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「三日と経てば元通り」

森山直太朗さん作曲、御徒町凧さん作詞の「生きてることが辛いなら」という作品があり、そのタイトルは冒頭の歌い出しの一節にもなっていて「いっそ小さく死ねばいい」と森山さんは語りかけるように声を出し、歌は続いていく。

耳を傾けてちゃんと聴けば、自分の命を大切にしようという意味が込められた人間賛歌・人生讃歌であることは明白とも思える。

この作品が発表されたのは10年以上前のことになるが、当時のヤフーによるとアンケート調査では3割程の回答者が「問題がある」としていて、言葉は理解できてもメッセージが伝わらない人たちの多さには驚かされるばかりである。

おそらく、歌の中にこんな言葉があっては自殺を誘発、助長することになるので誠にけしからんとか何とか考えているのかもしれない。

こんなに味わい深く、優しさに溢れた素敵な作品の良さを理解できないなんて可哀想だなとわたしは思ってしまうのだが彼らは彼らの良識に従って「問題がある」と回答したのだろう。


ところで、この詩に「三日と経てば元通り」というフレーズがあって、それは人間一人が死んだところで悲しむのは親しくしていた者たちだけで、どうせ世界や世間は小さな死や小さな事件、事故に関心なんかなくて、無慈悲にもそれ以前と全く変わることなくそのままであり続けるんだという風にわたしはこの一節を逆説的ではあるが、無常観を表したものとして理解している。

ハロウィンの夜に京王線の社内で乗客を切り付け、放火をしたとされるジョーカーに扮した男と巻き込まれて被害にあわれた方々や彼をめぐる世論の反応に、わたしは数日間は個人的に興味を持っていたが今ではちょっと関心を失ってしまった。結局わたしも無慈悲な世界の、世間のその他大勢のひとりにしか過ぎない訳だ。

それでも、わたしはジョーカーを擁護したいという考えに変わりはないし、悪いことをした者に誹謗中傷や罵詈雑言を浴びせるのは当然のことだと考える人の意見に賛同するつもりもない。

週末に、2017年に神戸市北区で無差別殺傷事件を起こした被告へ無罪判決が下されたのをYニュースで知ったのだが、コメント欄をうっかり見てしまった。

決して見れたものではないと分かりきっていたが、実際にあまりの酷さに思わず参ってしまった。

賛否両論というよりも否定的な意見が多いであろうことは予想できたが、あのコメント欄はどの程度、世相を反映しているのだろうか。そんな訳ないと思うがこの国の総意として認識してしまう人もいるのだろうか。

あの場に日本語を書き込む人たちはリテラシーとかシチズンシップなんていう言葉を知らないのだろうか。

裁判所はお白洲ではないし、遠山の金さんや大岡越前のような痛快な時代劇みたいな判決が下されると期待していたのだろうか。

幕末のように、悪者とされる人物は「三条河原で晒し首」とか「天誅」と言って惨殺されて当然なのだろうか。悪いと自ら認めた者は腹を切って詫びなければならないのだろうか。

検察は敵討ちの代行業なのだろうか。或いは仕事人の元締めなのだろうか。

単純明快な勧善懲悪のドラマやフィクションを観るのはとても気分のいいものだが、しかし我々の住む現実はとても複雑で一筋縄では行かない。

至る所で縺れた糸のように人間関係が入り組んで絡まっているし、綻びだらけ布のように千切れて裂けて破綻しそうな家族、組織、集団はどこにでもあるだろう。

それを一刀両断にして刹那のうちに解決したような気持ちに浸るのはとても愉快なことだろうが、誠意を持って問題解決にあたるのならば、縺れた糸は指先に注意を払い時間をかけて一本ずつ解きほぐすより他ないし、綻びがあるのなら目を凝らし一つ一つ丁寧に繕っていく他ないように思う。

法曹の世界の倫理観と市井一般の正義感とでは大きな隔たり、寄り添い難い乖離があり、相容れないものがあるのは想像に容易い。

良識と善意でもって正論を声高に叫ぶことは素晴らしいことだと思うが、だからといってそれは意見の違う者や気に入らない者を軽蔑したり侮辱して憂さ晴らしをしてもいいという免罪符には決してならないはずだ。


「人間の尊厳」や「被告の責任能力を問う判決の難しさ」を考えさせる事案は国の内外を問わず数多くあるのだと思う。

わたしは司法関係者でも何でもないし詳しいことは全くわからないが、その事案で導き出された結論は時間を掛け、丁寧に誠意をもって向き合い、真剣に考慮した上でのものだと信じている。

いい加減で適当に殴り書いたようなコメント欄の書き込みよりも、全身全霊で裁判に関わった方々の思いが尊重されて然るべきであるとわたしは考える。


しかしながら、そのいい加減な書き込みによる誹謗中傷が社会的制裁とみなされ、ある暴走事故の求刑内容が軽減されたということをさきほど報道で知った。

なんだか皮肉な出来事のように思うが、正義を振りかざしコメントしてきた人たちの心情を計るようなことはしたくない。

実質的な制裁と認められますます保安官気取りで息巻くようになるのだけは勘弁してほしい。


ただでさえ、ろくでもない奴ばかりの糞みたいな世の中がさらに糞まみれになるのだろうか。とりあえず何か嫌なことがあった時に「クソっ!!」という癖はなおした方がよさそうだ。



辛いことがあっても生きていてください。

生きてることは素晴らしいことです。

「掃き溜めに鶴」とか「泥中にあれば花咲く蓮華かな」なんて言葉もあります。

ロクでもない世の中でどうか翼を広げ、羽ばたいてください。

クソみたいな世の中でどうか綺麗な花を咲かせてください。

そしてご自愛ください。


ダラダラした駄文、乱文でしたが

最後までお読みいただきまして有難うございます。





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