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ゲンバノミライ(仮)第25話 リベロの能登君

「ちょっと待ってくれ。戻って右側の梁の交差部を見せてくれ。そこじゃない。もう少し手前だ」
能登隆は、足元に気をつけながら、足場を手前に戻って下側に目をやった。
装着しているスマートグラスを通じて、本社にいる現場アドバイザーの中島泰之が同じ様子を大画面で見ている。

いったい何が問題なのか。
鉄筋が絡み合うように組まれた梁部分を凝視してみるが、まだ見つけられていない。

「どこか分かるか?」
そう言われる前に、自分で改善が必要な箇所を探し出して焦点を当て、中島がしっかりと把握できるよう見せることが役目だ。同時に、右目と右手の動作でポイントをゾーニングして、クラウド上にあるBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)と呼ばれる3D図面データと連携させ、自動チェックにかける。その上で、中島の判断を仰ぐのだ。

遅れれば、また大声で怒鳴られる。緊張するし、焦る。だが、画面がぐらぐらすると中島に正確な様子が伝わりづらくなる。頭も身体を動かさず落ち着いて、現場を凝視する。

中島は、全国で5つの現場を掛け持ちしているため、こうして一緒に現場を回る時間は、多くても週3回だ。次の現場が控えているから、できるだけ迅速かつ的確にチェックしてもらわなければいけない。

どこを見せて指示を仰ぎ、今後の対応を議論するのかを選び、実際に動き回る。それが「リベロ」の役目だ。
通常であれば、能登くらいの若手は現場の一部分の施工管理全般を任されて、協力会社や資材の手配から施工計画の立案・調整、日々の作業指示、安全管理などを担う。そうしたベースは今も変わらないが、情報通信機器や通信ネットワークが進歩した時期に、「プレイングマネージャー」と「リベロ」と呼ぶ新たな役割が加わった。

プレイングマネージャーは、本社から遠隔で現場状況を見ながら、作業計画書や図面・設計図書、施工の前提となる各種法令・指針などと照らし合わせつつ、問題点や今後の円滑な進捗に向けた指示を出す。本社の役職と同時に、現場アドバイザーとしての肩書きを併せ持つ。中島は徐々に増えつつあるプレイングマネージャーの先駆者だ。
リベロは、現場に常駐して、日頃から現場全体を俯瞰的にチェックしながら、プレイングマネージャーに見せるべき場面を考えて、実際に現場に足を運ぶ。判断を仰ぐための重要なサポート役となる。

ウェアラブル端末が普及し始めてから、熟練者が遠隔から指示を出すという流れが急速に速まった。能登の会社も、最初は人手不足の解消や生産性向上という観点から、難しい場面を中心にピンポイントで指示を出すというところから始めた。だが、すぐ壁にぶつかった。

指示をすることも、指示を受けることも、場面が設定されれば簡単なことだ。問題はその場面を誰がどのように設定するか、だった。
何でもかんでも見せるようでは、かえって時間が余計にかかってしまう。トラブルの予兆がある場にいたとしても、現地にいる人間がその方向にカメラを向けなければ、熟練者であろうが手を出せない。現地を見せる側の熟練度が低ければ、十分な効果など期待できないのだ。

見る側と見せる側のそれぞれが一心同体となり、それぞれがお互いに相手の頭脳や目、耳、手足とならないと本当の意味での力が発揮できない。そうした考えから、プレイングマネージャーとリベロがセットになって動く体制が設けられたのだ。
リベロは、単なる指示の受け手ではなく、プレイングマネージャーが現場のリアルな状況を把握できるような見せ方を計画していく。自分自身が現場を理解し、先んじて考えるべきポイントや問題が起きそうな予兆となる部分を探し求めていくのだ。

プレイングマネージャーには、第三者的な立場から現場の指揮権を与えられている。
別の意味からすると、本社からの監視とも言えるが。だが、良い点も悪い点も含めて、情報が正確に水平展開されていくため、個人の知識・ノウハウの蓄積と、組織としてのレベルアップが両立できる。何より、リベロをしっかりとやり遂げた人間は成長が早いため、若手の登竜門的な位置づけにもなっていた。

