思考の原液。
(※口が悪いです)(※読む側のこころの弱点を抉ることを趣味としている、剔抉癖があります)
●"最初はちゃんと丁寧に優しく伝えているのにそれでも聞かないとか調子に乗るとかするからだんだんとキツい語調で言われ始める"、ということを理解できねえ脳みそ未熟が「トーン・ポリシング」というものを知りもしないで発言者を悪し様に言う構図は非常に多いしイライラがすごいになる。己を省みれねえゴミが、言葉尻ばかり捉えて保身に走りたがる読解力の無さを他人のせいにするなって殺意湧いちゃうね、これだから視野の狭い感情優位はキショに感じてしまう
言い方が悪いとかその言い方傷つくとかで「ぼくを不快にさせたお前が悪いのだから話を聞くに足らないゾ」って論点のすり替えをしながら文脈の度外視をしてくる。そんな人間とまともに話し合えるはずがなかろうよ?
相手の意見や主張の内容を無視して言葉選びや話し方の問題へと論点をずらす。言葉選びや話し方がカチンときて肝心の話の内容が頭に入らず「言い方が悪い」と相手を責める。
何かを指摘されることを心底"恐れる"人がこういうすり替えを無自覚に行う。被害者ポジにしがみついて己の読解力の低さなんか一切考えない、相手を責めて逃げたい人がよく言う。自分で問題を解決する能力が無い奴がそうなりがち。
"どうして怒られているのか"という前後の経緯を理解しようとしないまま「怒られた」ことだけを取り上げて傷付こうとする、そういう奴正直クソ面倒くさい。どんだけお膳立てせねばならんのだ?繊細ヤクザ?
多分その手の人間は「突然怒った」のではなく「今までさんざん積み重ねがあってとうとう爆発して怒った」ってことにも理解が至らないんだよ、そしてそれを怒った側の非として認識するんだよ、ゴミか?
……ということをオブラートに包んで伝えても「俺が悪いって言うのかよ!!」って喚き散らしてくるのがな、そういうとこやぞ。プライドだけは一丁前やな
●理性や自覚上の意識(インナーアダルト)の声に盾突く内なる反発。結局それがインナーチャイルドの可能性。
自分としては「その発言のもっと奥に"真犯人"がいるぞ」と思うけどな
その子供っぽい声の中に"義務感"が見える 義務感なんか誰かから何か言われないと感じるわけも無いんだ
親なんて子供がどれだけ「言外のメッセージ」を受け取ってるか自覚しないのだ
一見ポジティブに見える諭しでも本人の心を無視していれば「傷」になるのだ。
最近見たものの中に、水族館で「かっこいい」と子供が言ったときに一緒に見てた親が「こんなのが好きなの?気持ち悪いのに」みたいなこと言ったそうなのだ
そうすると、子どもは「これは気持ち悪いのだからかっこいいと感じるのは間違い、よくないことなんだ」と学習してしまうのだ
そうして幼い子供の純粋な価値観やこころは一番身近な親によって書き換えられ壊されていくのだ
そういうのが心理やスピリチュアル等で言われる「(心の無意識的な)ブロック」にもつながってるのだ
うちのブログで書いてる「エゴの声」のことなのだ
完全に大人側の都合で子供を動かしているのだ
「こうでなければならない」なんていう価値観はたいてい過去のどっかに罠があるのだ
小さいころほど「受け取ったものがダイレクトに影響する」んだけど、それを知らん人が山ほどいるのだ
大きくなったぼくらはなんだかんだ「言葉(理屈)で誤魔化す」ことをして、そういうやらかい部分を見ようとしないのだ だからこじれるということも知らないで。
これがブログで散々言ってる「月の領域」の話なのだ
●人間 こころのやらかい部分を守るため隠すために「きたない」になっていくのだ それを忘れんことなのだ。
