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ゲンバノミライ(仮) 第8話 迷い人の俊さん

佐伯俊は、海と山に囲まれた小さな平野を中心に、せせこましく昔ながらの暮らしが続くこの街が嫌いだった。先祖の後を引き継ぎ、夜明け前から動き出し、汗水流してあくせく働き、大して高く売れない野菜を作っている父の一郎にも、疑問を抱いていた。親を嫌っていた訳ではない。すごいと思っていた。だが、自分が大人になって同じようになりたいとは、どうしても思えなかった。

この街から出ることばかりを考えていた。学校の図書館に通って片っ端から本を読みあさり、世界の一端をのぞき見るようになると、離郷への欲求が余計に強まっていくのだった。

「俊! お前さぁ、勉強ばっかりしてたら馬鹿になるぞ」

暖かな春の日に、縁側で本を読んでいたら、道の方から大きな声で呼び掛けられた。
父の親友の畑中倫太郎が、いつもの笑顔で立っていた。当時は役所の部長クラスだったように記憶している。その後、事務方トップに上り詰め、選挙への出馬も渇望されたようだが、固辞して譲らなかった。
「倫太郎みたいな人間がリーダーになれば、この街を変えられるのに」。父は悔しがっていた。

あの災害は、俊の家を飲み込んだ。災害の後、大きな余震が続いており、あの恐ろしい濁流に街が再び飲み込まれる恐れもあった。土地勘のない人間にとっては危険すぎるため、家族は連れずに俊は一人で故郷に向かった。
両親とずっと連絡が取れていなかった。テレビや新聞の報道から、正直、諦めもあった。だが、一縷の希望を抱いて避難所や病院を回った。壁に貼られた名簿を何度も何度も見返し、会場を回り、知り合いから話を聞いて、糸口を探そうとした。

ぐちゃぐちゃになった地面。歩き慣れない長靴。時折雪がちらつく寒さ。何より心がつらかった。
最後にもう一度、基礎だけが残った実家の前に立った。遠くに海の白波が見えた。それなのに、隣に広がる両親が愛した畑は、見る影もなかった。

奇跡。希望。
ニュースにそうした文字が躍ることもあった。だが、佐伯家には奇跡は起きなかった。

いや、一つだけあった。海中から車とともに両親が見つかったのだ。
もう一度会えた。それは希望だった。

一人っ子だった俊にとって、実家をどうするかは大きな悩みとなった。いつの日か必ず直面する問題ではあったのだが、こんなに早まるのは想定外だった。

役所で総務部長をしている同級生の長田紀之に連絡を取って、今後の見立てを聞くと、ほかの被災地と同様、かさ上げした内陸側の区域を新たな中心軸に位置付け、コンパクトな街へと復興していく案になりそうだった。

「合意形成はこれからだが、役所としてはその方向で行きそうなんだ。親父さんたちのことがあって、俊もつらいだろうが、俺たちの世代が前を向いて引っ張っていかないと、この街に未来はない。だから、復興に協力してほしいんだ」
長田も近しい親戚や友人を何人も失っており、説得力があった。だが、復興とは何だろうという漠然とした疑念もあった。

しばらくして、俊の実家を含む区域で土地区画整理事業を軸とした復興プロジェクトを進めて、シンボルとなる複合施設や公園、道路などを整備する案が発表された。俊の実家と畑が南端の位置で盛り込まれていた。復興用の高速道路のインターチェンジから海側にまっすぐ進んだちょうど良い場所だったためだ。接続道路と災害時に避難拠点となる大きな公園を整備する予定と説明された。

合理的な計画だった。逆の立場だったら、自分も同じように考えただろう。土地区画整理組合の理事長候補には畑中の名前が挙がっていた。

親父だったら、どうしただろうか。

基礎もなくなり、まっさらになって雑草が生い茂った実家跡地で、俊が考えたのは父のことだった。

馬鹿馬鹿しい考えが頭をよぎった。最初はただの直感だった。

長田に相談したら、「それは困るよ。でも、俊らしいな。俺の立場からは何も言えないよ。でも、やっぱり俊だな」と、素っ気なくも嬉しそうな声が返ってきた。
「いつも勝手なことばかり言って、本当に申し訳ない」
「昔からそうだったよな」
そんなやり取りは、故郷との距離を縮めてくれる大事な儀式だった。

土地区画整理事業には参加せずに畑を残し、故郷に帰って農業を始める。
それが俊が下した決断だった。妻の明子にも長男の陽にも大反対された。
だが、事業として成立する可能性を説明して、納得してもらった。

考えたのは、次のような構想だった。
3分の1は市民農園として貸し出す。被災者は10年間無料とし、その代わりにノウハウを教えてもらったり、薄謝を払いつつ作業に協力してもらったりする。残りの3分の2は、俊の畑となるが、観光農園も兼ねた形態にして、被災地ツーリズムの一つに位置付けてもらう。

故郷の古地図や文献を調べてみて、佐伯家の農地の辺りにはずっと人が住んでいなかったことを知った。詳しくは分からなかったが、元々はもっと地盤面が低かったが、海への動線を切り開く過程で土が運ばれ、現在のような地形に落ち着いたと推察された。親父を含めて佐伯家は代々、この土地の名産とは少し毛色が異なった野菜を育てていた。親父は、「昔からそうやってるからだ」と言っていたが、水はけが悪いため、違う作物を選ばざるを得なかったのだろう。

