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ゲンバノミライ(仮)第49話 看護師の幸村さん

復興の現場で働いていて事故に遭った前園金之助が退院していった。救急搬送時に現場作業員と聞いて、正直なところ不安があった。自分たちの故郷を再生するために遠くから仕事に来てくれて心底有り難いと思う反面、トラブルが起きていることも知っていたからだ。

それは杞憂に終わった。

すがすがしい青空を見上げて、看護師長の幸村早苗は、晴れ晴れとした気持ちになった。無事に送り出す時は、どんよりした天気よりも、こっちがいい。

この街は、特徴的な観光名所などがある訳ではない。あの災害が起きる前には、他地域の人が目立つことなどなかった。

言葉は、のんびりとしている。どちらかというと自らが前に出るような気質ではない。それらが、ゆっくりとした時間が流れる精神的風土を生み出しており、この街を故郷とする者たちにとっての居心地の良さにつながっていた。

それが、あの災害を境に変わった。
思い出が詰まったさまざまな物が瓦礫の山と化した中で、道路を切り開き、生存者を助け、遺体を探し出し、街を片付けて、もう一度、基盤を作る。そんなことを、街の人たちだけで元通りにすることなど不可能だった。だから、助けに来てくれる人がいることは心強かった。感謝の声が、街の各地で聞かれた。

そうした雰囲気が、時とともに段々と変わっていった。
全部がそうではないのだが、汚れた服装で町を闊歩したり、酒に酔っ払って大声で騒いだりする人が実際にいた。この街の人たちとは、言葉の使い方もペースも違った。悪気がなくても、威圧的に感じ、嫌悪感を覚えた街の人も少なくなかった。
街の声が、行政から工事関係者に伝えられ、一時期のようなひどい状況は改善された。だが、いったん染みついたイメージを拭い去るのはなかなか難しい。


「復興作業員お断り」

そんな張り紙を掲げる店舗は、今もなお残っている。感染症が広がった中で、より一層、かたくなになった人も少なくない。

幸村の病棟で、遠くから来た現場作業員が入院するのは、前園が初めてだった。ただでさえ感染症の問題で病院側も患者側もピリピリとしており、現場のリーダーとして懸念を持つのは当然だった。

だが、救急搬送時、前園は頭部への損傷で意識不明の重体であり、緊迫した状況は、そうした懸念を吹き飛ばした。誰だろうとどんな状況だろうと患者を受け入れる。それが、パンデミック(世界的大流行)下でも一貫した病院の方針だった。

前園は、幸いにして外傷だけにとどまり、迅速に運び込まれて止血処置などをすぐに講じることができたこともあって、当日の夜には意識を取り戻した。感染症拡大防止のため面会は原則禁止としていたが、認知機能の確認のために、初日だけは工事現場の関係者を受け入れた。

事故の際に一緒にいたというゼネコン社員の中西好子は、ガラス越しに何度も何度も頭を下げていた。前園は、その姿を暖かく見守り、ゆっくりとうなずき、微笑み返していた。

前園は、大柄で一見強面だが、その姿とは似つかわしくない穏やかな性格で、扱いやすい患者だった。一般病棟に移る際に、マスクの常時着用やこまめな消毒、決まった場所以外に立ち入らないといった感染予防のためのルールを伝えると、「現場と同じですね。分かりました。ご迷惑を掛けないようにします」と頭を下げて応じた。
幸いにも、高次脳機能障害の兆候は見られず、経過は順調だった。理学療法士によるリハビリの指導にも、文句を言わずしっかりと取り組んでいた。

言われたことをきちんとやってもらう。

当たり前のようでいて、現実にはそう簡単ではない。身体を壊して入ってくる病院という施設では、良くも悪くも人となりや地が出やすい。幸村のようなベテランになると、この街の中で良い人として知られた人間が、まったく違った本性を現すことに驚いたりはしないが、それでも気持ちがげんなりする。

