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仏領インドシナの北部ベトナムに眠る『露天掘り炭鉱群』のこと

 戦前の仏領インドシナ連邦関連書籍を読んでいると、『北部ベトナム(=トンキン地方)露天掘り炭鉱』の文字を沢山見かけます。
 これは、当時なら当然の事だったのかも。。。⇩

 「…かつて、日本のエネルギー源は石炭だった。鉄道、船舶、火力発電所、製鉄所、工場の蒸気機関と、ありとあらゆるエネルギーは石炭だった。これにとどまらず、一般家庭での風呂は石炭を燃料とし、粉末を固めた練炭火鉢は暖房、煮炊きにと使用していた。産業全般のみならず、日常生活においても石炭はなくてはならない、身近な存在だった。」
         浦辺登著『玄洋社とは何者か』より

 昭和初期に一部船舶などの燃料は『石油』に代わったそうですが、戦前日本の一般需要はまだまだ石炭がメインだったようです。
 昭和4年(1930)『獄中記』邦訳版(漢語原本は1914年上海刊行)編者南溟生氏の『序』に、
 「…(安南国に関しては)国内民心の帰向如何のごときは風馬牛相関せず、全く知る所がない。」
 と表現されていた日本社会が、1940年前後を境に政財界だけでなく一般国民までが俄然大注目し、『仏領インドシナ』へ熱い視線を送った大きな理由の一つがこの『仏印トンキン地方の”露天掘り炭鉱群”』の存在だったかと思います。
 『エネルギー問題』ですねぇ。。主婦の私は興味深々、昨今の電気・ガス代高騰は家計を直撃ですから。

 先の記事同様に、旧満鉄(南満州鉄道株式会社)の『東亜経済研究所』の書籍に鉱山・炭鉱研究が詳しいので、そちらを参考に纏めてみました。⇩

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 印度支那における鉱業は農業に次ぐ重要産業で、鉱産物としては石炭、錫、タングステン、亜鉛、鉄、燐(リン)鉱等を挙げ得るが、石炭の産出量は特に群を抜き、金鉱産価額の7割乃至8割を占め、米、玉蜀黍(トウモロコシ)、護謨(ゴム)についで重要なる輸出品となっている。
 石炭埋蔵量については、…1937年12月号アジ・フランセーズ誌の算定に依れば11億2千5百80万トンである。わが内田銀五郎氏の鴻基(ホン・ゲイ)炭鉱の調査に於いても約12億トン前後と推定されているから、ほぼこの見当と見て間違いなかろうと思う。

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 論文は『仏領印度支那の炭鉱業』、著者は逸見重雄氏です。
 これと同じことを、ベトナム独立運動家潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)著書『海外血書』(1909、東京)の中で言っています。⇩

 「我が国の土地と自然が産出する財貨はすこぶる多く(例えば、茶、桂、金、銀、銅、錫、鉛、鉄など)、…自然の物産がはなはだ多いということは、すなわちフランス人にとって大変な利益であります。(中略)従って、かのフランス人どもが我が国を垂涎の的とする理由は、ただその自然の物産だけにあると言えます。」

 鉱物資源が豊富でほぼ未開発だった仏領インドシナ連邦は、ドイツに降伏(1940~)したフランス・ペタン政権で友好関係となり、エネルギーと食料不足に喘えぎ始めていた当時の日本にとって何とも心強く頼もしい大東亜共栄圏の同胞国。。。

 「…日本の購買量は僅々7ヵ年間に約2倍に増加し、支那の地位に代わって第一位に上がったのである。(1937年、日本の購買量は約81万トン)」

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 仏印の石炭はその大部分がトンキンの東部地方に偏在している。トンキンに接壌する安南北部地帯には瀝青炭(粘結炭)、褐炭、又中部安南の順化(ユエ)港の南部一帯に無煙炭、(中略)…現在石炭の大部分はトンキンから産出され、(中略)石炭の年産出量は1937年に於いて約230万トン、その中、226万トンまでは含有揮発分3%乃至10%の極めて良質の無煙炭である。この石炭産出量を同年世界の主要産炭国の産炭量…に比すれば、…その開発度合が如何に貧弱なるかを知るべきである。
 印度支那石炭はその大部分が前記の如く良質の無煙炭であって、殊に鴻基(ホンゲイ)炭はその良質なる点に於て世界に周く知られており、(中略)フランスが当領侵略に着目した動機はこの埋蔵量豊富な鉱物資源の獲得にあったと云われるのも敢えて過言ではないのであって、フランス人は今日のトンキンの重要鉱山を悉くフランス人経営の大炭鉱会社の独占に委ね、その収むるところの利潤を本国資本家の懐に流入している。

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 ここの「本国資本家」は、石川達三氏の『包囲された日本』に詳しいです。

 「…仏印の事業の大部分はサイゴン財閥の手にあり、サイゴン財閥はユダヤ系とコルシカ系であった。コルシカ財閥は殊にその主力をサイゴンに集中し、その巨頭とも言うべき人物は総督府の財務局長官クーザンである。(中略)またパリに本店を有する印度支那銀行は仏印の発行権を持ち、…代々の総督さえも頭が上がらないという勢力を持っていた。