きたないものを排して自分だけは潔白であろうとする それがなにゆえ「醜悪だ」と言われ得るのか
自分のこころの柔らかい部分から目を逸らす割に他人の汚さ卑怯さばかり糾弾する それはお前の「弱さ(汚さ)」に他ならないのだ
自分をageて他人をsageてることに気づいてないのだ
じゃあなんで他人の「きたなさ」を拒絶したくなるのか? お前がお前の弱さ(心の傷)から逃げてるからだよ
インナーチャイルドを「発見」するだけで変化があるのは そういうのがあるからなのだ
他人に悪口言ってる人は弱点自己紹介とよく言われてるのだ
「その人が気にしてる部分が口から出てるから」なのだ
たとえばぼくは「バカが嫌い」なのだ。頭悪いと使えないゴミすぎて価値が無いからなのだ
自分の奥底の傷が他人への嫌悪となって口から否定的な言葉として出てるに過ぎないのだ
ちなみに星で見るなら「キロン」「リリス」「ネッスス」あたりの小惑星と「月」あたりの話になるのだ
●同じジャンルの本は3冊は読めとよく言われてるのだ
一冊読んではい終わりじゃ一個の視点しか得られないから洗脳じみてて危険なのだ
色んな視点の本を複数読むことで視野や視点を増やし、多面的に物事を見れるようになる柔軟性を得るのだ
人間何か情報を取り入れるときに「自分にとってソレが良い悪いのどっちかでしか受け取らない」悪癖があるのだ
情報を情報としてフラットに吸収することができない、手前のほうで正義か悪かをジャッジしてしまい悪だった場合に突っぱねて処理してしまう。
そういうクセがあるから、人間は誰もが非常に偏ったものの見方しかできない。そこでもう"常識と呼ばれてるものの存在"は疑わしきと思うがね。
●人間は過去の傷に気づいてないくせにそれに基づくバイアス強くかかるのを他人のせいにしたがるからネ
嫌味のつもりないのに嫌味に感じるとかがソレね
だからこそ誤解のないように、という「会話」が必要になるんだけどね…
お前はそう、でも私はこう。この部分をすり合わせしようとしないならそれまでのこと
その後のズレから生じる軋轢の責任は誰が取るんだろうね
めんどくさがって避けようとするから後から後から問題が出るのだ
罪悪感が強いとか自己肯定感が低いとかすると人から言われたことですぐ自分を殺すのだ
世界に偽善者がいるのではなく、偽善者と見る心の汚さがあるのだ。
「私がクソなんじゃなくてお前が歪んでるだけ」と言うのは強く主張していきたい
ピュアなものを真っ直ぐ見れない人間のなんと多いことか、
信じたくないからその存在を否定したいだけなのだ、そのうえで自己正当化するのだ
よごれちまったお前自身を省みろなのだ
良くも悪くも私が「鏡」だと言われてるからこうも言えるのだ
●もっともらしいこと言って心殺すやつ〜〜〜
自分は悪人なんだという思い込みと思っちゃいけないんだという否定を植え付けるしそれによって傷つく心は無視されるべきというアレが枷になる言葉の呪いですよ
小さい頃の心ほど大人の無頓着な対応が傷をつけるんだゾ
今までのことをぶつけた、感情を爆発させたってことは
溜め込んできたことがあってもう無理になったからだろう多分
それを「人を憎んではいけない」とか都合いいこと言って一蹴するのは
大人による子供へのクソが見えるとオラつき出す
お金や物などの物質的な物じゃなくて言動や内面で他人を見るべきとは思いますよ
小さい頃はそれがわからんでもそのうちそれで痛い目を見るよ。
自分の人生に大きい害を与えてきた相手にそこまでして懐き続ける必要は?
相手が親だろうが嫌っていいし憎んでいい、なんなら仕返しだってしていい
そういうところを美化しすぎてるから子供が抑圧され続ける
ほんと
そこまでしてクソ親に搾取され続ける必要がどこに?
