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009_レイハラカミ「Lust」

忙しいという漢字は、「心を亡くす」と書く。

その通りだと思う。大学卒業して、この証券会社に勤め出して8年。僕は毎日、株価の上下を示す無機質なチャートを眺め続けていた。いつしか並木道で冬枯れした木々も、オフィス窓から乱立したビルも、その全てが「そういう動きをするチャート」の一部でしかないように見えるようになっていた。

日中は戦場のような職場で神経をすり減らし、株価のチャートの動きに一喜一憂する。意味があるのか、ないのかわからない値動き。深夜にタクシーで帰宅した後は、無表情なキャスターが淡々と読み上げる株価のニュースを見ながら、ひたすらスナック菓子を頬張る。ジャンクフード特有の脳の痺れるような塩分と油分でいつしか肌も荒れ、日に日に、目からは生気がなくなっていた。

この1年ほどは、他部署がクライアントとこじれさせた案件の火消しと後始末に動員され、最終的に数千万円近い損害を会社に与えた。僕は明らかに疲弊しきって、限界を迎えていた。朝、体がうまく動かず、いつもより遅く起き出した僕に、見かねた妻からこう切り出された。

「あなたね、とりあえず休んだ方がいい。何も考えずぼーっとして心と体を休ませるの。わかった?」

「うん。」

「もう職場には電話したの。休ませて欲しい、って、さっき、あなたの上司の田中さんに電話で伝えた。このままじゃ、夫の体が壊れちゃうって。ね、だから、遠くの静かなところに行きなさい。」

きっぱりと妻が言う。質問を許さない感じだ。こういう時の妻の対応は早い。大学時代からの付き合いだが、妻はよくバックパック一つ背負って東南アジアをまわったり、NPO法人に参加して募金を募ったりした。(僕は新婚旅行で妻とハワイに行ったのが、はじめての海外旅行だ。)

あの時も、大きな結婚式の式場を予約していて、実家の僕のおばあちゃんが急遽亡くなってしまった。その時のキャンセル対応など手早かったし、まったくそつがない。独特の人を見る目と嗅覚を持っていて、生き抜くという術に長けているように思える。

「あなた、この仕事向いていないと思うの。株とか、証券とか、もう毎日、っていうか毎秒とかでバーッと変わってさ、色々と動きが過剰っていうか、ペースが激しすぎじゃない?自分でも、そう思わない?」

「それは、そう思うよ。」

一息つく。妻の言うことは理解できる。動きが激しすぎる。別に僕が緩慢に過ぎる、というわけではなく、僕の周りを取り巻くもの、その見るもの全てが、過剰すぎるのだ。器から水が溢れ出ていくのを毎日眺めていて、それに頭と心と体がついていけていないのだ。

「うーんじゃあ、一体どんな仕事なら、僕に向いていると思う?」

「そうね。鳥の餌やりとか、かな。」

普通の人が聞いたら怒るだろうが、僕の妻はそういうことをいかにも、真剣そうに言える人だった。全くの悪意なく。それが唯一の答えかもしれないと思わせるのも、いわゆる彼女の特技かもしれない。その性質もよくよくわかっているし、何しろ僕はその時考えること自体が苦痛だった。僕は力なくこう答えた。

「そうだね、そう思うよ。」

「じゃあ、探しに行ってみれば?鳥に餌をあげられる場所。」

「うん。」

母親に諭された子供のようにそううなずき、僕はコーヒーを飲み干して、窓に映る落ち葉を見ながら、こう考えた。

「鳥がいるなら、湖かな・・・。」

そんな風に、安易な連想ゲームをしているだけであることに、自分自身で自覚していない。僕は真剣に、鳥に餌をやりに静かな湖畔に行こうと思っていた。

といっても、自分の足がいきなり山中湖や阿寒湖などに足が伸びることはない。自分でもそこはよくわかっている。僕はまず実家に帰った。実家には両親と兄夫婦がいる。

「プロジェクトが一旦区切りがついて、まとまった休みが取れたから、たまには、と思って」とだけ伝えた。

「まあゆっくりしろよ。」やつれ切った顔をした次男坊に対して、家族は皆優しかった。兄は市役所に勤めて、兄嫁は地域の介護ケアセンターの仕事をしている。一昨年に生まれた初孫に両親は顔をほころばせるばかりだ。

