*17 生み出す独白
先週は地震を錯覚する眩暈で幕を開けたが、今週は職場へ向かう深夜の道中、自転車の前輪が段差に取られ転倒して幕を開けた。然して派手に転んだわけでも無いが、仕事が終わって着替える時になって膝小僧をそれなりに擦り剝いて血を垂らしていたのに気が付いた。何故、始業前の着替えの時にはその傷に気が付かなかったのか我ながら大変不思議ではあったが、大方先週は疲れていて今週は何かに憑かれてでもいたのだろう。まさしく深夜の転倒が悪運の前兆であったとでも言う様に、今週は連日業を煮やした。業も腸も煮え繰り返らせ、臍まで曲がった。兎角心労の果てない一週間であった。
四月に入り工房が移転し、新しい店舗も開いた。新工房の冷凍室も冷蔵室も旧工房の物よりずっと広く、大量の製品を製造する態勢が敷かれていた。今日に至る迄、各々新しい工房や設備の勝手に慣れ、また工房全体の体制を整える為に様々な試行錯誤が繰り返され、なかなか順調にいかないながらも、今週に入ると幾らか工程としての落ち着きが見られた。そうして工房が凪いでしまったのが良くなかった。じゃぶじゃぶ波が立っていた先週迄気が付かずにいた水の淀濁たる色に到頭目が取られてしまったのである。
先に述べた新店舗の開店に伴い製品の製造量が増えた。また製品の種類も増えた。これ迄の仕事量に上乗せられる形で其々増えた。そうしてその増えた仕事が殆ど漏れなく私の肩の上にのみ積み上げられているように感じてしまった。
予め断っておきたいのであるが、私は主観でしか物事を推し量れない者の呟く過度な自己悲観と自己中心的な哀訴が苦手である。煙草を煙たがる者が喫煙者を隅へ端へとぎゅうぎゅうに迫害しておいて平気な顔をしているのが良い例である。古い常識を疑えと頭ごなしに淘汰しておいて、新しく謳われた新常識はまるで疑わずに鵜呑みにするのも同類である。我先にと弱者に手を差し伸べてヒーローになりたがる飢饉者で溢れる世の中で日常的に行われる不公平な判定を反面教師に、あくまでも俯瞰で、各同僚に掛かる負担と、仕事に対する姿勢と、各個人の考え方から工房全体の調和までを鑑みた上で、矢張りどうしても納得のいかない状況である事が浮き彫りになって見えた。
彼らはどうしても仕事を「時間」で量るらしく「内容」には無関心である。同じ八時間の内で私が誰かの二倍動き回ろうが、終始周囲に気を配ろうが、或いはその誰かが自分の作業以外の時間はぷらぷらとしていようがどちらも同じ八時間労働である。それだから自分のすべき仕事を勝手に決め付けて、それ以外の仕事は横へ横へと盥回しで、一度回せばあとはもう何処に行き着いたって無関心といった具合である。即ち問題は、新店舗開店に伴う負担の大部分が私一人に圧し掛かっている事自体に抑々気が付いていないという点にある。それだから私が愈々痺れを切らして皮肉を込めた改正案を提案しても、まるで頓珍漢な解決策をしかも良心的に繰り出して来るんだから為す術無しである。ドイツ人は議論好きだと言う話があるが、あれは頭が固く想像力に乏しく視野が狭い者同士で何時までも互いの意見を投げ合って遊んでいるだけである。
こんな事を書くと「君、そんなの同僚達に直接言ったら済むじゃないか」と窘められるかもしれないが、ドイツで八年と働いてきた私は以前の職場においても現在の職場においても散々直談判をして来た積である。無論私も大人であるから癇癪と強さを履き違えて我儘に押し切る様な下品な真似はしない。こうでこうでこうだと極力詳細に見解を述べる。それで相槌を打たれて御仕舞である。いや屹度私の説明そのものは理解しているのである。同情の様子も垣間見せるのである。然し如何せん「他者」の「仕事内容」には無関心なのである。