自分を削いでまで。
親の呪いの下にあり続けるから反抗できないんでしょうよ…言いくるめられるなりして…
子供は親のエサになりやすいのは立場を利用できて都合がいいからです、そこで子供側がきちんと自我持たんといかんのよ
典型的な搾取される側と搾取する側の構造なんよ
周りから言われてんのにそれでも言いなりになり続けることを選ぶ奴にゃもう何も言うことないわな
私が言いたいこととしてはいつまでも親にイニシアチブ取らせ続けてんじゃねえよ文句があるなら自我持てとしか
親を食い殺すくらいやっていいって上書きせんとならんよ
「やられたこと」に対しての報復は、親や身内であろうとしっかりやらねばならんよ
調子乗らせることになるから。
「やられたこと」も、自分の心の傷や弱いところをみつめないと、わかってこないことだからね
自分の歪みから目を背けて他責し続けてる間は理解し得ないよ
親は子供に対して潜在的な恐怖を植え付けやすい存在なんだから、親はそれを無意識的に利用しやすいんよね
私の言うこと聞いて当然、子供が口答えするな、親に偉そうに
みたいな人多いでしょうよ
子供の目線に立てる大人はクソ少ない。
まあもう古いんだよそう言うの
いつまでも過去の形式にとらわれてんじゃねえよってな
●「目の前の相手に合わせた助言」と「一般的にそう言われてるからそうあらねばならないと述べる」とでは 大きく違うし 人を傷つけ得るのは大概後者です
相手の心を観察しないで「こういうものだから」で決めつけ一蹴するのは、お前同じ事やられてみ?としか思いません。
相手の話をよく聴きどんな悩みなのかを調べ、それにフィットするような言葉を出せないなら喋るなですらある
汚れた大人やいろんなものを諦めている大人がそういうことをやりがちです
「エゴ」とか「色眼鏡」とか「先入観」とか。
"凝り固まり"、及び"視野の狭さ"、"柔軟性の無さ"とも言えます
とりあえず口を挟みたがるてめえの勝手な衝動は横に置いておいて傾聴したれや ということができる人がどれだけおるのか、ということです
我が子相手ですらできる人はあまりいないでしょう
朝の霜柱をビニール袋に入れてたけど昼にそれが溶けて泥のみになってしまった、のを後から見た親が驚いたそうだが、子どもなりに親に見せたくて保存していた、という話を聞いて
親から見た時にゴミのように見えたそれは、子どもにとっては重要なものだったかもしれない
おれは大人や親のそういうところを省みれない場合がゴミクソうんこのように感じます
●言う前から文句垂れるなや、やってから文句言え腰抜けが みたいなところはぼくは強いよ(
あーだこーだ言葉をもっともらしく並べ立ててビビってるだけだろうが みたいな煽りはどんどん思いつきますねえ!
やったうえで「やっぱあかんわ」って言われるならスン…てなるから。
とりあえず何の努力や検証もなしに行動に移さん人間はなじりたくなっちゃうな…♠
わしはだいたいが「自分がそれで失敗してきたからお前にそうならないよう教えてんねんで」だからブーメランだぞ系指摘は効きませんプププ~。たまにおまいうされるから…。
誰も言わんから俺が言うしかなくなってんだよ殺すぞ(結構ある。
「お前に言われたくない」「じゃあ誰が言うんだよ?(殺す構え」
私がそれを言わねばその場の誰もが「その解」にたどり着けなさそうだから私が血を流しながら言うんだぞ
●おでは間違った存在なんだ…死んだほうが人の迷惑にならない…よりも
うるせえぶっ殺してやる!!!!!のほうが
メンタル的には 健全
それが親相手であってもね。
思うのは自由、出すのは別。みたいなのはいろんなところでよく言われますんでね、
"思うのは自由"てとこがミソですよ
自分を親不孝者だと責める前にお前が親からやられたことによる傷は無いのか?と問うてみろ とは思うね
