見出し画像

*21 ジュピター

 やかましなる事、あつめて早しの如き五月の雨が工房の屋根を打ち鳴らしたのは月曜の事であった。日本を離れて九年と経つ間にすっかり地震と台風の脅威をこの身に忘れてしまっていたが、それを彷彿とさせるほど激しく降った。休憩を終えて工房に戻って来た見習い生が開口一番「猛烈な雨だね」と言って来た声さえ霞ませるほど消魂けたたましく打った。「君、傘は持っているか」と自転車で通う私を案じる様な、またどこか滑稽こっけいがる様な質問をして来た見習い生に私は、「傘は持っているがね、なに、私が外に出れば雨は止むんだから心配要らないんだ」と返事をしたのは安易な虚勢でも張りぼての強情でも無く、私の経験則による自信に他ならなかった。彼の方ではいぶかし気な返事をしたぎりであった。
 
 私は雨男であるがどうも雨に守られる類の雨男であるらしいと考えるようになったのは何もいい加減な絵空事にあらず、大事な日に限って雨が降る割に雨に祟られた記憶が殆ど無い事に由来している。友人と会う約束をした日に限って雨降りであっても、その道中、私がバスだの路面電車だのに乗っている内は、窓を雨粒が滑走していくが、乗換えだの徒歩移動だので外に出る時にはすっかり雨が止んでいるという例が一度や二度では無かった。雨降りだなと買った傘をカフェの傘立てに置いて、さて店を出る時になって紛失していたという不運があった時も、店員が気を利かせて裏から代わりの傘をくれたがその頃には雨が止んでいて結局傘を要しなかったというのもあった。
 
 
 最後の作業を終えさて帰ろうかという時、雨粒がばしゃばしゃと屋根を打つ音がすっかり止んでいたどころか窓の向こうでは陽も差し始めていたから、見習い生に帰りの挨拶をするついで外を指差して「御覧、言っただろう」と言って、結局まるで濡れる事無く家に帰った。
 
 
 その月曜日、私がいつも通りペストリーの仕上げから仕事を始めると、私より少し遅れて一人の知らぬ婦人が工房に入って来た。入口から最も遠い所で作業をしていた私は遠目に誰だろうなと考えていると、その婦人がトミーに連れられどんどん近付いて来る。そうして愈々いよいよ私の元迄来ると、トミーが両者を単簡に紹介し、それから婦人は私の作業を手伝う事になった。名をエヴァといった。随分大人し気で丁寧な振る舞いにそぐわぬ刺青タトゥが腕やら胸元から主張している辺りあたかもドイツ人らしい。
 
 一つ一つ遣り方を説明し、遣って見せて、それで遣らせて間違いが無ければスーパー!とでもベリーグッド!とでも褒めるのは、相手の性別も年齢も不問である。日本に帰ればこうはいかないだろうか、それとも私は無関係についやってしまうだろうか、と少し野暮な懸念がよぎった。過っただけで気には留めなかった。
 
 一度要領を掴めばしばらくは同じ作業の繰り返しであったから、暇をしている口に「試用で今週だけ来る御積おつもり何ですか」と喋らせてみた。彼女は「今日明日と働いて見て、それで若チーフにまた話をする積です」と、外国人の私でも容易に理解出来る落ち着いた調子で言った。続けて「娘がね、このパン屋で働いているんですよ。それでちょっと斡旋あっせんして貰ったんです」と言った。
 
 さて誰だろうと考えた私は工房の内に心当たりが無いからして、まあ恐らく販売部門の、それも何処か支店の方で働いている人だろうと思い名前を聞くと「アイリン」と来て、案の定心当たりが無かったから少々場都ばつが悪かった。後になってトミーやマリオに聞いてみても皆知らなかったからいまだ判然としてはいないが、エヴァの曖昧たる面影の内に一人の見習い販売婦が思い浮かんで、屹度きっとその子の事を言っているんだろうと勝手に結び付けたところである。その娘から、私が日本に帰る話を前以て聞いていたと言ったからどうも面識があるようで尚場都ばつが悪かった。

 木曜日に祝日があった。週の真中に休息日があるのはいつでも嬉しい。ちょうど切の良かったその前日の水曜日、私は職場へ退職願を提出した。生憎シェフも若チーフも外へ出ていて不在であったから、若チーフに連絡を入れた上で机の上に置いてきた。製菓のシルビアに言うと、あら到頭とうとうね、正確には何時迄居る積なの、と聞いて来たから少し話をした。理由や内情や職場都合について口を出すよりも先に、アパートの解約は済ませたの、退職してから幾日いくんちか余裕を持たせておかなくちゃ駄目よ、と言って来たのはあたかもドイツ人らしく、また母親らしかった。それで私の方でも考えを話すと、口に出した分心無しか肩の荷がかろやいだ気がした。
 