この土地は、今まで通り干渉地としてあり続けるべきではないか。

かさ上げせずに残れば、ここだけ低くなる。地域との関係性で言えば元の姿に戻る。あの災害を契機に研究が進み、この国ではもっと大きな災害が起こる可能性があることが徐々に分かってきた。再び、がれきの山が積み上がるかもしれない。その時に、仮置き場に使ってもらってもいい。

今後のスケジュールは、こうだ。

まずは、復興工事期間中は工事を担う人たちのための作業員宿舎や駐車場として無料で土地を貸し出して、ささやかに貢献する。その後、農地への回復作業を進めつつ、畑を再開するとともに、被災地支援を兼ねた農業の6次産業化への仕掛け作りやブランディングに取り組む。こうしたプロセスは動画で配信して、応援者を集る。お金はファンドでの仕事を細々と続けてなんとかつないでいく。欲しいのは資金ではなく参画だ。

住んでいる都会のマンションは売らずに、民泊施設として活用して収入源に使う。訪日外国人旅行者(インバウンド)には、俊の故郷への被災地ツアーを盛り込むことと、インターネット交流サイト(SNS)などでの発信を条件に格安で貸し出す。旅行のセッティングは、もちろん故郷の会社にやってもらう。

そうすれば、インバウンドがこの街を選んで訪れる理由ができる。ほんの小さな呼び水に過ぎない。だが、格安で大量の観光客を呼び込むよりも、愛着を感じて何度も来てくれるようなつながりを作る方が、はるかに持続可能性が高い。

海外で名だたる巨大IT企業やベンチャーが集まったコミュニティ、いわゆるエコシステムに身を置いている知人が言っていたが、感染症で世界が変化して、これまでの前提が大きく崩れてきたという。今までは「何たらバレー」など世界のエコシステムの拠点にいなければ、最新の潮流が分からなかったし、革新への芽生えを感じるスタートアップとも出会えなかった。だから、そこに意欲的な投資家が取り巻き、成長と成功の好循環を生んでいた。

だが、感染症が広がり、同じ建物にいてもリモートで話すようになり、距離の概念が完全に崩れた。

本当に会いたい相手と、本当に会いたい時に会えば良い。それはリアルなコミュニケーションが、煌めくような大切な時間になるということを意味する。その特別なひとときを盛り上げるためには、創造性や革新性に磨きをかけると同時に、それぞれが魅力的な場に身を置いて相手をもてなすことが大切になる。


一極集中のコミュニケーションから、多極連携のコミュニケーションに変わりつつある。集まることではなく、分散することが差別化になるというのだ。

「あなたに会いたい」と「あなたのいる場所に行きたい」の両方が求められる。それは、災害や感染症の前から、俊が漠然と抱いていた感情とも重なっていた。

人が集まらなければできないことが依然として多いので、都市や都会の役割がなくなる訳ではない。だが、通信の発達と感染症を契機とした生活様式の変化は、都会でなければいけない理由を確実に減らした。最先端を行くプレーヤーほど敏感になり、意識と行動を変えていった。

俊の故郷は密にならないし、この地域特有の風光明媚な景色や、豊かな海の幸、山の幸に恵まれている。都会とはかけ離れた、俊が毛嫌いしてきたこうした要素は、大きな武器に他ならなかった。

投資をやっているような外国人層が、関心を持ってくれるはずだ。俊は、喜んで来てくれるであろう世界の友人とつながっていた。そうしたチャンネルも生かせば良い。農地からの用途変更が一部で生じるため、農地転用許可など行政手続き上のハードルはあったが、官僚や国会議員の知人を通じて情報を集めると、被災地復興の特例制度などを生かせば何とかいけそうだと判断した。

この地は、古来から災害に見舞われている。だが、何度も復興して人々の営みを続けてきた。SDGs(持続可能な開発目標)とか言われているが、親父たちは、最初から自分たちで作った物を自分たちで食べて、身の丈の中で幸せに生きてきた。持続可能性は最初からあったのだ。そのことに自分は全然気づいてなかった。

この街の持続可能性にちょっとだけ違うエッセンスを降りかける。そんなことをやれば、親父が人生を通じてやろうとしていたことの一端が少しだけ分かるかもしれない。そんな気がした。

事業を始めるための最低限の資金を調達しようと、企画書を作った。いくつかのファンドに声を掛け、前向きな返事をもらった上で、畑中に相談に行った。

畑中は、俊の話に厳しい表情を見せた。説明を終えると、手渡した企画書を何度もじっくりと読み返していた。無言の時が流れた。

「組合を引っ張っていく俺からは、良いとは言えない。分かってくれ」
畑中は頭を下げた。俊は表情を変えずに畑中を見つめていた。

「一郎は、真夏の日も雨の日も雪の日も一生懸命に耕して種まいて収穫してたよな。あの光景が、好きだったんだ。思い出しちゃったよ」
涙ぐんでいた。

「一郎は、都会で成功して帰ってこない俊のことを、いつも嬉しそうに話してたよ。でも、それを捨てて、戻ってくるんだな。

生半可な気持ちじゃできないぞ。そのことは肝に銘じておきなさい」

そして、ぐちゃぐちゃの顔になって、こう続けた。

「勉強ばっかりしてたから馬鹿になったんだ! ほんと、俊は馬鹿だよ。

一郎に聞かせたかったよ」

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