結構な確率で「でも育ててもらったから…」とか「良いとこもあったから…」とかで自分の本音を理性で押さえつけてるだけだから。
"本当は嫌なのに"それでも親のことを嫌いになれないとか離れられないとかする人は「(間違った認識の)後ろめたさがある」か「一人でやっていく自信が無いから依存している」かするよ
お前じゃなくて親が悪いのにお前が悪いみたいになってるやつ>間違った認識のうしろめたさ
間違った認識のうしろめたさは親や周りからの丁寧で時間をかけられた手の込んだ"洗脳"によるものだったりするよ
それでダメになってしまってる人は周りの助言を聞かんとかもするねえ…。
でも怖いから、親がどうだから、とかいうて。
ディスりとかではなく「そういう人は周りもどうもできないよ」ということ。
他人に依存してる人は自分の意志で物事を決めて生きていくということを忌避する、そういう基準はあるかも。
なんにせよ洗脳関連は「認知」周り、心理寄りの治療を調べると解決できる鴨
なお犯人は何の責任も取らんもよう 植え付けた自覚もないし逆切れもあるので。
ボロボロになって嫌にもなってるくせにそれでも親を捨てられんやつは周りもなんも言うことなくなるお
「それが嫌なら行動に移せ」と言うとるワケやからね
親の顔色をいつまでもうかがって自分の人生を犠牲にしてる奴はどうもできん… からこそ「本人次第」になるんだよなあ…。
怖いとか自信が無いとかそうしないと身の危険があるとかそういう「心からのアラート」はそら大事なことですよ?そこにウソついてはならんが
「じゃあそのままでいいんだな?」としか。
すごく 土星
本人の選択だ。そいつがどれを選び取ろうが他人からは「ほーん(さよか)」としか返しようが無くなるべよ。
課題とか試練とか言われるやつだ
●ぼくはとある境地に至った、
「本人がそれで後悔しないようならもうなんも言わん」
嫌だとかグジグジ言うようなら教えることや導くこともするし、それでなお聞かないならプンスコにもなるが、
それでいい、って本人が意を決するようであれば「そう…。」にしかならぬ
どうにかしたい治したいっていうから手伝うのにお前は解決する気が無いのか!??!ってなるから言う側も怒るんや
だって
本人が「そこから動くことを諦める」ことを選ぶなら 他人ができることは皆無だよ。
土星は問い、天王星は引っ張り、それでもどうにもならないなら
あとは変えられるはずの運命を変えようとしなかったその人の責任
本当の意味での「自己責任」だ
自分の人生なんだから自分で責任持てよ とは、こういうことなのだと思う。
山羊キロンのこと
それにそのほうが
言う側、周りの人間も 無駄に疲弊せんで済むやろて
お互いのため、というとこ。
宿命は変えられないけど運命は変えられますんでね、
そういう「じゃあどうしろってんだよ!?」というわだかまりをほぐすためのコンテンツを作っていきたいんだよなあ…
根底は人助けだよ。
そんなの誰も教えてくれなかったじゃないか!!という憤りは自分もあったし今も周りでよく聞きますからね
●自分は違うと思い込んで白くありたいだけの人間にぼくがいい顔しないのはこのため
そもそも「自分だけはそういうものと違うから」っていう考えがアレとは思わんのか、みたいな…
人を傷つけてしまう自分がいるからそれを避けるためにていうのとはまたわけが違うんよ。
相手のことを考えてのことか、自分はキレイ他人は汚いとするか
自分の中のケダモノを認めた上で制するか、目を逸らしつつ他責するか
それは保身による卑怯さではないのか。
目を逸らして自分は悪くないと思い込むことでしか自分を守れない弱い生き物なんだなと自覚するかできないか。
(そうであるはずなのにそれを)否認し続けることは汚さではないのか?
