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書評 恐竜大紀行

書斎のポ・ト・フ内・児童文学序説のところで、どんな本が児童文学として良い本かという話で開高健が「家の中で父親と子どもが一冊の本を引っ張り合って読むような、そんな本でないといかんと思う」という所がある。

その後は日本の児童文学(1981年時点)へ、縦横無尽のダメだしが始まるのだが、無論褒めている場合もある。その一つに、「少年倶楽部」型の冒険小説の迫力は、漫画やアニメに引っ越した。古くは『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』。最近ならば『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』と向井敏が述べているところがある。彼らの頭にはアニメもあるのである。

さて、そんな日本の児童文学を

「話題作というのを選んでもらって、お仕着せで読んでいるだけだが、その限りで言うと、貧しい。小粒。手ごたえがない。発見がない」(向井敏)

とコテンパンにのしている向井敏と言えども、この作品はそうは言えないだろうと、自分が確信している作品がある。それは岸大武郎 (著)「恐竜大紀行」

1988年から1989年に掛けて週刊少年ジャンプに連載された作品で、それを全編簡易着彩で再編集したものである。一話ずつばらで買う事もできて、そちらでは番外編もある。番外編は上で紹介している「総集編」には入っていないので、別枠で紹介する。

「命ある限り喰え!」

児童文学にありがちな「みんな幸せになりました」「命を奪うのはいけません」などの「弱者のヒューマニズム」などはここには一切ない。もともと児童文学として岸大武郎はこれを書いていないし、そもそも児童文学とは何ぞやという問題はあるが、そういう事はさておいて、この本こそ開高の言う「大人と子どもが引っ張り合って読む」本である。

第一話の主役は、メスのティラノサウルス。顔に傷があるから、スカーフェイスと名付ける。始まりから狩りをして、草食恐竜を食べる。子供向けに残虐なシーンはカットしようなどという配慮はない。必要以上にグロい描写はせず、それでいて「生きるために命が奪われる一瞬」を書ききる画力は見事である。

自然があらゆる生物に与えた最初にして最大の指令「命ある限り喰え!」

それ以上に大事なのは話である。草食恐竜を襲い、殺し、食ったスカーフェイスに罪悪感などはない。ただの日常の一瞬として描かれる。

それにしてもすじばった奴だったよ。歯にひっかかっちゃってしょうがない

スカーフェイスは肉食恐竜である。腹が減れば襲い、食べる。その結果命が失われようと気にしない。だが、ある時から彼女の様子がおかしくなった。狩りをせず、食べもせず、お気に入りの湿地でじっとしているだけ。何をしているのか。答えは、卵を守っていたのだ。彼女が生んだ卵を。

そんなある日、一匹のトリケラトプスが現れた。トリケラトプスに敵意などは毛頭ない。群れとはぐれジャングルをさまよい、たまたま彼女=スカーフェイスの前に出てしまっただけなのだ。

だが、母親にしてみればそんなことはわからない。卵を狙う敵にしか見えない。卵を狙う敵と思って追い払おうとするが、トリケラトプスの反撃にあう。自分の食事よりも卵を守るのを優先していたため、空腹な彼女では勝ち目はなかった。空腹でなければ勝てたであろうに・・・。

トリケラトプスは突進し、角で彼女の腹部を深々とえぐり、去っていった。薄れゆく意識の中、彼女は我が子の産声を聞いた。息も絶え絶えに巣を掘り返し、最後の力を振り絞り、優しく卵を割り、子供たちを孵らせた。

よしよし間に合ってよかったよ。お前たち、元気で生きるんだよ。それが母さんのたったひとつのおねが・・・い・・・

全ての卵を割ってやり、スカーフェイスはこと切れた。

さて―――生まれた8匹のティラノサウルス。彼らは誕生した時から肉食恐竜である。今―――目の前には、巨大な肉塊が横たわっている!―――「命ある限り喰え!」

執筆されたのは1988年から1989年だから、恐竜の学説・造形はそれから多く変化している。ティラノサウルスには羽毛があったとされているし、アパトサウルスとブロントサウルスは別種だとかあるが、それらは細部である。岸大武郎が伝えたいことには、何の影響もない。

甘やかさず、それでいて厳しすぎず、奪い奪われる事に善悪はなく、生も死も愛情も、自然の一部として書ききって、それでいて押しつけがましくない。このクオリティが全部で12話ある。番外編も入れれば13話である。これぞ至高の児童文学と言ってよいのではないだろうか。

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