2浪済大学生 with ギラン・バレー症候群

「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」 高校三年の11月、…

2浪済大学生 with ギラン・バレー症候群

「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」 高校三年の11月、突如として私の身体を襲った病気、"ギラン・バレー症候群"。 大学受験にも卒業式にも参加することができないまま、私の高校生活は幕を閉じた。 18の秋から現在に至る私の体験談を綴ります。

最近の記事

大学生活二年目 withギラン・バレー症候群

こんばんは。22歳、新大学二年生の2浪済大学生(クリエイター名)です。 普段は、 「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」 として、私の体験談を綴っています。 今回は近況について少しお話をしてみようかと思います。 あ、ただの自己満です(笑) ちょっとした記録として残しておきたくて。 この4月より、大学生活二年目がスタートしました。 約二時間かかる通学にも慣れ、いかに充実した通学時間を送るか模索中。 去年の今頃は、ヘルプカードをリュックにつけること

    • 「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」7

      あけましておめでとうございます!(2ヶ月遅れて失礼します…) 2024年。 "興味ある事や好きな事に正直になって積極的に行動する"年にしたいです。 今回は、リハビリテーション病院(K病院とします)への転院前後の出来事について綴ります。 K病院への転院日。 長く担当してくださった主治医から受験勉強のアドバイスを貰った。 病気に対しても、受験に対しても、 いつでも前向きで、当時の私に的確な言葉を投げかけてくれた。 この病気になったことで失われたものは沢山あるけれど、 この主治

      • 「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」6

        自分の体験談が、少しでも誰かのためになるようにと思って始めたnote。 Twitter(あ、今はXか…)と連携させた方がもっと多くの人に届くのかな…? どこか躊躇している自分がいます。謎。悩み中です。 今回は、12月の出来事について綴ります。 正直、記憶があまりありません。 こんなことがあったよーあんなこともあったなー みたいなノリで綴らせていただきます。 免疫グロブリン療法後の12月。 すぐに身体が回復するなどそんな容易なことではなかった。 正直、あまり変わらなかった。

        • 「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」5

          お久しぶりです。2ヵ月ぶりの更新になります。 大学一年生、後期が始まりました! 慣れもあってか、前期より大学を楽しめています。 あと、自分の身体状況を理由に臆するのではなく、少しずつ踏み出せるようになってきました。 もともと挑戦することが好きなので、"できなくなってしまったこと"に とてもストレスを感じていましたが(もちろん今もありますが……)、 ちょっぴり軽減された気がします。 寒さに敏感な私の身体、よりトイレが近くになったり、より脚に痙性が入りやすくなったりで、まあストレ

        大学生活二年目 withギラン・バレー症候群

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」4

          前回までのnoteで書き忘れたことをココで示したいと思います。 ギラン・バレー症候群(本来は外敵から自分を守るためにある免疫のシステムが異常となり、自己の末梢神経を障害してしまう自己免疫が原因で起こる病気だと考えられている)には2つの型があることをご存知でしょうか? 脱髄型と軸索型です。 私は後者の型であり、運動神経と感覚神経の両方が障害されました。 軸索型は脱髄型よりも治るスピードが速いとされていますが、私の場合、まだまだ完治には程遠いです。症状の出方や治り方に個人差がある

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」4

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」3

          四肢が完全に動かなくなってから2日が経った。 私はK病院からA病院へと搬送される。 脳神経内科の医師のもと、様々な検査が行われた。 検査結果により、あの病名が告げられる。 "ギラン・バレー症候群" でも不思議なことに、この事実を告げられた私は意外と冷静で、 3週間程で退院できるだろうと謎にポジティブであった。 母に食べさせてもらいながらの昼食中も割と精神安定。 その時の私はこのような生活がどれほど続くか知る由もなかった。 (医師から詳しい説明を受けた母はどんな気持ちであっ

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」3

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」2

          隣の市のK病院に連れていかれた私。 (正直、着いてすぐの出来事は覚えていない) 背中から髄液を摂取する検査を行った。 (おそらく脊髄穿刺、後に異常なしと分かる) この時点で感覚障害あり。針の痛みは全く感じなかった。 不幸中の幸いとでも言ったらいいのか…(苦笑) そして、自力で排尿ができない(排尿障害)ため、 尿道カテーテルをつけることになる。 この時の私の気持ち。 それはもう、本当に、本当に、絶望的。なんで?って感じ。 どうやってトイレしてたっけ?ってなった。 K病院にいた医

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」2

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」1

          今回の投稿より、ギランバレー症候群発症当時から現在の状況に関して詳しく書いていきたいと思う。 2020年11月中旬、夜中の午前2時の出来事であった。 珍しく日付を越えても受験勉強に取り組んでいた日であった。 そろそろ寝ようと椅子から立ち上がろうとした瞬間、 肩から肩甲骨にかけて激痛が走る。 言葉では上手く表すことができない、胸が苦しくなるほどの痛みであった。 あえて例えるならば、野球バットで背中を強く打たれたような…感じであったと思う。涙があふれるほどの激痛で寝るのにも一苦

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」1

          「ギラン・バレー症候群になった私が二浪を経てやっと大学生になる話」0

          現役大学生の2浪済大学生(クリエイター名)です。 2023年3月、二浪の末無事に大学合格を手にすることができ、3年間の受験勉強生活に幕を閉じた。まだ20年しか生きていないものの、受験生として過ごした日々は人生で一番辛かったと言っても過言ではない。というのも、私を苦しめたのは"受験"そのものだけではない。何より、現役時代に私を襲った"ギランバレー症候群"である。つまり、この受験と病気のダブルパンチが私にとって苦痛なものであった。 大学生になった今でも後遺症に悩まされており(詳

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