005_聖剣伝説2Original Sound Version
ふと、不意に思い出す時がある。夜のとばりの中に、朝の静けさの中に、日中の日差しの眩しさの中に、人混みの喧騒の中に。ほんの一瞬だけ。海の泡にように、現れては消えるイメージのように。幼い自分が、父か母かよくわからない誰かに、手を引かれてとぼとぼと道端を歩いている。どこかに向かっているのかはわからない。
自分はこの道の先に、何かご褒美を買ってもらえるんだろうというぼんやりとした期待があるのか、時折自分の手を引く人物の顔をねだるように見上げるような動作をする。逆光になっているせいかよくわからない。その人は自分に微笑みかけるような、かといってどこか感情がないような曖昧な表情をして私を見つめ返している。幼い私は、またきっと前を見つめる。どこかの兵隊が行進するように、さかんに前後に手を振る動作をする。
途中で、私はすごくが喉が乾いたらしい、「喉が乾いた、何か飲みたい。」私はその人につぶやく。「もう少しだから、もうあと少しだからね」そのような同じやりとりを何回か繰り返す。「もう少しだから。」決まってその人は言う。でも私たちは決して目的地にはたどり着かないし、私の喉の渇きを潤してくれるものは何ももらえない。段々と足がだるくなってくる。もう嫌だ、歩きたくない。おうちに帰りたい。お布団に入っておねんねしたい。
やがて私たちは、町の舗装された道路から、藪の絡まるような深い山の中に入っていったようだ。いつの間にか、日は落ち、辺りの景色は急激に色彩をなくしていく。急に私の胸はキュッとした不安に締め付けられる。怖い、暗い、ここにはいたくない、これ以上進みたくない。私の手を引く誰かの顔を見上げても、暗くてよく見えない。
「ねえ、帰りたいよお、おうち帰ろうよ」今まで私がつぶやくと「もう少しだからね」と優しく答えてくれたのに、もう何も言ってくれない。幼い私は、更なる不安に苛まれる。この先はもっと暗い。この先はすごく寂しい。そう思っているのに、私は顔も見えない誰かの手を引かれて、歩を進まざるを得ない。
「そうだ、あゆみちゃんのところ行こう、ね、あゆみちゃん」私は幼稚園の年長組ですごく一番仲の良かったあゆみちゃんの顔が急に思い浮かんで、もはや助けを求めるような気持ちであゆみちゃんの名をつぶやいた。「あゆみちゃんのところ、ねえ、あゆみちゃん…」そして、私の手を引いていた誰かはそこで急に立ち止まる。「もう行けない」不意に諦めたような、見捨てられたような声がした。私も思わずビクッとして、所在なさげにその場で立ちすくむ。瞬間、繋がれていた手は不意に解かれた。
そこで、私は、辺りがぼんやりとしたもやに包まれているような不思議な空間の中にいて、今まで手を握っていてくれた誰かの事も既に忘れていた。むしろ最初からそんな私の手を引いていてくれて人などいなかったような心持ちがする。「あれ。なんだろう。」そこで、私は、何か目の前にもさっとしたぬいぐるみのような、毛玉のようにもふもふした物体がいるのを感じている。そのもふもふとした何かは、よくわからないけど、何かずっと自分がお昼寝の時にお気に入りで使っていた熊のブランケットのような、あのすごく単純な安心感と温かみを私に与えてくれる気がする。不安や恐怖心は既になく、子供ながらの好奇心の方が勝ったようで、私はしゃがみこんでそのもふもふを眺めていた。
「ふふふ。」私はもふもふを覗き込んで、微笑みかけた。もふもふには顔のようなものがあるのだろうか、無表情ながら応えてくれたような気がする。私がもふもふに手を伸ばそうとすると、急にもふもふは、のっそりとした緩慢な動作で、しゃがみ込んでいた私の周りを回りだした。「どうしたの。」私は少し不安になったが、ぐるぐる回っている、そのもふもふの様子をしばらく眺めることにした。
何周か回るもふもふを眺めていた時、なんとなく自分の頭の上からだろうか。くぐもった声がした。「こりゃ、いかんなあ」いったい誰の声だろうか、おじいちゃんのようなおばあちゃんのような、そんな心底困ったようなお年寄りの声色で語りかけてくる。「おうち、帰ろうなあ」その声は言った。
「うん。おうち帰る」私は応じた。「こっちゃ来い」おそらく声の主はもふもふではないのだろうけど、もふもふはその声の主の命に応じて、のっそりとした動作でゆっくりと私の前に動き出した。ついていけばいいんだ、私は幼心にとても安心したように、もふもふの後をついて歩くことにした。幼い私の歩調とほぼ一緒だ。もふもふの毛先には、蛍のような明滅する光の粒のようなものがキラキラしていて、それが目印になるようにとても私の目を引いた。あれに触りたいな。あれだけ足が疲れていたのに、私はいつの間にかまた前後に手を振り行進しだしていた。
それから、いくら時間が経過しただろう、いつに間にか私は自分が家族で住む団地の公園の中にあるいつものお気に入りの遊具の下の空間にしゃがみ込んでいるのに気づいた。そこは、かくれんぼでいつも隠れる場所だ。キュルキュル、おなかがひどく空いている。おうち帰らなきゃ。お母さんのご飯、食べなきゃ。
不意に自分がずっとぎゅっと固く手を握り込んでいたことに気づく。ゆっくりと手のひらを広げると、キラキラした光の粒がふんわりと遊具の中全体に広がった気がした。たぶん、もふもふにくっついていたあの粒だ。海の中の夜光虫にように浮かんではすぐに消えてしまった。
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