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前田裕二さんの「人生の勝算」を読んで泣いた話

嬉しかったです。ありがとうございます。


どうしても前田裕二さんに言いたい言葉です。


昨日、ずいぶん遅ればせながら「人生の勝算」を読みました。


1章を読んだ時点で泣きました。


人生の勝算を知らない人のために、簡単にご紹介しますね。SHOWROOM株式会社の社長である、前田裕二さんという方が書いたビジネス書です。


出版されたのは2016年くらいだったと思います。

前田さんの過去の教訓が詰め込んである本です。ビジネスをしている人からしても勉強になるし、意欲が湧いてくる本だと思います。


前田さんの本で有名なのは「メモの魔力」です。僕、この本も持っています。今は、75万部くらい売れているんじゃないでしょうか?


人生の勝算は、メモの魔力の1つ前の本だと思います。


僕は今「ちょうどいいハンデだ」とかいって、自分の30年を振り返っています。毎回、自分の文章には拙さを感じています。文章表現を向上するには、本を読むのが一番。一番勉強になる本って何だろうと思って考えた結果「人生の勝算」が一番だと思いました。


僕はこの本を読んでもいないのに、絶対これが参考になると思っていました。


僕の勘はよく当たります(笑)


僕は「人生の勝算」に「自己紹介」と「試練の乗り越え方」が書いてあると直感しました。タイトル的にも絶対そうだと思ったし、前田さんの人生に大変な壁が沢山ある事を、別のメディアで知っていたからです。


めちゃくちゃ泣きました。


ネタバレになっちゃうんですけど、この本の1章は「小学生の頃にやっていた路上ライブ」の事が書いてあります。両親が亡くなってしまい、お兄様と暮らすことになった前田さんが、お金の不自由から解放されたいという思いで、路上ライブをするんです。


本編には、この時の路上ライブから学んだことが詳細に書いてあります。ビジネスパーソンが取り入れるべき知識が沢山あります。


僕は、その風景と背景を想像しました。


で、泣きました。


僕にも似たような、カラオケ行脚という体験があったからです。


僕の両親は離婚しています。小学生の頃は、本当に家が冷え切っていました。毎日ケンカです。アル中の父と若い頃の母は、ずっと言い争いをしていました。家中、怒号ばっかり響いていました。学校ではいじめられていました。誰にも相談できてなくて、本当に居場所が無くて孤独でした。


両親が離婚してからは、貧乏でした。親戚の家で気を遣いながら生活していました。


僕は、普通の家庭に対して強烈な憧れを持っていました。それに、周囲に対して劣等感を抱いていました。


僕の家は普通じゃないと。


この時に、母が働いている姿が今もイメージとして残っています。僕は、一生懸命働く母を見て、お金を稼ぐのって大変なんだぁと思っていました。


小学校3年生の頃です。祖母が経営しているカラオケ居酒屋で歌を歌ったら、お客さんがおひねりをくれました。割りばしに挟まっていたのは2,000円だったと思います。


周囲の大人が喜んでくれる姿に、胸がほっこりしました。


僕はそのお金を母に渡しました。僕の中には、このお金は母に渡さないといけないという使命のような感覚がありました。


そしたら母が喜んでくれて「取っておきなさい」と言ったんです。


お金を渡すと母が喜ぶ。僕は、そんな事を思いました。


小学校はずっといじめられています。中学校では友人との死別といじめがありました。


途中で折り合いをつけることが出来ましたが、それでも胸の内の劣等感は消えませんでした。


いじめって、自分の存在が認められてないような気持ちになるじゃないですか。


こんなに色々な事を背負ったのに、周囲の人間と同じようにしろと強要されている感じがして、妙に苛立ちを感じることもありました。


そこから少し経過して、中学生の時に始めたのが「カラオケ行脚」です。カラオケ居酒屋や、スナックを渡り歩いて、客層に合わせた歌を歌い、おひねりをもらうという活動でした。


目的は、遊ぶお金と高校でバンドを組むための歌の練習でした。


でも一番は、自分が存在していることを証明したかったのかもしれません。


僕は、認められる方法として「歌」を選択し、それでお金をもらう事に幸福を感じていました。そこに自分がいる事が、お客さんからの賞賛と金額で分かるからです。


僕はここにいる。こうして沢山の人から声をかけてもらっている。


それが嬉しかったし、快感でもありました。


昔の自分から脱皮していくような感覚がありました。


人生の勝算で路上ライブをしている前田さんの姿を想像すると、音楽で孤独を紛らわせていたのかなと。知らない誰かに歌を聞かせるって、存在している事を認めてもらうためには最適な方法です。


お金を稼いで自由になりたいという欲求も、今の自分から脱皮したいという気持ちの表れなのかなって。


これは実際のところ分かりません。


僕がそう思っているだけですから。でも、そんな風に思わずにはいられなかった。


気持ちがわかるから泣いたわけではありません。「代弁してくれた」という感覚があったから泣いたのだと思います。


僕は、この路上ライブの話を読んで、自分があの時「カラオケ行脚」した理由を再認識できました。


前田さんと自分を重ねてみたなんておこがましいですが、その時の孤独感や背負っていたもの、逃げ出したくなるような恐怖は、なんとなくわかるような気がしてしまいました。


そして、それをはねのけた今の姿に、強いあこがれを持っています。


僕も、こんな風になりたいな。


そんな風に思いました。


届くか分からないですが最後にもう一度。


嬉しかったです。ありがとうございます。

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