人間は皆弱いものだが
なんだろうな、自分にも悪いところあったかも、系のそれじゃなくて
自分はどうしょうもない醜い人間性をしてますがそれが何か?くらいの開き直りから、じゃあどうしていくかってできたほうがいっそ清々しいべよ。潔さ
目の前の弱い生き物を一方的に蹂躙してフルボッキできるだけの変態性や残虐性が自分の中に確かにある、として
それを否定するわけではなく、しかし実際に出力するわけでもなく
そういうものが自分の中にあるんだな、そしてそれが自分の本音なんだな、と
自分の中のそういうものを徹底して排除しようとするのは自縄自縛にしかならんのよ、むしろ悪化するぞと。
抑圧されるほど後から爆発するからね、そういうのって。
そもそも同類にされたくなくてバレないように自分だけは一抜けしようと動くその魂胆がもう汚ねえよ(笑)
たぶんほんとうに清浄な人は産まれて間も無く何らかですぐ死ぬ
利害関係損得勘定、まではいかないが
多かれ少なかれ他人を自分の都合の埋め合わせに使わないと生きていかれぬものな気もしますよ
●「そういうものが欲しかったのにそれが許されなかったがために他人がそれを満たそうとしていると嫌悪が出る」、往々にしてそんなもんなので。
他人に感じる嫌悪感や潔癖は自分の心の汚さですからね。
嫌いなら嫌いでいいけど、一度他責をやめて自分の中を掘ってみたら?とはなるね。
そこに「抑え込まれ続けた欲求」がある気がするのでね。
自分に起こる苦痛を避けたくて他人を下げる、人間心理として当然の動きだよ
だから繊細な作業になるってことでもあるんだけど…。
そして1人でやるには難しくて当たり前の作業だから仲間か医者を頼れってことなんだけどね。
罵るより可哀想なものを見る目をするようになったな、ていう
「蜘蛛の糸」の、自分だけは助かりたいって思うのはよくあることだし何もおかしなことではないよなあ?
誰だってそう
そのくせして自分は違う、と言い張れるその部分だ、って話。
白くないのに白くあろうとしてるのはかえって不自然だよ ということ。
あるものがなくなりはしないのに、潔白であり続けようとするのは、キリスト教みたいだなとも思うんですよ
あれ、決して綺麗な宗教ではないくせに印象操作して生き延びてるでしかないので。
ヒトである以上「無理」だ。
一個黒があったらお前はもう白じゃないんだよ 白っぽい何かだよ。
人を疑う心は自分の心の歪みの表れだ
人を攻撃したくなるのは自分の中の弱い何かを守りたいからだ
人間心理として何もおかしくはないよ、ないけど
だからこそ「潔白」なんて無いんだよ。
自分の中のケダモノを見ようともしないのに、自分をコントロールできるわけもないじゃん(剛毅のカード並
人を憎んではならない、って言い放てるの面白いナ。聖人でも目指すのか?
満たされでもしてなければ心や感情の否定でしかないワード。
みんな弱い。みんな汚い。それがヒト。その中でいかに害を出さないかですよ。
毒親はゴミだがその親が育った背景がその親を歪ませたらせるものだったとかよくある話ですよ。
お前は自分が歪んでないと言えるの?それなのに相手が悪いと言えるの?
自分の中の傷を知りもしてないのに他責できるの?
若い人間ほどこういう問いかけを拒絶するんだよねーという最近の学び付き。
無知の知ってこういうことを言うと思うんだけどね。
「じゃあ何も出さない、何も言わない」って引っ込む諦めるのこそ、逃げるなって言われるやつ。
傷つきたくないだとか、失敗したくないとか、自分の醜さを認めたくないとかなだけだろ、って。
それだって人間的弱さですからね、別にそれでもいいと思うんですけど
●魚座は汚さ弱さもすべておゆるしになられるのでね
人間だから綺麗と汚いとかいう裏表二元論でしか語れない
魚座は地球を出て人外の世界になるからネ。
どうせ俺は異端とされるばかりだから、じゃあお望み通り惨たらしく殺してやると
そう思うだけです
宝石みたいなキラキラしたものばかりに群がって臭いものには蓋をし続ける人間が嫌いなので
汚いものを顔面にぶつけてやる嫌がらせを趣味にしています
結局昔から根っこは変わらんのやなって気持ち
自分だけは狂っていないと、何を根拠にそんなことが言える?
