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フリーゲーム『ネガイのラビリンス』が面白かったという話4

 ディンクさんが作ったゲームである『ネガイのラビリンス』で書きたくなったので書きます。あいかわらず内容とかは説明しません。というわけでルフォン戦です。スピネル→アリスの順で書きます。 ルフォン ルフォンの行動は完全固定です。初動【ホラードール】生成フィールド展開、それ以降はモンスター召喚、《愛の贈り物》によるポイズンポーション製薬、《お人形遊び》による攻撃のローテーションです。ダメージを与える行動が一つしかありませんが、【ホラードール】だけの手札になるなどの実質詰みになるパ

    • フリーゲーム『ネガイのラビリンス』が面白かったという話3

       ディンクさんが作ったゲームである『ネガイのラビリンス』で書きたくなったので書きます。あいかわらず内容とかは説明しません。 管理者戦 シナリオをクリアすると戦えるようになる管理者とのバトルでいかに面白くゲームができるのかのデッキを構築したくなりました。ただ、序盤の三人(ヘカテー、ネプチューン、ウロボロス)はかなりアクが強く、行動制限が厳しいのでなんとなくでは勝てるのですか、うまくデッキが回っているという気がしません。なのでとりあえずはアレスとルフォンの二人を考えます。この二

      • 『はつゆきさくら』のメモ

         この文章はSAGA PLANETSのゲーム『はつゆきさくら』のネタバレ考察記事です。ネタバレしたくない方や考察が苦手な方はご遠慮ください。  恋愛のディスクール  桜(ゴーストプリンセス)。記紀以前の神話。賢木?それともなんらかの政治的な工作で「修正」があるのか。一方コノハサクヤは明白に編集された神話のディスクールの位置にある。したがってそれは発光の召還によるエクリチュールの俳優として人間同士の利害関係を調整する役目を持つ(内田川邊(佐々木恭吾)=宮東閑=カスガ代行)。

        • 「訂正可能性」はどこまで【訂正】と記述できるのか

           この文章は東浩紀氏の『訂正可能性の哲学』を読んだことで触発された考えを書き留めたものです。私がこの本に賛成であれ反対であれ、この本が優れた「議論」を逆説的にも引き出してくれたことに感謝しています。この文章は紹介文ではないため要約を期待している方はそのような内容ではないことをはじめにお断りしておきます。    哲学が家族を否定するのは、(神話的)血縁主義と家族的共同体が理想の政治の妨げになると考えているからだ、という主張はどのような根拠に依っているのか。そもそも哲学者たち

        フリーゲーム『ネガイのラビリンス』が面白かったという話4

          ゲームAIの計算可能性とセクシュアリティの表現の制約性

           ゲームにおいて計算を必要とするというのはどういうことなのか。それは何らかの代替表現の一種なのか。それともある計算技術の利用可能性に関する特性を現前させる方法がゲームとして遊ばれているのか。しかしそもそも遊ばれるゲームになぜ計算は必要であると思われているのか。他の遊んでいるプレイヤーが「計算している」とはいかなることを示しているのか、あるいはそれを示すように誘われているのか。ゲームAIが単に「計算をしている」という表現は十分ではないのか。もしそれが十分でないとしたら、なぜ計算

          ゲームAIの計算可能性とセクシュアリティの表現の制約性

          キャラクターの言語ゲームによる世界の参入とセクシュアリティの解釈

           アニメーションのキャラクターは/言語のゲームの世界を通して/名称指定に関連する/モデル展示の身体表現に/解釈のセクシュアリティの/構造によって貨幣として/識別されなければならない。この主張を一歩ずつ区切っていき、順番に説明していこう。まずはアニメーションのキャラクターの定義からだ。  アニメーションのキャラクターの定義とは何か?それは画面の描画の背景から独立する選択的な意志を持つ身体性のことだ。この主張は他の比較参照項を必要とする。つまりそれは映画の俳優のことだ。映画の俳

