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*8 パン弘法

 今私がこうして文章を書き起こさんと腕を組んで床にでんと座りながら、颯爽と過ぎたこれ迄の帰省の記憶を蘇らしている時点で、日本に降り立ってから既に十四日と経っている事に気付いた。全く早い。早いのもそうだが、その内容も大変充実している。もとい充実しているから早く感じているのである。私が今度の一時帰国を企てた時、まだ日本入国の制限が今よりも厳しく、入国してもその後十四日間の隔離待機が義務付けられていた。さっき蘇らしたばっかりの、私が実際に体験した今日までの十四日間を一度無かったことにして、同じだけの時間を東京の何処かの洋宿ホテルで一人孤独に、食って寝て朝と夜を繰り返していたたらればを想像すると、幾ら感染症対策で衛生が保たれていたとしても精神衛生上、大変息苦しい二週間を過ごす事になっていただろうと思われて、それで私はそんな無意義な拘束時間をたちまち危惧し、そしてまた現状の充実感に安堵した。 

 

 昨日、私は東京へやって来た。私がドイツへ発った年に地元に開通した新幹線は、二時間もかからず私を東京へ運んだ。密集した建造物や忙しく行き交う人々を見て、つい先日まで地元で眺めていた雄大な自然や知り合いとの長閑のどか遣取やりとりとの凄まじいコントラストに、夢を持って上京した若者の情緒を追体験したような気分になった。そんな大都市に到着してから最初に約束を付けていたのが偶然地元の友人であったから、いざ顔を合わせると東京と地元との差異をちょうど馴染ませるような空気の中で愉しく話が出来た。 

 

 地元の自然が雄大だったとは言ったが、私がそれを感じられたのは幼い頃から同じ景色を知っておきながら今回が初めてであった。これまでにも幾度か一時帰国もしているが、風景を愛でたくなった試しは一度も無かった。それが今回に限っては山や林や田畑を見る度に感動を覚えた。
 
 月曜日には友人の引率で地元を出て安曇野へも出向いた。同じ長野県であり同じように山に近い地域でありながら、また違った雄大さがあって素晴らしかった。昔に安曇野に住んでいたから土地に詳しかった友人の説明を聞きながら、水が綺麗で美味しいんだとか別荘地として人気なんだとか様々な角度からその土地を眺め考えた。とても私の気に入った。生憎の雨模様ではあったがわさび農場も見学して、帰りに食ったわさび飯も大変良かった。山葵わさびは私の好物である。 


 先週の内にあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた私は今週は余り忙しく予定を入れなかった。月曜日に安曇野へ行って火曜日に友人宅へ行って夫婦に料理を振る舞った位で、後は家でいて時間があればパンを焼いていた。
 
 日曜日には親族で集まってバーベキューをするという話になっていたので、私は事前にドイツのソーセージを幾つか注文して送っておいた。その時に折角だからパンを焼こうと、朝早くからバゲット作りに取り掛かった。これは私の勝手で作ったのであるが、ピザの要望もあったからその生地は前日の内に準備しておいた。
 

 バゲットはそれなりに良く焼けた。職人気質な拘りの目で見て仕舞うと満点とは言えなかったが、それでも食べると美味しかった。主食が米の国だからバーベキューでもおにぎりが堂々と君臨していたのでバゲットは一口くらいにして味見程度に振る舞った。私が思っていたよりも大所帯の集まりであったのも理由の内である。バゲットについて悪い感想も聞かなかったからそれは良しであった。