中島は、生まれつき足が不自由だった。
「俺にとって初めて居場所なんですよ。能登さんに厳しく当たることもあるかもしれませんが、役立たずと思われると、せっかくの自分の居場所が無くなってしまうんです。

同じような境遇の人が活躍できる場を守る、っていう切羽詰まった気持ちでやっているので、分かって下さい」

リベロに決まって本社の中島に会いに行った時に、そう言われた。
「鬼の中島」という呼び名からはかけ離れた物腰の柔らかい人だった。
一緒に仕事をすると豹変するという触れ込みも、その通りだった。

中島と現場を回るたびに、能登は何度も何度も怒鳴られた。指導されるのは、現場に不備がある場合だけではない。図面通りに安全な手順を踏んで順調に工事は進んでいたとしても、不具合やトラブルの予兆があると、雷が落ちてくる。
事故には至らないものの、ヒヤリとしたりハッとしたりするような危険寸前のいわゆる「ヒヤリハット」に近い状況は、実際にあった。3Dモデルで綿密に立案した計画に落とし穴があり、そのまま進めていれば肝心の資材がそのまま投入できなくなるようなミスを回避したこともあった。

この状況が良いかどうかという現在の視点だけでは駄目なのだ。「このまま作業が先に進んだときにどうなるのか」という未来の視点を重ね合わせて、リスクを事前に摘み取りながら完成に近づけていく。これまで数え切れない膨大な数の建設現場で、リーダーたちがやってきたのは、そういうことだ。

能登は、昨日の夜に見返していた3Dモデルを頭の中で、もう一度思い出そうとしていた。かけているスマートグラスを操作すれば出てくるかもしれないが、膨大なデータを羅針盤なしに駆けずり回ったとしても、答えにはたどり着けない。問題点をあぶり出すデータを、ピンポイントにたぐり寄せる鍵は自分の頭の中にしかない。
ただ、鉄筋の太さも設置間隔も、型枠からの離隔距離、いわゆるかぶり厚さも、ぱっと見た感じでは問題ない。鉄筋工は、資材搬入段階から3Dモデルと連動した資材管理を行い、スマートグラスで設置箇所を確認した上で組み立てて、その結果は施工管理データに蓄積される。
間違いがあれば、組み立て時にも施工結果のデータ送信時にも警告が発信される。そうした報告は上がってきていない。

気になっているのは別のことだった。
「いつまで人の手でやるんですかね」
ぽつりと出たのは、そんな言葉だった。

「どういうことだ?」
「昨日も雪が降る中で作業していました。工場で大部分を構築するプレキャスト(PCa)化がかなり普及しましたが、梁の交差部などは、いまだに極寒の中で重たい鉄筋を持ち上げて組み立てています。生産性が低いし、どうしても品質にばらつきが出ます」
「どうすればいい?」

「絵空事かもしれませんが、3Dプリンターで鉄筋自体を生成すればいいと思うんです。いや、鉄じゃ無理でしょうから、同程度に引っ張りを受け持つ別の素材かもしれません。強度発現まで時間が必要なら材齢を考慮した工程を組み立てればいいはずです。全部は無理かもしれませんが、こういう込み入った場所だけを改善するだけで、人手による作業を少なくとも半分以下にはできるんじゃないでしょうか」

そこまで言うと、能登のスマートグラスに映像共有の通知が入った。中島からだ。
全画面表示を受け入れる操作をした。出てきたのは、雪が降り続けていた昨日の風景。画面の端に自分の姿もあった。

「お前の言うとおりだ。ただ、俺は現場のことは分かるが、新しいテクノロジーは俺には向いていない。知っているだろうが、非常階段の所で型枠自動化がもうすぐ始まる。俺はそこに鉄筋も絡めるべきだと思っている。技研の主席研究員に大山という変わった奴がいる。相談してみるといい。西野所長には俺が話を付けておく」

「え? 本当ですか?」
型枠の動きは気になっていた。参画できるのであれば、願ったり叶ったりだ。

「間違い探しを見つけることも大事だが、いずれそんなのはAIに置き換わる。次に手を付けるべきことを考えなければ、プレイングマネージャーもリベロも陳腐化する。そういう役割も考えながら仕事をしてほしい。頼んだぞ」

「はい!」
能登の元気な返事が、現場を駆け抜けていった。

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