自分だけは正しいと、何を根拠に?
「常識」なんて時代や場所や人によって常に移り変わる不安定なものなのに?
わしはこう言うことをこねくり回すのがライフワークなとこあっけど人間のほとんどがこう言うのをこの世のものではないみたいな捉え方するからなあ
そう言うことなので私は人間が嫌いです
「上」からみたらどいつもこいつも同じように見える、その中でみみっちい争いをしてるでしかないから。
と言うこれらの話を踏まえた上で、
私はこういうものも受け入れて進化していくのでェー!お前らとは違うんでェー!ペッペ!!!!!
我ながら草
●なんか、上の捏ねりは自分的には「処世、必要な思想」実用的なものと思ってるのに、世間の認識だとなんの足しにもならないただの哲学、みたいにされるの
哲学=暇人の趣味
この一点だけでも世界との隔たりを感じるワン
己の理解が及ばないものは、理解する価値がないものだ、なんて"勘違い"をしている人だらけであるとか
「無駄」はむしろ必要だ、と言う人もいるけれども。
魚座の眼は必要なんだよ、と
他人は自分、自分は他人、と言う構造は、それほど「遠く」を知らないと 体験できない。
肉体を超えた先の価値観、12室
見えない世界の情報は、目に見えるものだけが全てと思い込んでる「三次元の人間」には、難しいのかもしれないな、と言う諦め
だからこそそういう頑張りを見せてくれる人には応えたいよなあ。
●自分には「抉剔癖」があるのを思い出した そう言えばそう
人の心の弱点を抉るのが趣味なのはイマサラタウンだったは
言い訳して逃げたがる罪人を追い詰めて首を絞めて更生させようとする
わりとナチュラルにそうなのでコントロール困難はあるネ
逆に自分がやられても乗り越えて見せてやるから自分が他人にやるときはハナホジになりやすいですね。
そう言うとこゴリラだからこれを基準にしてはならない
おれ程度のクソ雑魚個体にそれができるのになんでお前らはできないのか…と言うのが根強い
頭で理解はできても受け入れられる人は少ない、と言うアレには「雑魚か?」と言う感想が手前に来るあたりお察ししてほし
クソゴリラなのはこちらなのでお前が人間側に合わせろ案件ではあるけどよ
そう言う心の弱さというか情緒に理解がないの地と風の悪いところばかり出てるきがすゆ
まあこういう、蛮族クソゴリラの面を全体的に隠して尚且つオブラートして対人するのを強いられるのだからそら心労とか抑圧とか強なるわけで
ポンと殴っただけで泣かれるのすごいイライラするのだけどこの場合私が異常者だからニンゲンに合わせねばならんのよ
と言うのと、ニンゲン大半の奴が「どうせ自分に危害を加えられたくないから他人に親切してるだけ」ての前読んだ
攻撃されたくないから優しくするだけ。相手のためではない
自衛が手前にある。それだって「真っ白ではない」けど「平和」だろ、偽善だよ。
真っ白神話に盲目になってるのあわれだよ
自分が気持ちよくなるために他人に親切に気配りしておくてのが結局世間的最強、らしいですよ
「なぜ人を殺してはならないのか?」と言う疑問への回答を読んだのもあるし
人間たちは金を払うなどそれぞれ「契約(ルール)のもと」日々の安全安心を確約されながら生きてる
危害を加える、害のある存在はその「ルール違反者」として処される、ということ、つまりそこに道徳(心の綺麗さ)なんて存在しないんだよな、利害や損得だよ
でも安全や平和や善性は両立され得る
善性そのものは必ずしも白くはない
「そういう活動をするなら白くあらねばならない」という神話化は現実見てねえなあにしかならんのよな
みんな条件の中で平和を保つ努力をしている、ある種の管理社会のような構造にあるのに、その中でイレギュラーが発生すれば「ゴミ」として排されるのは当たり前なんだよな
「白さ」ばかりを追いかけて暗部から目を逸らし続けるのは根本的解決になってないですよ〜プププってな。