 バゲットは朝早くから一人で作っていたが、ピザを作る時は姪や甥と一緒にやった。下は三歳から上は十歳ほどの子供に役割を与えて、それを楽しそうにやっている子供を見るのが楽しかった。所謂パン作りとはまた違うが、創造に対する純粋な反応が嬉しかった。私の言うのを几帳きっちり守ろうと生地の上にトマトソースを慎重に塗ったり、三歳の子供が好き勝手モッツァレラチーズを並べるのに対してその姉は考えながら並べていたり、焼き上がったピザの匂いに歓声が上がったりとどれをとっても純真無垢であった。焼き上がったピザを持たせて「自分で作りましたと言うんだよ」と言うと得意げである。こればかりは普段幾ら真剣に自分でパンを焼いていても味わえない創造の良さであり、屹度原点である。私も覚えていないだけで幼い頃はこういう経験をさせて貰っていたのだろう。 

 

 パン職人を名乗れども一従業員である私は具体的ななにがし様の為にパンを焼くという事が普段無いわけであるが、ピザやバゲットの評判で気を良くした私は、火曜日の晩に訪問する予定でいた友人の為にクロワッサンでも焼こうと息を巻いて取り掛かった。友人にも、上手く焼けたら持って行くとわざわざ連絡まで入れた。
 
 ところがクロワッサンは失敗に終わった。私は消沈に落胆を重ねた。友人にもその旨を伝えた。マイスターを取得した私の自尊心は大変な羞恥の念に襲われた。
 
 私は命を失った生物を見るような目で焼き上がったクロワッサンをじっと眺めながら、原因の究明に頭を働かせた。材料や環境が普段と違うわけであるから其々勝手も異なる筈である。よし分かったと、私は思い当たるだけの注意点を頭に入れつつ翌日にもう一度挑む事にして、胸の痛む様な姿をしたクロワッサンは卵と牛乳に浸して焼いて何とか食べた。
 
 翌日に作った生地は前日の物とまるで違った。私には安堵と手応えがあった。発酵をさせても健やかに膨らんだ。私は前日の雪辱を払拭するすぐ手前まで来ていた。ところがオーブンから出したクロワッサンに私はまた満足する事が出来なかった。さっきまであれほど伸びやかで健康的だった筈が、随分窮屈そうな見た目に変わっていた。私はまた落胆したが、今度の原因は比較的明確であった。前日の内に材料や室温の違いなどにばかり注目していた私は、オーブンに対して懐疑の目を向ける事を忘れていた。それだからオーブンに原因がある事は直ぐに分かった。オーブンも私が普段使っている物と性能が別であったから、中で熱を循環させる換気扇の存在をまるで忘れてしまっていて、それを普段通り、換気扇の無い物の様に扱ってしまったのが原因であった。無論オーブンに非は無く、不注意に扱った私がいけないのである。私は己の散々たる為体ていたらくを戒めた。然しそれでいて、日頃触れない道具や材料に触れて起こった失敗による発見に喜びさえもあった。失敗は成功の母とは言うがまさしくそれを機として一つ理解が深まった。
 
 物は見方である。性能の違うオーブンも己の知識と使い方でどうにでも自分に都合よく出来るのである。都会と田舎も同様である。雄大な自然が無い雑踏の中でも長閑に暮らす術はある筈である。昨年弘法の資格を取得した私が筆を選ばずに表現が出来るようになる為の失敗と思えばかえって有意義であったかもしれない。 

 

 とは言え失敗は失敗である。達成感迄誤魔化せる筈も無く、また不格好なクロワッサンばかりが積み上がっていくのは消費する側も難儀である。それで私はその次の日になってカイザーゼンメルを焼いた。こちらは大変綺麗に焼けた。然しこれも一つ、クロワッサンでの失敗によるオーブンへの注意があったからこその成功であった。クロワッサンをくれる約束でいた友人に代わりにゼンメルを渡すと、その日の晩に早速食ってくれたらしく好評であったから安心した。

 さらにサワー種とポーリッシュを仕込んでおいてライ麦粉の入ったドイツらしいパンも焼いた。これも満足に焼けた。半分に切ってみるとクラムから懐かしい酸っぱい匂いが立ち昇った。地元に居ながらドイツのパンの匂いに懐かしさを感じているんだから、幼少期から見ている筈の大自然に今更感動しても納得である。



※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

 

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