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日本・仏印の相似形-大川周明氏と陳仲淦(チャン・チョン・キム)氏①一流学者の素顔 ~共産主義について~

  ベトナムの仏領インドシナ関連の古い書籍を捲っていると、”何とも、不思議だなぁ。。。”と感じる時が度々あります。

 ”もし、あの時代にこの人が生まれてなかったら。”
 ”もし、この時にこの人があの人と会ってなかったら。”
 ”もし、この時あの紹介者が居なかったら。”

 以前、ベトナム革命の躍動期に彗星の如く現れた『龍虎』の2人(に私には思える)、クオン・デ候潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)を記事にしましたが、⇒(ベトナム革命志士 潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)自伝『自判』自費出版のお知らせ(2024年7月7日))、あの二人があの同時期にベトナムに生まれ落ち、出会い、車の両輪の如くに革命運動を動かさなければ、ベトナムの植民地解放は更に遅れた、或いは違う形になっていたことを考えると、偶然の様でとても単なる偶然には思えない歴史の必然を感じます。
  
 また今回は、同時期に其々日本と仏印に生まれ落ち、やはり見えない力で押し出され、活動した相似形の2人の学者-大川周明氏陳仲淦(チャン・チョン・キム)氏の、相似性の不思議を書いてみたいと思います。

 其々の国であの時代の稀代の学者だったことは異論の無い所に加え、お二人の遺稿には驚くほど同じ考え方が書いて有り、その中でも興味深いのが『共産主義』に関する記述です。

 チャン・チョン・キム氏は、回顧録『一陣の埃風』の中で、「共産党とは、その組織と行動の手法から見れば新興の一宗教と云えるだろう。」と言ってますが、同じく大川周明氏も、晩年の自伝的書物『安楽の門』(昭和26年)の中に、「共産主義は、まさしく共産教と呼ばれるべきものである。」とほぼ同じことが書いて有ります。⇩  

 共産党とは、その組織と行動の手法から見れば新興の一宗教と云えるだろう。迷信と信仰に基づく既存の古い宗教と同じで、懐疑を抱いたり逸脱する事は許されない。(中略)この宗教の信奉者は、マルクス・レーニン理論を絶対視し、この理論を実践すればあらゆる面に於いて幸福が得られ、現世で極楽浄土が実現出来るとする。又、信仰としての共産道は、完全なる唯物道である。他神聖の拝棚を拝むことは絶対に許され無い。廃棄した旧来の神聖達に代わって、マルクス、レーニン、スターリンなどが唯一絶対の崇拝対象となる。
 この宗教に心酔し、この理論が絶対的な真理だと思い込んだらその他全ては邪教、邪道になる。彼等を信じない者、共産党の党首=教主様に反対する者は反教者として厳罰に処される

チャン・チョン・キム著
『一陣の埃風 第7章 共産党の理念と行動』

…頭から宗教を否定して居りながら、自ら気が付かずに熱心な宗教信者となって居る者がある。私はその絶好の一例を昨年物故したハンガリーの老大統領において見た。一昨年12月21日、スターリン満70歳誕生にこの大統領が述べた祝辞を読んで、私はその中に漲る宗教的情熱に一驚した。(中略)私はこれを読んで、たちまち観音経の観世音礼賛に想到した。天上にありて、一切衆生と一切万事とを照覧し、同時にひしと一切衆生の身辺に寄り沿うて離れぬ者こそ、取りも直さず観世音菩薩でないか。(中略)
 社会のすべてのちからを一人に集中させて、これに服従することを好むロシア人の民族性から考えて、(中略)革命後約30年を経たる今日のロシア人は、あたかも日本人が天皇に対すると同様の宗教的敬意を彼に対して抱いている。…宗教的にスターリンを崇拝しているとすれば、共産主義はまさしく共産教と呼ばれるべきものである。
 