前園は、医師らの指示をしっかりくみ取って、身体を治そうとしていた。それは差し入れなどよりも、幸村にとって嬉しいことだった。真摯な姿勢が功を奏し、前園は予定よりも早く退院できることになった。

昨夜、前園がトイレに行った後、ナースステーションの前の大きな窓から静かに夜空を見上げていた。感染症が蔓延している状況で、患者と不用意な会話は禁止事項だが、ちょうど周りには誰もいない。幸村は距離を保ちながら話しかけた。

「前園さん、ご体調はいかがですか。明日の退院は大丈夫そうですか?」
「おかげさまで、頭が痛かったり、身体がどうのこうのなっていたりとか、そういうのはありません。ずっと寝ていましたから、すっかりなまってしまいましたが」

「いえいえ、そんなことないですよ。リハビリをしっかりなさったのは、動きを見れば分かります。患者さんの元気になりたいというお気持ちは、私たちにも勇気を与えてくださるんです」
「入院してみて、病院の方々が本当に大変だって、そう思いました。できるだけ早く出て行くことが、お役に立つことかなって。そうなったのであれば良かったのですが」
「前園さんって、周りのことばかり考えるんですね」

「それくらいしかできないんです。あの時も、突差に身体が動いて」
おそらく事故のことだ。踏み込んだことを聞いてはいけない。幸村は、そう思って、黙って夜空を見つめていた。

「すごい風が吹いていて、上を見上げたら、足場の天端が今にも外れそうだったんです。危ないって感じて、監督さんを足場の外に出さなきゃって思ったんですが慌ててしまって、突き飛ばしてしまったんですよ。悪いことをしました」
「そんなあ。それで助けたんじゃないですか」

「助けるって、そんな大それたことは考えていません。目の前の人が危ないから、なんかできないかって思っただけですよ。あの監督さん、若いけれどリーダーシップっていうか、みんなを引っ張っていくぞっていう闘志みたいなのがあって、現場を前に進めるには必要な人なんです。

だから、役に立ったなら良かったなって、そう思います。でも、被災地の方に対してはまだあんまりお役に立っていないんですよね。もうちょっとでいいから役に立ちたいんです」

しばらく、沈黙が流れた。
前園は、「そろそろ戻らないと、怒られちゃいますね」と言って、病室に戻っていった。

感染症が広がってから、病院は苦しくなった。感染予防のために神経をすり減らす一方で、それほど重篤ではない一般の患者が極端に減り、経営の悪化につながっていた。そうなると待遇も悪くなる。

それだけではない。都会ではどうか分からないが、こうした小さな街だと誰がどこで働いているかは知れ渡っている。マスコミではエッセンシャルワーカーともてはやされているが、街に出ると、幸村のような医療従事者は嫌がられた。それは周りの表情から如実に見て取れた。

感染という危険と隣り合わせで、かつ多忙な業務、割に合わない待遇、何よりも腫れ物に触るような周囲からの視線がつらくて、病院を去る若手も少なくなかった。

患者にとっては本当に必要な、まさにエッセンシャルな存在。だが、一般の人にとっては、「どこかにはいてほしいが、近くにはいてほしくない」というようなダブルスタンダードが、幸村たちの周りを覆っていた。

復興の現場で働く前園のような作業員も同じではないか。真夏にも厳寒の冬にも外で愚直に働き、生活を支える基盤を造ってくれている。被災した地域に住む自分たちにとってはエッセンシャルな存在だが、あの災害が起きるまで、いや、前園に会うまでは、そのように思ったことなど無かった。

現場の人たちに対する今までの自分の眼差しは、パンデミック下での自分たちへの視線と驚くほどに重なっていた。

夜勤だった幸村は、前園の退院には立ち会えなかったが、元気に出て行ったと聞いた。

「もうちょっとでいいから役に立ちたいんです」
前園の言葉が、心に残っていた。

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