ハラスメントという言葉をなぜ用いるか【活動報告No.4】
「リハビリテーション業界は、ジェンダーやセクシュアリティに対して課題意識が低いのではないだろうか…」
そんな疑問を持ったメンバーが集まり、月1回程度のペースで勉強会を開いています。この記事は、その活動報告です。
ジェンダーやセクシュアリティはセンシティブな面もあり、日常生活の中で触れる機会は少ないでしょう。しかし、誰かの人生の一部に触れ、時にはプライベートな領域まで踏み込んで支援をする立場のわたし達にとっては、見過ごすことのできない問題でもあるのではないでしょうか?ひょっとすると、「勉強してみたいな」と思っている人は少なくないのかもしれません。
このリポートは、どこかの誰かの、そんな些細なきっかけになることを願って書いています。
はじめに
2022年2月4日、『リハ職のジェンダーとセクシュアリティを考える会』にて4回目のシェア会を行いました。
前回の記事はこちら
1回目の活動報告はこちら
今回の参加者はジュンさん、ゆりこさん、そして記事を担当しているわたし(なおこ)です。ジュンさんとわたしは理学療法士としてそれぞれ訪問看護ステーションに、ゆりこさんは建設関係の会社に勤務しています。
今回、取り上げた記事はこちらです。
この記事はわたしから提案させていただきました。
記事を執筆された信田さよ子さんは臨床心理士としてアルコール依存症、摂食障害、DV、子どもの虐待をはじめ、親子・夫婦関係、アディクション(嗜癖)に悩む人たちやその家族、暴力やハラスメントの加害者、被害者へのカウンセリングを行いながら、『母が重くてたまらないー墓守娘の嘆き』(春秋社)や『後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと』(講談社)、最近では『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(角川新書)など、多くの著書を出版されています。
カウンセラーとして多くの人々に接する中で、それぞれが抱える問題を“個人”だけでなく“家族”や“社会”の構造から読み解き、わたし達全体の問題に焦点を当てていく信田さんの著書は、対人援助職に従事するわたしたちにとっても大切なことばかりが書かれています。
今回の記事は晶文社の『SCRAP BOOK』というサイトで連載されているものであり、第1回『ハラスメントとは無縁であるはずの場で』に続く2回目のものになります。以下、序文のみ引用します。
セクハラ・性暴力被害を言語化することはむずかしい。ましてや、それが「よきことをなす人」たちの組織内で起きたときの場合は、さらに複雑な事態となる。そもそも、セクハラ・性暴力はなぜおきるのか。「よきことをなす」ことが、なぜときに加害につながるのか。被害を言語化するのにどうして長い時間が必要になるのか。セクハラ・性暴力をめぐる加害・被害対立の二極化を越え、真に当事者をサポートするための考察。
シェア会では、記事について各々の立場から感じたことを話していきました。
シェア会の様子
1.記事を読んでみての感想は?
ゆりこ:
“相手にとっての「善意」がセクハラになる”という部分に共感しました。わたしの周りにも、会うたびに「子どもはまだか」「ふたり目はまだか」と言うおじいちゃんの社員がいます。不妊治療をしている人だったり、人によっては「うわっ」てくることもあると思う。
私じゃない人、たとえば後輩たちに被害が及ばないようにしたいと思いつつも、社内で定期的行われるセクハラに関するアンケートに、そのことについて指摘できなかった自分が嫌だな、と思うこともありました。
なおこ:
セクハラを受けた側は言うなれば“被害者”なのに、それを指摘できなかった経験で二重に苦しむのは理不尽ですよね。
ジュン:
“モラハラ”ではなく“セクハラ”と表記することには意味があると思っています。
セクシュアルではなく、モラルという言葉に置き換えると、大きな枠組みになってしまう。これによって特権を持っている側の人たちが、自分たちに都合の良いように言い換えてしまいやすい。対して“セクハラ”という単語によって女性たちは声を挙げやすくなるのだと思います。
2.実際に“セクハラ”という単語を用いる場面について
なおこ:
以前、男性の利用者さんから「必要以上に身体に触れられている」と感じ、上長に相談しました。内容についてここでは深く触れませんが、最初は言葉だけだったセクハラが徐々にエスカレートしていきました。ご本人はあくまでスキンシップのつもりだったと思うのですが、密室にふたりきりになる状況でこのままではまずいと思い、他職種も含めて周りに相談をしました。
わたしが周囲を頼らなかったのが悪いのかもしれませんが、セクハラの経緯や具体的な内容を第三者に説明するのはなかなか精神的に辛いものがありました。それに、外部の方から「(利用者さんが)そういう人には見えない」といったようなコメントをされて、さらにショックを受けたのも覚えています。
ゆりこ:
たとえば殴られて青痣ができたり、目に見える被害がないと軽く扱われてしまうのでしょうか。セクハラをされるという経験がすごくしんどくて気持ち悪いものだということが、わかってもらえないのはひどいですね。「触られただけでしょ、よくあるんだから我慢すればいいじゃん」て、片付けられてしまうような。
なおこ:
そのときは、利用者さんにその場で注意をしたのもあって、その時点でセクハラは止まりました。だから「このままこの件は流されるのかな」といったような印象も受けました。でも、「“他人の身体に許可なく触ること”は安易に許容していい行為じゃない」と、本人も含めて周りにも自覚をして欲しいし、もっとセンシティブに扱って欲しいと思いました。
ゆりこ:
別にセクハラをしてくる相手に社会的制裁を加えたいわけではないんですよね。そういうときに、立場が上の人が「あの人が嫌がってたからやめてよ」って声をかけてくれれば良かったのかもしれません。
3.セクハラを防ぐには?