 日本では何故か”陰謀論”で毎度お馴染みになった😓😓ユダヤ資本は、戦前書籍中では普通に載ってます。東京裁判で絞首刑となった松井石根大将は、1937年8月に現役復帰して「上海派遣軍司令官」辞令が下った時、
 「…宣伝謀略のため海軍から適当な人物を出して欲しい旨を伝え、上海のユダヤ財閥を味方につけるため、ユダヤ通の犬塚惟重大佐を指名している。」
      早瀬利之氏著『将軍の真実』より

 戦前ユダヤ研究で有名な「犬塚惟重大佐」。陸軍にもユダヤ通と呼ばれた「安江仙弘(やすえ のりひろ)大佐」がいました。お二人のユダヤ研究書は今や図書館で読めると云うのに、”陰謀”とは。。。😅
 外国から眺めると、日本は魔訶不思議なブームが多いような気がします。

 それより気になるのは「サイゴン財閥」のもう一方「コルシカ財閥」ですよね。そんな財閥あったのか?!、と調べてもネットでは見つからず、「コルシカ」で調べると「ナポレオンの生まれた島」、1769年にフランス領になる前はイタリア領です。更に「コルシカ、仏領インドシナ」で検索したらなんと「フレンチコネクション」なる麻薬マ○ィアが出て来てしまうので、田舎の主婦はちょっと怖いので、:(;゙゚'ω゚'):、
深堀りせず先に進みます。。。
 因みに、サイゴン・コルシカ財閥はゴム園利権でアメリカ輸出を独占してたそうですが、北ベトナム炭鉱利権はどっち(或いはどこ)の財閥が抑えてたのでしょうか。気になりますね。。。

 また、この⇧上に非常に大事なポイントがありましたが、お気付きになりましたでしょうか。。。😅😅
 『植民地経済』を財閥資本勢力が大きく支配する、その親玉が『総督府の財務局長官』。。。😵‍💫
 
こ、これでは、、、『財務省の声が大きくなる=財閥資本による植民地支配が始まったよ~の合図』と云えるのかも。。。それから仏印の辿った道、恐怖の『増税』と『薬物と粗悪酒の強制購入』が始まる。。。
 しかしこのスキームはある意味、寄生植民地支配主義者『伝統的手法』なのかもしれませんね、多分。

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 ハロン湾及びドン・チュ―炭田は、無煙炭鉱として重要であるだけではなく、仏印全産炭量の約90%はこの炭田から発掘され、名実ともに仏印の代表的優良炭田と見做されている。

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 この『ハロン湾及びドン・チュ―(東潮)炭田』というのがこちらの地図です。⇩

 斜線の部分が全部炭田。。。
 
 「炭田の形状は半月形を成してセット・パゴード付近からケバオ島の東部海岸まで長く延びその凸圓部は海に面している。東西約150キロメートル、南北約12キロメートルの広大な面積を擁し、炭層は重畳且つ傾斜して丘腹に露出している。従って、地表近き炭層は露天掘が可能である。」

 ”さあ、掘って頂戴”と言わんばかりに傾斜した丘腹に露出する炭田が、これまた海上運搬に最適な海岸沿いに長ーく続いてます。。。。
 『炭鉱』と聞くと、竪抗櫓からエレベーターで地下深く下り、真っ暗の中ライト付きヘルメットを被って真っ黒になって作業する労働者の姿が思い浮かびますが、仏印トンキンの炭田は、一番上に張り付けた写真の様に『露天堀り』。圧巻ですね!😊😊

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 仏印に於ける鉱業行政の主権は、1935年3月30日の大統領令によって改正されるまでフランス大統領の管轄下に置かれた。そして現行鉱業法の根本規定となっている1912年1月26日大統領令は、…鉱山開発者の資格を左の如く決定している。(略)
 …条項に見られる如く、第3国人の企業参加は個人として全く除外され、ただ会社組織に於いて、而もフランス法人会社としての条件を具備する場合でなければそれが許されない。
 …外国資本の投下に対しても、植民地資源を自国に保留独占せんとした点は、蘭印(インドネシア)も仏印も変わりはないが、仏印は蘭印に比して遥かに排他的であった。

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 先の記事で、仏領インドシナ中央銀行『印度支那銀行』も1930年に同じように法改正して、株主や取締役をフランス国籍を有する者に制限してましたね。。。😀
 フランスの炭鉱開発は、ベトナム侵略直後の1888年に設立した「トンキン仏国無煙炭会社」から始まり、この会社が他社と合同して1934年「トンキン炭鉱会社」となり、他にも「ドン・チュー炭鉱会社」などフランス資本が完全独占で仏印炭業界を牛耳っていたと云います。
 「トンキン炭鉱会社」の本社はパリ。鴻基(ホンゲイ)採炭事務所には約1万人以上の労働者がいて、炭鉱各中心地には技師用住宅、近代運動競技場、庭園、病院、ホテルが揃っていたそうです。
 以下は、昭和鉱業専務取締役久留島秀三郎氏の「ホンゲイ炭鉱視察報告」(1941年)からです。