大川周明著
『安楽の門 四、私はどうして大学の哲学科に入ったか』

 キム氏は、
 「この宗教の信奉者は、マルクス・レーニン理論を絶対視し、この理論を実践すればあらゆる面に於いて幸福が得られ、現世で極楽浄土が実現出来るとする。」
 
この様⇧に書いてますが、周明氏も全く同じ。⇩

 「…そして『マルクス秩序』とは、彼(=ハンガリー大統領)にとりては『この世ながらの極楽浄土』の異名であるから、その創建者スターリンは『火坑変成池』の大神通力者でなければならぬ。超人間的なる者に対する宗教的崇拝となって居る」と書いてます。
 極楽浄土(=マルクス秩序)の創建者=神。 

…宗教はアヘンなりとしてその絶滅を期して居りながら、マルクス・レーニン・スターリンを三位一体の神と仰いで、いつの間にやら自ら宗教信者になって居るのである。

大川周明著『安楽の門』

 
 「この宗教に心酔し、この理論が絶対的な真理だと思い込んだらその他全ては邪教、邪道になる。」
 
とキム氏は⇧書いてますが、周明氏もこれを、⇩
 「(共産主義者達の)不惜身命は、その宗教的情熱に負うものであり、彼等の極端なる排他的精神は、吾が仏のみ尊き宗教的心理から来るものとせねばならぬ。」
 
と、共産主義(=共産教)の排他性は何も真新しいものではなく、人間が元来持ち続けて来た宗教的排他的精神から来ていると指摘しています。

 キム氏はまた、この様に書いてます。⇩

 実際に共産主義の持つ特性とは、常識的な道理を受け入れず、世間一般に信じられている倫理道徳に対しても無知であり、共産主義者にとってそれらは旧時代封建社会の悪習であるから、跡形も無く消滅させる為に手立てを講じようとする。それを信じる者は聡明で悟りを得た者であり、信じなければ愚鈍で無知な人間である。

チャン・チョン・キム著『一陣の埃風』


 この事⇧を大川周明氏も簡潔に言い表しています。⇩ 

 今日の共産教徒は、初期の回教徒に酷似している。両者は共に宗教団体であると同時に、政治団体でもある。そして両者とも全人類の改宗を目指して邁往する。中国の共産主義化は、実に回教徒のスペイン征服に比ぶべきものである。

大川周明著『安楽の門』

 。。そうかぁ、じゃあ極東の島国・日本はさて置いて、あの先の世界大戦というものは実は、世界の中では『レコンキスタ』の相似象だったのか?(←日本は気付いて無かった。。😅😅)とも思えます。

 『共産教徒は、初期の回教徒に酷似』、共産化は『回教徒のスペイン征服』。。。それならば、世界大戦前後の欧米諸国は、”さぞ、怖かったに違いない。。。” 😅😅 
 欧米人のDNAに擦り込まれた深層行動原理とは、『異教徒に対する恒常的な恐怖』なのかも知れず、なら、欧米人は初めから『共産主義』を一貫して『新手の異宗教の襲来』と見てたとか。。?😅

 えーと、話が反れてしまうので戻しますが、
 キム氏の『一陣の埃風』に、共産主義のベト・ミン少年とハノイで面会したことが書いて有ります。⇩

 「私たちは祖国の為だけを思って仕事をし、名利を得る気など微塵もない。きっと皆さんの党も祖国を想っての行動だと思う。それなら、方法は異なるが目指す目的は同じだ。だから、祖国救国の為、外側でも、内側でも、お互い協力できると思うがどうであろうか。」これに、少年は答えた。
 「我々の活動には独自の主義があり、祖国を完全独立に導く一貫した計画がある。我々には、それが出来る。」
 「祖国独立を図るは我々も目的にしている。しかし、正道を行くには多くの困難が伴う故に紆余曲折はあるが、しかしその方が一歩一歩確実に進むのだ。」
 「我々には完全独立への一本の真直ぐな道があるだけで、他の道は無い。」
 「君たちの考えでは、国民へ大きな禍が及ぶことを危惧するし、成功するかどうかも定かでない。」
 「我々はどんなことがあっても成功する。禍を出しても関係ない、禍の後に利が生まれる。国民の10分の1が死んだとて、我々は残った人間で新しい社会を建設する。死んだ9割に比べてその方がよっぽど良い。」 
 そう言い終わると、おそらく暗記してるのだろうベト・ミンの行動について座って朗読を始めた。その態度から、もう道理を説いた所で聞く耳を持たないだろうと判った…

