磨くこと」によって、70点、80点のコミュニケーションを身に付けることは、努力次第で誰でも出来るようになると思っていますが、100点は厳しいです。
その、「80点から100点まで」の間の階段は、想像以上に高い。
それは多分、キャラクター、人格、個性というものを混ぜた上での「人間力」というものなんでしょうね。
それは天性のものもあれば、人生の経験と体験によって培われたものでもある。
その1つの事例が、タイトルに書いたものですね。
他の人に言われても何とも思わないのに、「あの人に言われるとすんごい沁みるし、響く」って人っていません?
同じことを言われても、特定の誰かの言葉が、やたらに心に衝撃を与えてくるというか。
それは、もちろん、自分との相手との関係性の強さや深さ、大きさもあるのでしょうが、そこにはね、「相手の人格が言葉以上の何かを伝えてくる」ってところが確かにあると思うんですね。
で、こればっかりは、技術で磨くことは難しい。
経験と体験と信念と、スタイルと哲学と行動と、そういうもの全部が統合されたその人の人生が、その人のキャラクターに落とし込まれた時ににじみ出てくるオーラのようなものだから。
そういう人格的なオーラを身に付けるにはどうしたらいいか?
ちょっと考えてみましたが、それは、
「自分に嘘をつかず、自分を大事にした上で、自分が美しいと信じることを日々、一生懸命やっていく」
ってことを続けていた上で出てくるものじゃないですかねえ。
これは、私が「この人の言葉は沁みるなあ・・・。」って思う人のアレコレを考えた時に、「そんな感じのことをしているかなあ。」って思ったことですね。
「人に好かれよう♪」とか、「心に沁みるアドバイスを言えるような人になろう♪」とかっていう浅ましいことを考えても手にできるようなものではありません。
残念ながらね、そういうのは、感受性の強い子供でも見破れるものですし、それなりに人生経験を積んだ人にも速攻でバレてしまう仮面でしかないので。
「コミュニケーションは技術」だけど、その先にはちょっとやそっとで崩れることのない、「高潔で美しい人格が必要である」という、当たり前の話をして終わりにしたいと思います。
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