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063_Pharoah Sanders「Save Our Children」

僕は振り絞るような声を上げた。そうだ、この場所に戻ってきた、ずっと帰ってきたかったんだ、僕は。思い出した、この土地のこの匂い、海からの風、そしてこの高台から海を見下ろすこの景色。鮮やかに蘇ってくる、ここで過ごした子供のころの思い出。ジグザグで紆余曲折あったかもしれないけれど、全てはここに戻ってくるまでのプロセスに過ぎなかった。

羊飼いが宝物を探しに行こうと旅に出て、いろんな冒険をした後、結局自分が羊飼いとして過ごしていた元いた場所の下に帰ってきたとき、その場所に黄金の宝物が埋まっていたという話。昔子供の頃に読んだことを突然思い出した。僕は感慨に耽りながら、その場所からしばらく動けない。そうか、僕の宝物は最初からここにあったんだ。

必ず、皆若い頃はこう思うはずだ。ここではない、どこかに何かすごいものが自分を待っているに違いない。僕は子供の頃から、一つの場所にとどまり続けるのはどうしてもできない。飽き性というわけではない。ただずっと同じ場所で同じことをやり続けるのが、どうにも性分に合わなかった。だから、学校なんて場所は死ぬほど退屈で苦痛でしかなった。たぶん、日本の学校は、そういう同じ場所で同じことをずっとやらせる人を育てるための場所だからなのだろう。僕みたいな、はみ出し者は歓迎されない。

大学の友人は皆、安定した仕事、安定した将来を望んでいた。いつもみんなと同じことをしていれば安全だ。自分だけ何か別のことをはじめる、新しいことを受け入れるのはストレスだと感じているらしい。それが自分には理解できなかった。変わらないものなどこの世にないのに。明日も、同じ方向に同じ強さの風が吹くわけではないのに、皆この状況が同じようにずっと続くと思っているのだろうか。

行かなきゃ。突き動かされるような、揺さぶられる感情にさいなまれて、一人用の小ぶりのバッグに自分にとって必要最小限のものだけを詰め込んだ。僕はいろんな場所を点々としていた。国内、海外問わず自分の気持ちの赴くまま、旅をしていた。

自由人といえば、聞こえがいいが、定職にも就かず、農場とかどこかで割りのいい季節労働のバイトに一定期間働いて、ある程度お金が溜まったら次の場所に行く。大学を出てから、僕はそんな生活をずっと続けていた。たまに路上で気ままに歌を歌ったりして小銭を稼いだり、僕と同じような気のあった人間の家に長く居座ったりしていた。

ある人から見ればホームレスか、まあ世捨て人のようなものだ。確かにお金にはいつも困っているし、風雨を避ける場所さえ探すのが難しい時もある。でも、僕は自由だった。何物も、僕を一つの場所にとどまらせることはできない。どう見られようが、僕にはまったく構わなかった。

なぜなら、一つの場所にとどまらないでいることこそ、自分のやりたいことであり本当に望むものだったから。当然、それは誰も自分に与えてくれることはない。だから誰かが自分のことをああだこうだ言ってきても、決して自分のプラスにもマイナスにもならない。だから、まったく何も他人に期待していないし、他人から何を言われても気にならなかった。

世間の人は周りの人の目とかを気にしているのが多いけど、それは自分ではなく他人に期待していることがあるからなんだろう。決して自分が他人を変えられないのと同じように、他人が自分をよくしてくれることなんかないんだって気付いたら、人の言うことなんてなんのアテにもならないってことがわかる。

「いつまでそういうの続けるの?」

たまに実家に帰ってきた時に、妹のユリに問われた。どうしてもお金が無くなった時、とりあえず行く場所のあてが見つからない時は僕は実家に帰るようにしている。別に帰りたくない、という感情はない。ただそこにずっと、とどまらないだけ。

家族との関係も悪くない。父親が転勤族だった関係で、やはり根無草の一家だ。父親も昔、僕と同じようなことをしていたらしく、ごちゃごちゃしたことは僕には言ってこない。母親も心理学の先生をやっているが、人柄自体はすごく朗らかな人だ。ただ、母親はたまに僕の顔を見るたびに「心配だ」とこぼす。それは純粋に僕の将来とか仕事を心配しているのではなくて、ただ単に、旅先で危ないことがないか、とかお腹が空いていないか、ということについてだろう。母親という名のつく人種は、いつまでも自分の子供を温かい場所でお腹いっぱいにさせておきたい、という気持ちが強いのだろうなと思う。