なおこ:
教育や相談窓口のような王道パターンではなくて、どうしてこれは良くないのかとか、何をしたらダメなのか、共有できる場が欲しいです。
ジュン:
ハラスメントに関する啓発は、表面的なものが多くて十分に行き渡っているとは言えないような印象を受けます。
なおこ:
何年か前に理学療法士協会からハラスメントに関するポスターが配られましたが、目に付く場所に『何でもハラスメント』と書かれていて。これを見て逆にハラスメントを指摘しづらくなってしまったように思います。これってトーン・ポリシング(論点のすり替えの一種であり、発生論の誤謬に基づいて人身攻撃を行ったり議論を拒否したりする行為)ですよね。
(公社)日本理学療法士協会啓発ポスター
ジュン:
『性的冗談』といったわかりにくい表現とか、このポスターは他にも気になるところがいくつかありますね。
ゆりこ:
たしかに『何でもハラスメント』だな、と感じる場面もありますね。でも、そういう言葉で一括りにするのではなくて、ひとつひとつの相談に根拠を持って対応するような気概が欲しいところですよね。
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ゆりこ:
教育というと、わたしの職場には根付いているかな、と思っていて。うちの会社では「それダメだよ、セクハラだよ」と、男性職員同士で冗談まじりで指摘できる空気もあります。以前、社内でパワハラがあって、どうしたらそれが起こらなかったとか、どういう予防策をしたらいいかとか、具体的な研修が始まりました。
なおこ:
パワハラがあったときに、対応として会社内で研修をしてくれるのは羨ましいです。病院で働いていたときは、セクハラやパワハラがあってもそこまで踏み込んだ研修はなかったな。
ゆりこ:
「研修をしなきゃいけない」、「全体で共有しなきゃいけない」と感じるレベルが上がってくるといいですよね。ハラスメントを受けて退職してしまった人もいて。簡単にひとりの人の人生を狂わせるものだと、もっと自覚して欲しいな、と思います。
なおこ:
医療現場は患者さんや利用者さんの安全に直結しない問題だと軽く扱われやすい印象があります。そういう意味でも職員に対するセクハラは軽く扱われてしまいやすいのかもしれません。
ゆりこ:
建設業界だと、現場でも同じことがおこりますね。クローズな場になるほど、倫理的な問題が見過ごされやすい。
ジュン:
なかなか答えの出ない、難しい問題ですね。
まとめ
今回は、信田さよ子さんの記事を通して『セクハラ』について考えてみました。
時代の流れとともに改善されてきている印象もありますが、まだまだ対応が遅れている部分があるのも事実です。ゆりこさんのコメントにもあったように、「ひとりの人の人生を十分に狂わせてしまう」事象である以上、見過ごされ続けるわけにはいきません。
「◯◯と言ってはいけない、してはいけない」というマニュアル通りの対応ではなく、どうしてそれがいけないのか、なぜ相手を傷つけるのか、ハラスメントを因数分解していく必要があるように感じました。
また、具体的になにが嫌なのか、被害を受けた側が指摘をしやすい空気はどうしたら作られるのか、もう少し踏み込んだ考察が必要であるようにも思えます。
個人やそれぞれの企業・団体の努力に任せてしまうのではなく、社会全体で問題視していく空気をつくるためにはどうしたら良いか、引き続き考えていきたいと思います。それから、もしも一緒にこの問題について考えてみたいという方がいらっしゃいましたら、声をかけてくださると嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
記事:楠田菜緒子
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