 一つ肩の荷を降ろした私は、随分すっきりとした頭で祝日を過ごした。ドイツ語の書物もすいすい読み進められた。残された有給休暇についても計画し、必要な予約迄済ませられた。これを済ましたら二つ目の肩の荷が降りた様に尚頭がすっきりした。
 
 
 随分な充実感を持って過ごした休息を明けた金曜日、若チーフのマリアが仕事中私の元へ近付いて来るなり「日本人から求人の応募があったのよ」と思わぬ報告があった。どんな人なんだか、性別やら年齢やら経歴やらを聞きながら話した最後に「君の代役になるわね」と言ってはははと二人で笑った。そしてついでに「私がここを去る前に一度試用でも何でも、その人が工房へ来る時はあるかい。是非顔を合わせられる機会があれば住む所や私の家具の譲渡について聞いてみたいと思うんだが」と言うと、「屹度きっと一度は来てもらう積よ」とマリアは答えた。そうなると愈々いよいよ好都合で、三つめの肩の荷も降り掛けた様に思われた。
 
 
 それを翌日ルーカスやトミーにも伝えた。「この職場に日本人の応募があったみたいだよ」と言うと二人とも驚いた様に「この職場にかい?」と目を丸くした。大都市ならまだしもこんな田舎のパン屋にかい、と言う意が含まれている様であったが、そうするとどうも私が加わる前も同じ様な反応が飛び交っていたのだろうなと言う推測が働いた。前々から「君の代わりが必要だ」と宛てなく口にしていたトミーには特に「まさに私の代わりに成りそうだ」と国籍に言及すると「間違いないね」と何処か愉快そうに笑った。「ドイツ語はそれほど得意じゃないみたいだ」と言うと、「屹度きっと君ほどではないんだろう」と返って来たから、「まさかバイエルン弁で喋らない様に」と冗談半分注意を促した。
 

 そんなアパートでは衣類や書物の片付け旁々かたがた、クグロフを焼いてみた。酒を抜き肉と野菜を盛々もりもり食べ始めてから何となく甘い物が食いたくなった。思えば若かりし頃の私はパウンドケーキの類はすこぶる苦手であった。酒臭い果実フルーツも然る事ながら、口の内も喉の内も水分に枯れてしまうのが最大の理由であったかも知れない。シフォンケーキでさえ、味は好きでも息が詰まりそうになるのが苦手であった。それも今や好んで食べる程であるのは、珈琲コーヒーを飲むようになった事も一つ要因かも知れない。

 週末には小麦のパンを焼いた。以前の職場で焼いていたものをまた模して焼いてみた。先週焼いた向日葵ひまわりの種を入れたライ麦パンと言い、以前の職場で焼いていたパンを摸したがっているのは屹度、あれほど連日大型オーブンで発酵に追われていた忙しい日々を懐かしむ心が、一転クロワッサンとばかり向き合う日々の中にうずいているように思われた。あの日々の騒々しさは、ドイツ生活の一ハイライトと呼ぶにも相応しかった。

 過去を振り返ると思い出の良し悪しに関わらず眩暈めまいを覚える私であるから是非前を向いて歩くより他に無いのであるが、とは言え特にドイツ生活の殆どの事柄は、年月時期や当時の思考感情も併せて随分細密に記憶している。己の年表を書き起こせと命じられるならば明日締め切りでも遅れず提出出来よう。そうこう考える今もまた歴史の一部である。今週の出来事も無論記憶に深く踏み着けられた足跡である。来週はまた幾つか楽しみが控えている。それらも直ぐに歴史となって積み上がり、私がまた振り返るのを恐れる記憶になっていくのである。恐ろしい。
 
 記憶は何時でも恐ろしい。未来も同様恐ろしい。過去は既に見知っているから恐ろしいが、未来は未だ見えぬから恐ろしい。然し未だ見えぬ物も先回りして決めてしまうと今で肩の荷が降りると再確認した私は、屹度過去の私も同様、今日この日の為に動いて肩の荷を降ろしていた筈だと己をなだめてただ行く。先は未だ見えぬが幸運の兆しは案外随所に光っている。それらを見付けてただ行くのみである。木曜を境に空も地をらし続けている。
 
 


※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
 


【創作大賞2023応募作品】

 

【各種SNS】

YouTube →リンク
instagram → リンク
Twitter→
リンク


この度も「ドイツパン修行録」ならびに「頬杖ラヂオ」への訪問、ありがとうございました。もしよろしければサポートもよろしくお願い致します。 引き続きドイツパンに真摯に向き合って修行の道を精進して参りますので、何卒応援の程よろしくお願い申し上げます。また来てください!