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067_At the Drive-in「Relationship of the Command」

「すいません、ごめんください」

道場の方から声がした。私は、今日の分のブログの更新やお布施の出納管理の集計作業をしていた。参拝者だろうか?もう陽も落ちてきたこの時間帯に、参拝とは珍しい。大体この時間帯くらいからだんだんと人も来なくなるので、私はほとんど奥間で事務仕事を行うことが多い。道場の引き戸を開けて、外に出て行くと、30代後半くらいと思しき、すらっとした中肉中背の男性が立っていた。対応は至極丁寧で、真面目で物腰柔らかな印象だった。

「あの、突然お邪魔いたしまして、大変申し訳ありません」
「いいですよ、ここはそういう場所です。参拝の方ですか」
「ええ、そのようなものです。あの、実はお伺いしたいことがありまして」
「なんでしょう。お悩みとか開運相談とか、そのようなものでしょうか」

私は男性が、道場の看板に掲げている文言を念頭に、相談事をしにきたのかと訝った。だが、その男性は特段深刻そうなものを抱え込んだ気配というものはない。私の目から観て、体の中の気が落ちていたり、変わったところは見受けられない。むしろ、どちらかと言えば上向きなものを感じる。

「それとは、ちょっと毛色は違うお願いとなるんですが。こちらにもしかして、龍の絵のようなものがございますでしょうか」
「龍?龍ですか。そうですね、私も自分で描きますから、たくさんあると思いますよ」
「ええ、恐縮ですがブログも拝見いたしておりまして、あなたがたくさんお描きになっている龍というのも存じております。そちらもあるのですが、いわゆるここの先代さまがお描きになったと言われる龍を拝見したく、こちらまで伺ったまででして」
「先代?では、先代開祖の龍をですか」
「はい、おそらく」
「そうですか。わかりました、それではあなたのいる場所、そこから頭上を見上げてください」
「え」

彼は私の言葉にしたがって、その場で頭上を見上げた。本堂の天井絵には、先代開祖の描いたなんとも立派で荘厳な龍神のそこにおわしましている。はじめて見た人は、思わずこの圧巻の龍の絵図に必ず魂を引き込まれる心地を覚える。

「ああ、これが…」

彼はしばらく頭上の天井絵の龍神図に息を呑んでいる様子で、しばし沈黙の時が流れた。彼は龍神の絵図から目を離せず、そしてやがて瞑目し、その瞼にいまだ残る龍の御姿を噛み締めるような様子を見せた。その間、私は彼に関心を寄せた目を向けて見つめていたが、彼は私がいることを構う様子もなく沈黙してそこに佇んでいる。しばらくしてから、彼は目を開いてこちらを見た。

「ありがとうございます。こちらまで伺った甲斐がありました」
「わざわざ、ここまでこの先代開祖の描いた龍神を見に来られたのですか。こんな山奥の遠いところまで」
「いえ、場所など、全く問題ではありません。本当にこの龍神を拝見できてよかった」
「よかったら、こちらも寒いですから、奥の間でお茶でもどうですか。せっかく来られたのですから、ゆっくりしていってくださいませ」
私が、奥に案内する動作をする。
「ええ、それでは」
彼は来ていた上等なハーフのダウンジャケットを脱いで、私の後を着いてきた。

「どちらでこの先代開祖の絵の存在を見知ったのですか。私のブログで拝見したと聞きましたが、それをここまで現物を見にくるには相当の理由があるのでしょう。もし、差し支えなければで結構ですので、教えていただけますか」
「ええ、すいません、仰る通りあなたのブログで拝見させていただいております。申し訳ないですが、そこまでこちらの開祖様まで詳しく全て存じているわけではないのですが。まあ話せばすこく長くなりますが、よろしいでしょうか」
「どうぞ、どうぞ」
私は自分で出した湯気の出るお茶を飲んだ。

「私には、ちょうど10年前にお付き合いさせていただいておりました女性がおりまして。私はその折、仕事場で上司との関係が折り合い悪く、意を決して仕事を辞めてしまおうかとも真剣に悩んでおるところで、しまいには精神的なものから体調を崩してしまいました。私は藁をもつかむ思いで、方々色々なところに悩みの相談に伺ったり、考えられるあらゆるものに頼っておりました折に、ふとしたきっかけから彼女と知り合いました」