ただ妹のユリは少し違う。ずっとこんな生活を続ける僕を見て、賛成したり反対したりするのではなくて、純粋にその訳を知りたがっている節があった。僕もそこはどうにも答え難いのだ。ただ同じ場所にずっととどまることができないから、としか言いようがない。マラソンランナーがずっと走り続けなきゃいけないように、哲学者がずっと考え続けなきいけないように。なぜ自分は走るのか、なぜ自分は考えるのか、彼らがそれをする明確な理由などはそこにはないはず。それと同じだ。僕は動き続けて、一つの場所にとどまらないようにし続けなければいけない。

「自分でもわからないよ」
「でも、いつかは、どこかにいようと思うんじゃないの」
「そうだな、いつかは、そうなるのかもしれないな。でもそれは、今じゃない」

僕は曖昧な返事しかできない。未来など誰にもわからない。今思い描いている未来も、時間が経つに連れてやがて変わっていく。ただ、未来は突然現れるわけではなく、必ず現在の延長線上にある。自分も変わっていくものだから、時が来れば、ある場所にたどり着けば、ずっとここにいよう、という気がもしかしたら起きるかもしれない。ただそれまでは、できる限りこの生活を続けようと思う。

自分のやっていることがそんなにおかしなことなのだろうか、自分の意のままに生きるということが。人の言うことや社会の言うことに従って、やりたくないことを毎日して生きている人たちが、本当の意味で自分の人生を生きているようには到底見えない。人はそれをわがままというのかもしれない。でも、誰も彼も人間は全てどうせ最後は一人で死んでいくんだ。笑っても泣いても、働いても自由に生きても、人から好かれようと嫌われようとも、最後に人は死ぬ。ある意味、すでに旅の最終目的地は決まっているのだと言えるかもしれない。

そんなことを一人で考えながら、頭の中では、自分の次の目的地というものを探していた。実家では、普段見ないテレビで瀬戸内を舞台にした連続ドラマがやっている。澄み渡る空の青と海の青、見下ろす美しい島々。沖縄とか奄美とは違った趣がある。そうだ、次はここにしばらく行ってみようか。僕はぼんやりとそう考えていた。誰に言われるわけでもない。燕が低く飛び出しているようだったら雨が降るのかもしれないように、曖昧でふわっとした前兆のようなものを直感が運んでくる。そしてそれを見逃さないように、僕はキャッチをする。その繰り返し。僕の旅は大体いつもこんな感じだ。

数週間後、僕は尾道の坂道の多い街を一人歩いている。坂道の路地裏で、猫もそこらじゅうに見かける。いい場所だ。そしてなぜか無性に懐かしく愛おしい。そもそも自分も昔から転勤が多くて引っ越しばっかりだったせいか、子供の頃に過ごした土地や場所への思い入れとか愛着心とかそういうのは希薄だ。ただ、見る風景や感じる空気の中に、ふとそういう「懐かしい」と言われる気持ちが何重にもミルフィーユのように多層的に薄れた形で紛れ込む時はある。いったい何を求めているのだろう、自分は。この景色の中に何を見ているのだろう。景色の先にあるものを見ようと、終わりのないような坂道を一人で上っていく。

坂道を登り切ったところに、瀬戸内海の美しい海と島々を見下ろせる広場のような場所に着いた。海からの風を全身に浴びて、僕はぽかんと口を開けたまま、そこに突っ立っていた。この空気、この風、この眺め。そうだ、僕はこの場所に来たことがある。この海を見たことがある。そして幼い自分も、この場所で今の自分と同じように考えていた。この場所が好きだが、ずっとここにいる訳にはいかない。じゃあ、僕はどこに行けばいいのだろうか。僕は何を求めているのだろうか。

幼い頃の自分もそう考えていたのを思い出したのだ。まったく同じ自分に出会えた。自分がいつまでも同じ場所にとどまらなかったが、こんなことは今までなかったことだった。そしてその昔の自分に出会えたことこそに今、無性に懐かしいと感じる。不思議なことだが、それだけは変わらないようだ。僕は求めている自分を求めている。そして心の中に、この無限大の海の美しさ全て抱え込んでしまおう。そして次の場所に行くんだ。

僕は人目も気にせず、海に向かってあーーーーーーと声を上げた。


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