*34 プレイヤー
帰国前に片付けなければならない作業を七カ月前くらいから羅列して今日に至るわけであるが、それを順調片付けて来た堂々たる達成感があるという訳でも無ければ、いい加減に後へ後へと堕落によって回して来たという訳でも無かった。その都度必要な物事は片付けながら暦を捲って来ている私が、それでも胸に抱いているのが達成感ではなく寧ろ未達成感であるのは、偏に私の心配症が発症している事と、本帰国が愈々現実のものとして目の前に差し迫って来た事との相乗効果によるものであろう。こうして言葉に起こすと幾らか安心する。然し安心するとまた焦燥を感じる。安心でも焦燥でもその実過ぎる時間の速度は同じである、と頭では理解しつつ心配は付き纏う。泣いても笑っても限られた日数のみ残されている。差し詰め夏休みの様である。
先週の金曜日に日本の製菓学生の前で有意義と無意義の間にぷかぷかと漂う平坦たる話をしたのを皮切りに、ここ数日畳み掛ける様に日本語を喋った。単純計算で時間を数字に直してみたところ、ものの六日の内に大凡十五時間も日本語を要した。「あらそれじゃあ一日あたり二時間半程度ということになるから、却って少ないくらいじゃないかしら」とは日本在住者の視点である。それがドイツ在住の私の視点から見ると頗る多く感ぜられたから目立った。
日本に住む友人と話した事はまあ取り分け掻い摘む事もないとして、この怒涛の日本語週間の中で極めて新鮮かつ稀有な刺戟を受けた事があった。
大凡一年前にAtelier Mimirという名のゲームブランドを立ち上げ、アナログゲームの製作販売に精力的に活動しているその女性を、私は人生初の一人旅を機として七年前から知っていた。こう言うとまるで旅先にて知り合った貴重な出逢いの類といった印象を与えかねないがそうではなく、偶々私が一人旅の目的地として定めた芸術家村・ヴォルプスヴェーデについて“その人”が書いたブログを私が参考に読み、それで私がオンライン上に“その人”の存在を知っていたというくらいである。そんな人から私の方に連絡があったのが一ヶ月半と前の事で、今週になって満を持して話す機会が設けられた。彼女の製作したゲーム作品「旅するゲームブック」、奇しくも私が七年前に訪れた一人旅の目的地を舞台とした作品を実際に遊んだ感想を求めるインタビューであった。
話した内容をここに羅列するは余りに品が無いから避けるが、私の当時の記憶の通り同世代であった彼女が取り組む自身の活動の実態や姿勢を幾らか伺えた時、私の活力は極めて直接的に刺戟を齎された。月並みな言葉で表すならば、人の頑張りを知り私も頑張らねばと背筋が伸びた。
もう間もなく私の生活環境はがらりと変わる。その先に続くは道と言うより未知である。新地開拓として退路を断ち切り心細くも丸腰飛び込んだドイツでも、粘って八年と暮らせば否でも根は張った。その折角張った根を性懲りもなくまた退路と共に断ち切って日本へ向かう時、ドイツに向かったあの日と同様の覚悟がいる。何時でも人生は最終章、命は背水の陣である。そうした私の覚悟は、同世代の頑張りを受けてまた薪がくべられ、私は再度兜の緒と褌を締め直した。
翌水曜日、仕事中に不図この職場で働く日数がたったの八日という事実に気が付いて驚いた。驚いた所で取り分けて職場で片付けねばならない作業を溜めこんでいるわけでも無いから、私は平生通りに働くより他に無いのであるが、ただ具体的に数字が減っていくにつれて足が浮く様であった。
ぼそっと「ああ残す所たったの八日か」と呟くと、作業台を挟んだ向かいで共にプレッツェルを成形していたルーカスが「時間はどんどん過ぎていくな」とだけ言った。全くその通りである。どんどん過ぎていく。土曜日の仕事終わりにはまた「あと来週の五日を残すのみだ」とルーカスに向けてとも独り言ともなく無意識呟いた。どんどん過ぎていく。
その土曜日、私は工房が新しく移転して以来初めて仕込みを受け持った。最後の最後に新たな経験である。アンドレとマリオが有給休暇、シェフは体調を崩しトミーには休みが当てられていたこの土曜日、人員配置の都合上ルーカスがオーブンを担当し私が仕込みを担当するより他の構図は考え難かった。初めての仕込みと言っても以前働いていたパン屋では頻繁に仕込みを担当していたし、世間的にも製パンマイスターの私である。まさか怖気付く理由も無かった。
今週は土曜日を覗いてずっと仕込みを受け持っていたトミーが前日の内に必要な情報を紙に書き出して一通り私に説明してくれた。水曜日に教わったサワー種を仕込む機械の使い方も再確認した。大して複雑な話も無かった私は気楽に聞いていたが、最後になって「まあもし何か分からない事があれば何時でも電話を寄越せ。一時でも二時でも、この職場から十五キロ程度離れた所で集まりに参加してるだろうから直ぐに駆け付けられる」と御節介を焼いて来たから「なに心配ないよ。万が一の緊急事態になればその時に漸く電話をしよう」とへらへらと遣り返してトミーの帰りを見送った。
斯くして土曜日は至って平穏無事に仕事を片付けた。随分落ち着いて作業にあたれたと感じたのはトミーの手書きの指南書の御陰も無論あったが、「仮に失敗を起こしたとしてこの職場にいるのもあと僅かである」といった一種の悟りによって余裕が生まれていた事もあったように思われた。
二種類のライ麦の生地を仕込み、手の空いて来たルーカスと共に成形にあたった。この職場でライ麦の生地を触るのは久し振りであった。パンの種類によって量る重ささえ忘れていたからルーカスに「幾つで量るんだったかな」と聞きながら生地を分割していった。そんな事より仕込んだ生地の具合が理想的であって満足であった。
幾つか細かい作業をした後、発酵の済んだブロートの窯入れを手伝った。この作業も懐かしい。作業自体は懐かしいが、移転した現在の工房では初めてであったから多少勝手の違いはあった。窯入れを終え暫く経った時、パンの焼ける経過を随時確認していたルーカスが「ブロートは良さそうだ」と、私の仕込んだ生地に不備が無かった事をにやにやしながら伝えて来たから、「それなら良かった」と親指を立てて応えた。
それからバゲットの成形も久しかった。このベッカライ・クラインで働き始めた最初の頃にバゲットの成形についてシェフから注意を受けたのを思い出した。どんな成形であったかも思い出せないが、まあ少なくともこの日の成形に関しては文句もあるまい。そんな風に納得のいく様な成形が出来、ルーカスと世間話をする傍ら一人自己満足に浸っていた。
最後はルーカスと共に工房を掃除して今週の仕事を終えた。私が時間の早さをぼそり呟いたのはその後更衣室で着替えていた時であった。
ドイツで蚊細くも張った根の先に実った親友とも別れの挨拶をする必要があった私は、日曜日に彼と久し振りに会った。私の手には別れの贈り物としてマグカップがあった。感謝だの友情だのではない。単に彼の人生における私との出会いの証明である。漏れなくいずれ途絶える彼や私の人生の内の高々ほんの一点、特別な感動の涙ではなく不断の延長の冗談が注がれているくらいが分相応であろう。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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