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「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」1

今回の投稿より、ギランバレー症候群発症当時から現在の状況に関して詳しく書いていきたいと思う。

2020年11月中旬、夜中の午前2時の出来事であった。
珍しく日付を越えても受験勉強に取り組んでいた日であった。
そろそろ寝ようと椅子から立ち上がろうとした瞬間、
肩から肩甲骨にかけて激痛が走る
言葉では上手く表すことができない、胸が苦しくなるほどの痛みであった。
あえて例えるならば、野球バットで背中を強く打たれたような…感じであったと思う。涙があふれるほどの激痛で寝るのにも一苦労。どんな態勢になっても辛いのであった。日が昇り朝になっても、痛みが軽減することはなく、近所の整形外科に足を運ぶ。その頃には痛みが腕まで広がり、腕の上げ下げなど出来ない状態であった。診察では、受験勉強による疲れにより上半身に影響が出たのではないかとのこと。経過観察となった。
昼食として、学校に持っていく予定であった弁当を食べたことを覚えている。とにかく痛みが酷く、スプーンを使うのも精一杯。
この後、最悪事態が待ち受けていることを誰が予想できただろうか……

重く痛みが走る上半身を泣く泣く動かしながら風呂に入り、夕食のために床に座る。(当時、床座であった)そして、食事を済ませ立ち上がろうとした。
…あれ?右足に力が入らない……
長く同じ態勢でいたために痺れが続いているのではないかと最初は思った。
しかし、あまりにも長すぎる。
自分の部屋へ向かおうと階段を上る。いつものように右足で踏ん張れない。
母の手を借りて2階へ進んだ。
「明日には治っているといいな…」
少しの期待を胸に抱き、眠りについた。
(上半身の痛みは少しマシになっていた)

翌朝、目が覚めベッドから起き上がる。
右足に力が入らない。
私はこう確信した。左足も動かなくなる…
予想通り、
午前11時頃には全身が動かなくなった
話す・食べる・飲むことができたのは幸いであったと今では思う。
しかし、原因も分からなければ、どんな病気なのかも分からない。
救急車を呼ぶ。
待っている間に、私は父によって1階に運ばれた。
訳が分からない。
何が起こっているのか?
状況整理がつかず、涙も出なかった。
救急車が到着し、救急隊員に運ばれる。
身体状況から命に別条はないために病院先が決まらない。
というのも、当時は新型コロナウイルスが流行っていたため、どこも病床がいっぱいであったのである。結果2時間待たされた。
待ち時間の間、私も母も、この数日の出来事について救急隊員と話し合った。ここで初めて、例の病名を耳にすることになる。
ギラン・バレー症候群かなぁ……」
ギラン・バレー症候群?なに?え?難病なの?なんなの?
頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされた。
個人的に聞いたことのない病名であったからである。
しかし、ギラン・バレー症候群というのは、基本的には下半身から症状が出るらしく、私は上半身からであったため、救急隊員は半信半疑の様子であった。

私たちは更に1時間かけて隣の市の病院(K病院とする)へと向かうことになる。

次回、K病院での出来事を綴る。


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また更新します!!

それでは。

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