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040_1986オメガトライブ「Navigator」

げえ。今日は平日だっていうのに、どんだけ、このスタバ並んでんの。

みんな、机の上にリンゴのマークのついたノートパソコンを乗せて、一斉に小動物がくるみを齧るようにキーボードを打ち込んでる。苦虫を噛むような難しい顔をして、インターネットで調べものか何かをしている者も多数。いや、あの眼鏡っ子の小娘はただ単にネットサーフィンしてるだけか。

まったく。みんながみんな、やってる感というか、俺私がんばってます、というかなんかこう「ポーズを取る」ということ自体に忙しいようだ。こうやって、スタバでノーパソ出して作業する輩なんて、大学生かフリーランスかあたりかそこらへんが多い。そんなにカッコよくEnterキー打ちたいのか。一体誰に見せるんだ。

こちとら、明日までに昨日の1万字インタビュー起こしを打ち込んでちゃんと、推敲まで終わらせにゃあかんのよ。午後は綾子と予定があるから、午前中までが勝負だって言うのに、今日が運悪くうちのマンションの前が電線の工事やってうるさくなかったら、こんなスタバまで来て、わざわざ仕事なんかせんっちゅーに。

まあ、もうゴタクはいい、早速取り掛からねば。私はなんとか外側のテラスに面した空き机を押さえて、カウンターでコーヒーのグランデを注文し、ヘッドホンを耳にかける。えーっと、昨日の夜どこまでやったかしら、保存したフォルダフォルダ…。

「あ、はい、はい。山田です」

さっきまで、隣でパソコンで作業していた色黒で白シャツに丸型のサングラスをしていた男がいきなり話し出したので、私はビクッとした。特段、耳に携帯を当てている様子はなく、耳にハンズフリーの白いイヤホンが刺さっている。

綾子が「うどん、うどん」というアレ。私は耳の形がどうしても合わないので、こうやってカフェで作業するときは、ハンズフリー型のBOSEのヘッドホンをするようにしている。こっちもノイズキャンセリングもできるから、めちゃくちゃ作業が捗るのだ。

ハンズフリーのイヤホンを使う人が世の中多くなって、いきなり空中に向かって喋り出す人が巷に増えた気がする。あれはあれで、多少びっくりする。「人とは違うもの」とかが見えてたり話せる類の人なのかと、一瞬勘繰ってしまう。しかしながら、昨今あのハンズフリーのイヤホンが世に流通し、突然虚空に喋り出す人が増えたおかげで、「元々」そう言う風に会話されていた方々におかれては、そこまで世の中に怪しまれずに済んでいるのではないか。

見た人も「ああ、あの人はハンズフリーのイヤホンを使って通話しているんだな。多分そうに違いない」と思う(ようにしておく)。そうすれば、私もいきなり道端でその現場を目撃してギョッとすることもなくなって、朝の憂鬱な通勤時など余計なことに考えを巡らせたくない時に、「今朝、すれ違ったあの人は見える人だったのかしら…」などと、気を揉まなくて済むのだ。

まさに、これこそ、WIN-WINではないか。

「いやあ、そうですね、あれはどうしましょうか。はい、え、あの金額だったら、入れます、て言うのは、一体どういう?」

まさに私が「余計な考え」に思考の大部分を奪われている間に、山田なる男はテーブルの上の自分の荷物をまとめ始めていた。ハンズフリーで両手が空いてる分、ノートパソコンを手早くシャットダウンし、レザーのパソコンカバーに仕舞い込む手際が良い。そう、ハンズフリーにはこういう利点もある。

「はい、まあ、そうですね、5は欲しいですかね、そこは。はい、もちろん交渉次第というところもありますよ」

5。五。FIVE。たぶん商談なのだろう、そのお金の単位と桁数はわからんが、5のつく数字を山田は欲している。5万円は…少ないか、おそらく50万円か500万円。まさか5,000万円じゃないよね。5,000円とかだったらマジ笑う。人のお金の話になると、それが家族とか親戚でも、急に聞き耳を立ててしまう私がいる。たくさんの人が雑談している時でも、自分の関心の及ぶ事柄を無意識に選択して聞き取ったりする働きをカクテルパーティ効果と呼ぶが、私にとってお金の話はどうもそれらしい。

どちらかというと、うちの家族、特に父親は要領の悪い人間だったらしく、親戚の間でいつも軽んじられていた気がする。兄弟や親戚は自分で事業を立ち上げたり、商売やっている人が多かったなかで、父親だけが一介のインフラ企業の会社員。(それでも世間からすれば、相当優良企業で羨ましがられるものなのだが)周りに、社長をやっている人が多かったので、会社員という立場の父親を不憫な目で見てくる人も多かった。

しかし、2008年のリーマンショックの折、兄弟親戚の会社が大方傾くところが多かった。それによって、明日のお金にも困るようになった親戚の一人が、父親のところに、「頼むから10、10でいいからちょっとばかし工面してくれないか、この通りだ」と頭を下げに来たことがあった。(私は母親に怒られながらも、もちろんこの話を隣の部屋の壁で聞き耳を立てていた)

「ええ、なるべくWIN-WINにしましょ、そこはね」山田はそのまま店を出た。

10、あの10の単位はなんだったのだろう、まあ普通に考えて10億円はないから、10万円かあ。あのおじさん、そんな金にも困っていたんだろうか。バブルの時は湘南のヨットハーバーで若い娘をはべらせてよく遊んでいたんだ、なんてホントにベタベタなバブル時代の思い出話を私に自慢していたくらいなのに。みんな「いい時代だった、あの時はよかった」って呪文のように唱えているのを、私は冷めた目線で眺めていた。

おそらく30代前半に見えるこの山田なる男は、こんなゆったりしたカフェの空間で、ハンズフリーで幾らか少なくないお金が動く商談を軽々と転がしている。明日の締め切りに間に合うように、ハムスターのようにキービードを叩き、あくせく働いている私のようなものからすれば、大変に優雅な暮らしだと言える。(もちろん、それは山田が5のつく数字で500万円とか稼いでいれば話だが)

今が一番いい時代だと、彼は考えているのだろうか。今よりもっと悪い時代が来ることになったら、後から振り返って「いい時代だった、あの時はみんながみんなWIN-WINだった」などと彼より年下の人間にこぼすようになるのだろうか。時代の捉え方って、今を生きている時はいいのか、悪いのか、その時にはわからないものなのかな。

ぼけーっとまとまらない考えに思考を巡らせているうちに、作業の手が止まってしまっている。ブブ。あ、綾子からのLine…、え〜っと、「今日午後は何時からにするー?」え、あ、もう11時半なってる。はあ、インタビュー打ち込み全然終わってないよ、もう。

午前中いろんなものに気を取られて、結局、自分の作業が終わらせられていないことに私は気づいて辟易した。この時代、お金の話を含めて自分の注意を引くものが多すぎる。まあ、いい。綾子に会えるのは嬉しい、ホントに久しぶりだもの。友人と会える束の間のひととき、その瞬間を「いい時代だった」と後から振り返ることがあるのだろうか。全然終わっていない作業の残りも抱えつつ、私の胸が少し疼く。


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