「彼女は、なんと言いましょうか。いわゆる人の悩みや精神的な汚れなどを断ち切り、その人生来に備わる心の力や魂の輝きみたいなものを見出せる能力がある方で、その力をもって日本全国や世界を回る旅をしながら人を助けていました。ここは、私もなんとも説明しがたいのですが」

「ええ、わかりますよ。私も、まあどちらかと申せばそういったことのお手伝いはさせていただいておりますから」

「それまで私も現実の物質的な世界で生きてきた人間というか、そういった精神世界に帰依した者ではありませんでしたから、彼女から受けた衝撃というか影響は凄まじいものがありました。これまでの人生が見違えるというか、自分の本当の道が見つかったようなそんな気がしたのです。ああ、これぞ自分が生涯をかけて探していた道なのだと」

「会社を辞めて彼女と一緒になろう、彼女とともにこれからの人生を歩もう、などと若いながらに考えました。しかしそこには色々な障壁がありました。私の両親やそこで私がしていた仕事、そういった現実的な問題と彼女の狭間で私はさらに悩み苦しむようになりました」
彼は一旦話を区切るように、お茶を飲んだ。静寂の時が奥の間に流れる。外ではキツツキだろうか、深い山間に鳥が鳴いている。

「いや、自分の周りのせいにするのはやめましょう。結局は、全て私自身の弱さからくるものでした。私は彼女に自分の人生を救ってもらおう、変えてもらおうとするばかり考えているだけで、己がなかったたのです。私は駄々っ子のように彼女に求めているだけで、自分がリスクを冒さずとも望むものが手に入るのだと、子供のように身勝手に考えていたのです」

「そこには、自分がまずどうしたいか、自分の人生をどのように決定していきたいのか、という気概がありませんでした。そしてそんな自分の弱さを向き合うことができず、自己欺瞞からかえって彼女に対して怒りや憎しみを抱くようになったのです。まるで、自分の作り出した箱から抜け出せないようなものでした。最終的に彼女は私の元を離れました。まあ今思えば、当然の結果なのだろうと思います」
彼はそこで一旦区切って、両手で抱え込んだお茶碗から大事そうにお茶を啜った。少し熱かったらしい。

「彼女はそういった超常の力の他に、絵をたくさん描いていました。芸術、特に絵画は、人間の魂の本性と創造性を解き放つ力があるのだと。彼女から、昔、描いたという龍神の絵を見せられたんです。それは、とてつもない力を持った絵でした。今までそんな絵は見た事がありませんでした。一度、彼女のご実家でその絵の現物を、その目で見せていただいたんですが、魂を奪われる絵というのはまさにああいうことを言うのでしょう。私は半日くらいその絵の前で動くこともかなわず、瞑想状態のような意識でずっと佇んでいました」

「それがあの先代の龍神の絵と似ていると言うことなのですか」

「そうです、私は全く同質のものを感じました。どうやら、彼女は幼い頃から、おそらくここの先代開祖様の下で修行をされていたんだろうと思います。そこで、あの龍神の絵をその目で見ていた。私も断片的に彼女から昔聞いたもので、あくまで推測でしかないですが」

「なるほど、その方も先代の門下としていらっしゃたわけですか。私もちょうど20年前、22歳の時に先代と出会って、門下としてその教えを受けました。先代もこの下界を離れ天に上りまして、2代目と言うには全くもっておこがましいですが、微力ながら今は私がここの管理を行わせていただいています。私もよく龍神の絵を描いています。先代開祖の教えの通り、絵は人間の魂を開放するもの。まっさらなキャンバスがその人自身をうつしだす鏡となるのは全くその通りです」

「はい、私は10年経ってもあの龍神がどうしてもこの目から離れませんでした。たまたま偶然、あなたのブログで先代の絵をご参考に龍神の絵を描いてらっしゃるという記事と絵を発見し、どうしてもこの目で見たいと、ここまで参った次第です」

「それでわざわざ」
「ええ。彼女とは、このようにお互い道は違え、今後会うことはかないませんが、今でもあの龍を通じてこの命脈が繋がっている、そのように感じる次第です」
「そうですね。その通りかと思います」
「差し支えなければ、あの龍神絵を撮影しても問題ありませんか。まったく素人ながら、私もあの龍神の絵をこの手で描こうと思っているのです。私が私自身の人生を歩むために」
「問題ありません、それではどうぞ」

私と彼はお茶を飲み干して、再び本堂の龍を見上げるために席を立った。彼のいう女性の存在は私は心当たりの門下はいないが、先代の龍神の絵の引き合わせたご縁に、私はなんとも感慨深い心持ちになった。


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