チャン・チョン・キム著
『一陣の埃風 第6章 ベトナム政府と国内情勢 』

 この背景⇧を説明し得ると思う文章が、『安楽の門』にあります。⇩

…西洋学者の書物を読み耽って居る間に、いつの間にやら思索の自由を奪われ、カントやヘーゲルの奴隷になり兼ねまじくなった。幸いに3先輩(頭山、押川、八代)に親炙してその信仰を知り得たことによって、私は書物に対する過度の尊敬から解放された。書物は、私の心の案内者たるべきもので、決して心の専制者であってはならない。私はいかなる学者の奴隷にもならず、自分の自由なる心で宗教を学び且つ求めねばならぬと思い定めた。

大川周明著『安楽の門』

 要するに、大川周明先生でも、書物を読み耽って居るうちに『書物』の奴隷になり掛けて、身近な周囲に心から尊敬出来る先輩たちの存在があって初めて解放された、学者の奴隷に成らずに済んだと言っています。
 それなら、長引く戦争で父も母も無く、貧しくて孤独な若年層や女性らが○○主義の教義や教主の盲信者となるにそう長く時間は掛からない筈。

 「宗教は阿片(あへん)なり」が共産主義の教義だったと思いますが、要するに結局、宗教も書物もそれ自体が阿片ではなく単なる心の案内者であり、しかし逆に心から尊敬出来る先生や先輩が周囲にいなければ、宗教も書物も学問も阿片へ豹変し、そして奴隷道へ一直線ということなのでしょう。

 大川先生は、ロシア人の民族性を、「社会のすべてのちからを一人に集中させて、これに服従することを好む」と説明してますが、実はベトナムには案外ロシア人が多く住み私も交流する場面が多かったので、ロシア人に対して全体的にそういう印象を持ってます。

 「革命後約30年を経たる今日のロシア人は、あたかも日本人が天皇に対すると同様の宗教的敬意を彼(=スターリン)に対して抱いている。」
 

 この⇧、『日本人が天皇に対すると同様の宗教的敬意』が、今はプーチン大統領に向けられていると考えれば、なるほど、、大川先生、流石に鋭い指摘です。。。😊😊

 それで私が思い出したのが、共産党一党独裁国家のベトナムで30年前に見たテレビ放送のこと。
 ベトナムに住み始めた90年代初め、旧正月に国営テレビで流れる『ザップ将軍家の三が日』という毎年恒例の放送がありました。。。(笑)

 ザップ将軍というのは御存知、ディエン・ビエン・フーの戦いでベトナムを独立に導いた(とされる)世界の名将軍の一人、独立の父ホーおじさんに匹敵するベトナムの英雄の、あの故ヴォ・グエン・ザップ将軍です。

 穏やかな早春の日差しの中、自宅の庭園で椅子に鎮座したザップ爺さんを幼い孫や御一家が取り囲む団欒姿をただ放送するだけの番組をぼんやり見てた当時20代、まだベトナム語が能く理解出来なかった私でも、直ぐにそれが何なのか判りました、何故なら日本で同じ様な番組を毎年見てたからです。。

「なんだ、皇室番組じゃん。」

 その様に理解しました。。😂😂😂

 その、ほんの20年前まで共産革命戦争に従事してた共産党幹部の方々も、革命だ、主義だ、マルクスだレーニンだ、粛清だ、人民解放だで、戦争終わって早速『ご皇族の一日』を真似た番組作ってるんだな。。。と判ってちょっと安心したことを覚えています。😅😅😅
 


 

 

 

 
 



 
 


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