家族と自分は悪い関係にはない。ただ、自分の居場所は、ここにはない。湖、鳥、餌やり、自分が今考えているのはたったのこれだけだった。それが至極滑稽に思えた。

「忠雄おじが、いただろ。」兄貴が夕飯時、酒と肴をつまみつつ、つぶやいた。

「うん?親父の2番目の兄貴の、だっけ。」

「そう、おじさん、奥さん先にいっちゃってから、ずっとあの家で一人で暮らしててさ、この前、転んで一人で動けなくなって大騒ぎになっちゃったのよ。」

「ほう。」

「だから、おじさん、隣の山超えたとこの街に住んでいる息子夫婦と一緒に住むことなってさ。あの家今誰もおらんのよね、もったいないねえ。昔、お前とも一緒に泊まりに行ったじゃん、あの立派な家。すごく眺めのいい・・・。」

「ああ、ダム湖の前の、あの眺めのいい家・・・。」

ダム湖の湖畔に建てられた忠雄おじさんのあの立派な家は今、無人になっている。息子(僕にとってはいとこ)も、木工の仕事でせわしなく働いて、家の管理などに手はまわらないらしい。久しぶりに電話をして、いきなり「しばらくおじさんの家を使わせて欲しい」と言っても、特段訝しがる様子などはなかった。皆、毎日の目の前の生活が大事なんだろう。

毎日に株価の乱高下に振り回された男が、湖に一人静かに鳥に餌をやろうとしていることに、誰も気を向けたりしないのだ。どんなにくだらない下世話なネットニュースサイトでもそんな瑣末なことは取り上げないし、やいのやいの言ってこない。世の中全てがそんなもんだ。極めて個人的なこと。

世間から見たら、ただの鳥の餌やり、ただ、自分にとっては心底大切なことに思えた。水鳥に餌を撒く自分を想像すると、波立つような気持ちはおさまり、自然と澄んだような心地になる。しばらくゆっくり釣りをするつもりなんだ、とか適当なことを言って、家の鍵をいとこから借りた僕は、昔話もそこそこに切り上げ、すぐに無人の忠雄おじさんの家に向かった。

木造のその家は築50年程度かくらいで、それほど昔から変わってない。男一人には、とてもじゃないが広すぎるといってもいい家だ。いとこがたまに掃除をしに来ており、幸い電気も水も通っている。そして、その静かな湖のほとりに誰が建てたかわからない木造の小屋がポツンと建っている。昭和か大正か、今ではもう廃れてしまったがおそらく、まだ湖で漁をしていた頃に休憩用に建てられたものなんじゃないか、と近所の気さくなおじいさんの弁。

小屋の前には静かな湖が広がっており、小さな小窓から湖を見渡せる。湖面には小さな波が立っていて、時折、魚が躍ねている。いい感じだ。魚がいれば、鳥も集まる。しかし・・・、肝心の鳥たちがあまり見つからないのだ。うむ、少し想像と違うな。湖で鳥に囲まれながら、静かに餌を撒いている自分を想像していたせいか、少し拍子抜けした。

まあ待っていれば、いつか、必ず鳥もやってくるだろうし、それまで、この古屋でゆっくり待たせてもらおう。小屋から3kmくらい離れた小さなコンビニで買ったコーヒーを啜りながら、僕は小屋の中で少し伸びをした。そう、これは誰にも邪魔されない、自分だけの時間だ。

ああ、少し眠くなってきた。早く、鳥来ないかな。



 

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