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041_Sébastien Léger「Giza」

「狙うはエジプトですよ!城田さん」
「エジプト??おい、お前、頭正気か?」

俺、エジプトなんてピラミッドとスフィンクスしか思いつかないよ。そういえば、新婚旅行でエジプトに行っていた同級生がいたが、あいにく俺は、海外にはハワイとグアムにしか嫁と行ったことがないんだ。

というか、うちの会社、大丈夫なのか。(俺も含めて)こんな若造なんぞに、ほぼ社運を任せてしまって。若造とは言っても、30歳を迎えた俺と河野は3歳くらいしか歳は違わない。それもこれも、あいつが童顔すぎるからなんだが。

役員会は3日後。社の海外事業戦略を決定する大切な場が迫っている。ここに来て、ジャストアイデアで乗り切れるもんじゃないんだぞ、全く。果たしてこのプロジェクトは成功するのか?俺の河野のアイデアに対する最初の印象は、まあ正直そんなところである。

「やるしかないっすよ、城田さん。ここは集中です、集中。エジプトに集中!」「お前な」

俺の真似をしてるんだろう。グッと握り拳をしてふざける河野を小突く。俺はよく、河野に声がけする時に「集中しろ、集中」ということを、無意識の口癖にしているらしい。たぶん俺が高校までずっとバレーボールに打ち込んでいて、その時のチームの声出しの時に、よく使っていたフレーズだったんじゃないかと思う。

俺は大学在学中は、散々夜な夜なクラブに通っては4年間遊び倒した結果、単位は当然に足りるわけがなく、親に土下座してなんとか1年の猶予をもらった。そこから俺はバレーボールで培った並々ならぬ集中力で、鬼のように単位を収集しつつ並行的に就活もこなし、最終的には無事に卒業してこの会社に潜り込むことができた。今でこそ自分でもよくやったなと思うが、その時はもう必死だったのだ。

今俺が働いているその会社というのは、何を隠そう「オムツ」の会社。会社の主力商品は赤ちゃんや老人向けのオムツである。内定をもらった当初、大学の同級生やら周囲には散々にいじられたが、今となってはもう全く些細な笑い話である。俺はこの主力製品であるうちのオムツの海外事業展開を担当する部署におり、河野と一緒に日々真剣にオムツと向き合う毎日を過ごしていた。

俺と嫁は絶賛妊活中だが、あいにくまだその兆しは見えない。早くうちの商品を我が子に使わせて、いちユーザーとしての視点というものを持ちたいものだ。こんな話をよく家で嫁に真剣に話すものだから、嫁からは半ば呆れられている。

ご存知の通り、日本においては今後もますます少子高齢化の傾向が進み、赤ちゃん用オムツの需要は落ち込むが、対照的に老人向けの需要が伸びていくこととなる。その2つの要素が国内市場においてはトレードオフのように作用することから、国内需要は安定している。そこに加えて、人口増加によって今後の需要が大きく見込める海外の新興国向けに、日本のオムツを売り出していくというのがうちの部署の大きな使命だ。オムツは今後、海外でも絶対伸びていく市場だ。

日本のもの作りは海外でも通用する、それはオムツにおいても然り。高品質であるのに決して高価格ではない、まさに高付加価値を持った日本のオムツを海外に向けて打ち出していかなければならない。その狙うべき海外市場はどこか、ということで、河野と真剣に議論していたのだ。

しかし、「集中」か。河野からふと出た言葉に、少し考えが及ぶ。果たしてそれは正しいものに集中しているときはいいが、それが外れた時のダメージはでかい。俺が頭に思い浮かぶのは「選択と集中」、ビジネスや経営戦略でよく聞くキーワード。複数の分野に渡って多角的に経営を行なっている企業などが、自社の中核となる事業分野を見極めて、そこに集中的に経営資源を投入することで、抜本的な企業の成長を目指すやり方だ。河野の言うエジプトとやらが、うちの資源を集中して振り向けるべき正しい選択肢たり得るのか?

とりあえず、河野の話を一から否定せずに、冷静に聞いてみることにした。

「エジプトは地理的には北アフリカと中東のちょうど結節となる場所に位置してます。国際的なビジネス市場という観点から、エジプトを語る上でどうしても避けることはできない要素がスエズ運河の存在です。この巨大な運河のおかげで多くの貨物船やタンカーが、わざわざアフリカを回らずヨーロッパ地中海から紅海に抜けることができるんです」高校の地理の分野の話だな。俺が少しチャチャを入れる。

「この世界の流通を左右する交通の要所であるスエズ運河に、エジプト政府は今、スエズ運河特別経済区というのを設けて、そこの4つの工業団地に海外企業の工場を多く呼び込もうとしているんですよ」俺は河野の話も、頭に入れつつ、「エジプト ビジネス 市場」でグーグル検索をサクッとかけて出てきたページを真剣に何個か見始めた。

エジプトの人口は現在国内で約9000万人。アラブの春から7年が経ち、政治的な混乱から、低迷してきたエジプト経済は、民主化のポジティブな波をとらえここにきて回復の兆しがみられる。そうか、確かにエジプトは今後、人口増加と外国企業誘致による海外からの投資が合わさっていく国だと言えるんだな。

すでにうちより大きい国内大手のオムツ会社も、エジプトの市場に大きな活路を見出している。なるほど、そこでうちのオムツが狙うのは中価格帯、具体的には言えば大体日本円で言えば1,000円未満あたりってところか。現状で言えば、エジプトの参入投資コストも東南アジアより低い。これは、狙ってみる余地はありそうだ。

「なるほどな、お前の言いたいことはわかる。よし、じゃあこれでいっちょプレゼン組み立ててみるか」
「いよっしゃ!やりましょう!」

会社への役員会での説明まで残された日数は3日。そこから、俺たちは夜遅くまで、プレゼン資料を細部まで作り込み、役員からの想定応答なども詰める。前日の最後の詰めの段階で俺たちは河野と一緒に作業用に借りっぱなしの会議室で、プレゼンの流れを確認していた。いよいよ、役員会は明日の10時。おっしゃー、一息入れたところで、不意に河野が叫び出す。最近全然寝れてないから、明らかに二人のテンションがおかしくなってきている。

「俺、最終的にはエジプト支社の支社長になるつもりですから!」
「おう、俺すっ飛ばして、お前が支社長かよ、マジ大きいこと言ってくれたな、よし、いっちょ朝までスパートでやって、一気に資料仕上げるか。待ってろ」
俺は会議室に設置したスピーカーから大音量のダンスミュージックを流した。懐かしい、俺がDJをしていた時によく流した曲。渋谷のあのクラブには、もう7、8年行ってない。

ここで、覚悟を決めろと言わんばかりに、河野にエナジードリンクを手渡し、ここで燃え尽きてしまうんじゃないか、ってくらいの危うい集中力を持って、2人で資料は朝7時になんとか仕上げた。朝、会社に来た掃除のおばさんが、大音量が流れる会議室に掃除道具を持って入ってきて、何事かという視線を俺たちに投げた。

待ってろ、エジプト。半ばフラフラした意識の中で、それが俺と河野の合言葉だ。


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