          キャラクターの言語ゲームによる世界の参入とセクシュアリティの解釈

          ゲームの身体とキャラクター貨幣のセクシュアリティ

           ゲームにおけるキャラクターの身体のセクシュアリティを金銭的に効率化するというシニフィアンの自動化は、なぜポルノグラフィーの映画の存在論的事実と照応するような監視の金銭ずくの強制という性的事実の存在を告発するという構造と相同的なのか。この理由はひとつしかない。貨幣の恣意的な性的使用はシニフィアンの学習の構造に金銭として自動化させることができないからだ。だから視線の欲望の自動化が衝動の対象への接近だという風に錯覚することで技術的な(ここではマニアックという意味でとられる)「近似

          ゲームの身体とキャラクター貨幣のセクシュアリティ

          音の意味と世界の視野

           音が世界の視野と等しいのなら、その聴いているという事実の派生のなさは確信的だが、どの音に意味があるのかはゲームの主体にとって必然的ではない。もし映画の中に視野に収められることのない浮いた音があるのだとしたら、それは雑音でありノイズであり意図的に配置された無意味さでしかないだろう。しかし生活音や環境音が社会的ゲームの規則とリンクしている場合は、どの音が意図を発していてそうでないかを識別することが「自動的に」できるのでなければならないことが重要になる。つまり音から「逃げる」こと

          音の意味と世界の視野

          Ave Mujicaの世界

           この記事はアニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」の考察です。不快に感じたり面白くなかったりすることがあるかもしれませんがご容赦ください。  キャラクターに感情移入することの重みとは何かについての考え方があります。あるキャラクターに対してそれが「かわいい」とか「かっこいい」とか判断する評価のことです。それはあるキャラクターが愛されているかどうかを確認するための儀式でもあります。愛されていることの耳のかさなさと防衛的な頑固さの違いが何で分類されるのでし

          Ave Mujicaの世界

          人間らしさを模造する消費経済のアンサンブル

           この記事はアニメ「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」の考察です。不快に感じたり面白くなかったりすることがあるかもしれませんがご容赦ください。  まずこの物語の私なりの構造を定義しましょう。それは『CRYCHIC』がなぜ解散したのか、ということです。もちろんメンバーの一人である豊川祥子が『CRYCHIC』を終わらせた、というのはストーリー的な事実です。そして『MyGO!!!!!』にバンドが引き継がれていくことを通して各キャラクターが前に進んでいく様子を丁

          人間らしさを模造する消費経済のアンサンブル

          書くということがゲームを呼吸する透明さに結晶化する

          書くということがいまでは売春のように響く影響を被らないためには常に賭けられている世界の存在を感知することが必要だ。『本』というもの、かつて社会や読者からかけ離れた場所に保管されていた知識はネットにおいてそれ自体賭けられている重力を曝け出した。そう、そこで常に読んだ本の履歴が参照され人は書くということを止めてしまう。そこには他人に伝えられる内容とその雰囲気が共感に流される気配を遮断することができない。 本という歴史が流出する。本は解かれるためにあるのではなくその来歴を明かすた

          書くということがゲームを呼吸する透明さに結晶化する

          フリーゲームの「ネガイのラビリンス」が面白かったという話2

           アリス編です。思いついたことを書いていきます。同じく迷宮主戦の理想構築です。ポーションセットなし。ただし五枚追加は特定のカードを入手していない場合必ず行うというのがスピネル側との違いです。  デッキです。『越流する福音』は管理者戦でも手に入りますが『星と竜の導き』『精霊のお守り』『メテオ』は迷宮主戦からしか手に入りません。したがって五枚追加は上記のカードを目指してピックすることになります。特に『星と竜の導き』と『精霊のお守り』はあるとないとではかなりの違いが出ます。『越流

          フリーゲームの「ネガイのラビリンス」が面白かったという話2

          フリーゲーム『ネガイのラビリンス』が面白かったという話(ネタバレ注意)

           ディンクさんの作ったフリーゲームの『ネガイのラビリンス』が面白かったのでなんか書きたくなったので書きます。ダウンロードはふりーむか夢現あたりで。ゲーム内容自体の紹介とかはあまりしません。  スピネル側の迷宮主用のデッキです。ただしこれは理想構築で『星と竜の導き』や『ダブルガード』などの迷宮主に挑まないと獲得できないカードがすでに入っています。『竜の休息』は管理者との戦いなどで手に入りますが一応迷宮主戦以前では購入できないものになっています。スピネル側で5枚カードを追加する

          フリーゲーム『ネガイのラビリンス』が面白かったという話(ネタバレ注意)