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 左に山が近づいて、その山麓に炭坑が見える。ドン・チューの街を抜ける。これも炭坑と共に出来た街であろう。我等は愈々無煙炭坑地帯に入った。印度支那に於ける最重要地帯である。(中略)高地になって見事な黒松林、勿論人工林で手入れもよく行き届いている。松脂採集が目的である。
 …ホンゲイの港には4千トン級の船が3隻同時に荷役の出来る岩壁がある。そして年7、80万トンの積み出しをしている。
 …此処から海の方を見た景色は素敵だ。ハロン湾の島々が静かな海に浮かぶ。そして更に数々の島が重なり合って屏風の様に海を包んでしまっている。
 …採鉱場は流石に壮観である。大きい露天堀撫順炭鉱の様な摺鉢式ではなく、北米のユーター銅山の様に山の斜面に階段を作った式である。
 …石炭は見事な光沢のある見るから良質の無煙炭であるが、炭層は可成りもめている。
 …兎に角、よくもこんなに人間が集まったと思う位に採炭場と言わず、トロ押しと言わず、人、人の氾濫である。労働者1万人はいるということである。

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 「我等は愈々無煙炭坑地帯に入った。」とありますので、推察しますにこの視察記は、1936年11月に設立された『台湾拓殖株式会社』と『南洋拓殖株式会社』の特殊会社2社設立を背景に、1941年『日仏印経済協定』締結直後の同年9月から順次ハノイ入りした、日本政財界人百数名規模の『経済資源調査団』御一行だと思います。
 そういえば、長崎澤山商会(1934年設立) の依頼を受けた山根道一(元久原鉱業、南洋協会理事)氏が、1937年『澤山商会ハノイ事務所』を開設しました。山根氏の『鉱山資源報告』を読んだ台湾拓殖会社が出資して設立したのが『印度支那産業株式会社』です。
 
 「なんとしても好条件に恵まれている。炭質は最高級の無煙炭であり露天堀であり、そして港に近くて防波堤の要もない静かな海、ーー風光明眉なハロン湾である。

 日本政財界、鉱業製造業界皆さまの喜色満面のお姿が目に浮かびます。😅

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 それと、『炭鉱』『鉱業』と云えばやはり、クオン・デ候を支援してくれた九州のあの方々を思い出しますね。。。
 『日本の石炭産業遺産』(徳永博文著)の炭鉱関係者名簿には、『玄洋社』の箱田六輔氏、平岡浩太郎氏、頭山満氏、安川敬一郎氏らのお名前があります。玄洋社ではないですが、麻生太吉氏、吉田茂氏のお名前も。。
 
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 クオン・デ候自伝の『第4章 泰(タイ)へ』に、日本に代わる留学先を探す目的でタイへ渡った時のことが書いてあります。現地の越僑(ベトナム移民)部落のバンフォー部落、キン部落、セム部落を訪れました。

 「…バンフォー部落の大半は、その昔嘉隆(ザー・ロン)帝に従ってタイへ行き、そのまま定住した人々の子孫です。タイに定住しタイ語に永く親しんだ末にベトナム語を忘れた人々でしたが、自分たちがベトナム人だと覚えています。キン部落は、バンフォー部落より後から移住した人達の部落。 一部の人はゲアン省出身で潘廷逢(ファン・ディン・フン)のフランス抵抗戦に参加した人々です。潘廷逢の 死亡後にタイへ逃げてそのままタイに住み着き、タイ語は流暢でなくベトナム語を話します。セム部落は、耶蘇(やそ)教徒の人々。バンフォー、キンの2部落の人々は商売観念が薄く、ただ漁業で生計を立てているが、セム部落は養豚業以外に元々造船業 と酒造業に長けた人々でした。けれども、タイで華僑が事業に参入して来てからすっかり奪われてしまい、仕方なく他の2部落と同じ漁業で生計を立てている。こうして見ても、華僑の人々の商売観念は実に恐ろしいものがあると言えます。祖国ベトナムでも利益になる産業は殆ど華僑の手中にあり、タイの地に於いては、越僑人の微小な産業でさえも殆ど彼らに奪われてしまっているのが現状です。」

 仏領インドシナのあらゆる業界に於いても、西洋資本家の下で実際の経営管理を請け負っていたのは華僑の人々です。
 西洋資本家と中間搾取業者による専横を追い払い、祖国の天然資源を国民へ公平に分配したいというクオン・デ候ベトナム人同志達を支援してくれたのが日本やアジア各国志士の方々でした。。😭😭

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 最近世界中でエネルギー代が高騰してますね。私が日本に居れば絶対に冬の火鉢復活を考えると思います。
 十数年後には、もはや『化石燃料問題』はうやむやで、『石炭関連製品』に再度光が当たるんじゃないでしょうか。。
 戦前・戦後から今に至る迄、長きに亘り北ベトナムの『露天掘り炭鉱群利権』を押さえ続けてるのは、一体どこの資本家様たちなのかなぁ。。😅 



     

 
 
 

 

 

 

 

 
 
 

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