他人に期待をしない、という考えはそんなドイツ社会の中で次第に私の心に芽生えた。納得のいかない事には黙っていられない私が、どう考えても納得のいかない事に囲まれて生きるには、期待をせず、諸々を諦めて飄々とへらへらしているより他に仕方が無かった。何にも気が付かない鈍感な男でさえあれば、私が必死に働く脇で同僚がふらふら時間を潰していたって相手にせずにいられた。今でも私の芯はそうしている。だから何も、私がユーティリティプレーヤーの如く目と気を配って工房を縦横無尽駆け回っているというのにどうして彼奴はそれが出来ないんだ、という怒りの火種は無い。そんな事には端から期待をしていない。そうではなく労働者として、或いは工房を動かすチームの一員としての最低限の労働IQくらいは備えていてくれまいかというこれは悲嘆なのである。
先日親友のイタリア人と外出した。彼といる間は私が日本人である事も彼がイタリア人である事も遣り取りする言語がドイツ語である事も忘れてしまう程に真正たる一対一で向き合う事が出来る。我々は朝食がてら入ったカフェで仕事の話をした。彼は彼で責任のある立場で働いているのであるが、この四月から別の支店へと移動になって、そこで働く連中が、取り分けドイツ人の若い見習い生が大層酷いんだと憤っていた。そうして挙句に「ドイツ人なんかよりも外国人労働者の方がよっぽど真面目に仕事をするね」とドイツの街のカフェで啖呵を切ったから私は深く同意して議論に火をくべた。
彼とも八年来の付き合いになるが、南イタリアの治安の悪さを表現するかのような独特な口調の所為で、人によっては勢い任せの暴論に聞こえてしまいかねない彼の意見は、私にすれば多くの場合頷く事が出来た。この男はイタリア人の中では異端なのだろうと付き合いを伸ばしてくる内に感じ取って来たが、私も屹度日本へ帰れば異端である。人種でも性別でも無く異端という点によって解り得る事というのがあるのだろう。せめてこうして理解出来る者が居てくれるというだけでも幸運である。
週の後半になって来週の人員の配置計画が張り出された。見習い生のマリオは有給休暇で不在、残りの連中は私以外が深夜の一時に仕事を始め、九時には帰って行くという計画であった。私のみが四時に出勤し十二時頃に帰って行く予定である。これ迄在った「二時半に出勤する者」を取っ払った新体制を試してみるんだと、そういう主旨らしかったが、私が私の担当するペストリー類をはじめあらゆる製品の製造に取り掛かれるのは大凡八時半頃からで、「二時半に出勤する者」がいた場合は十時半頃迄手伝って貰えたわけであるが、一同が九時に帰るという計画である。増えた仕事量と作業の振り分けと時間と、どういう計算の元に勝算があるんだかさっぱり分からなかった。
木曜日、案の定一人残業をする必要の出た私が作業をしている傍に製菓職人のシルビアが通り、「今日は何時に終業なの」と聞いて来たから「本来なら十二時だ」と答えたその時は既に十二時半であった。シルビアが「新体制は上手く機能しているみたいね」と私を哀れむ様に皮肉を言ってきたから、思わず「何時間掛かったって私が全部片付けさえすれば、新体制は上手く回るんだ」と彼女の言ったのを大きく上回る皮肉を漏らしそうになったが、そこは一度ぐっと飲み下して笑って「勿論じゃないか」と返すくらいに止めておいた。
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さてこうして恥ずかしげも大人気も無く膿を出し毒を吐いて来たわけであるが、今週の一件のみで癇癪を起こしたわけでは無くこれは無論蓄積の果てである。またこれを書き殴ったのも木曜日の、最も心を荒ませていた時である。こうして膿を毒を抜いた御陰で今では気持ちも随分落ち着いている。こう落ち着いてしまってはとても同じ様な文章を書けなかっただろうと思った時、目を汚す様な文章ではあったが重宝すべき本心であり、また、鬱畜を時間の経過で誤魔化して何時までも蓄積の嵩を増していかぬ為にもそのまま残してゆく事にした。
読み返せば大変幼稚で我儘な甘ったれで見っともないが、時にこうして膿を出す事は己の精神衛生を守る為にも必要である様に思われた。来週以降も働いていく己のエネルギーを生み出す為の独白である。実に申し訳ない。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。