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よい子の願い(Chritmas Time Is Here)

よい子がプレゼントを望んだとき、望み通りのものを届けるのが私の役目だ。よい子の望みは、他の数多いる凡庸な子たちに比べて強いエネルギーを持つため、遠く離れた私の元にもテレパシーのように伝わる。12月20日がその声が聞こえてくる日で、なにかほしいものがあればよい子はこの日に願いを念じなければならない。地球には時差というものがあるので、その日、私は1日中起きている。老体には簡単なことではない。それでもがんばっているのは、私もかつてよい子で、先代から望みを叶えてもらったためである。よい子が報われる世界であってほしい、そういう世界のためにできることがあるなら貢献したい、というのがその願いだった。あの日、未来ある子どもの身体は突如老体に変わった。私は今年も、かつての自分と同じ願いをうっかり願う子が現れることを祈りながら耳を澄ます。

あの日、私が老人になるのと同時に光の粒になって霧散していった老人の笑顔が頭から離れない。あれは間違いなく安堵の表情だっだ。と思う。

今年はよい子がひとりいた。1年間よい子でいるというのは誰にとっても簡単ではなく、ひとりいるということはかなり大きな事件である。私はこの身体になってから500年、いまだひとつの声も聞けずにいたものだから、跳び上がるほどに驚いてしまった。ついに私も永遠の奉仕者から解放される時が来たか、と淡い期待が立ちこめるのを理性で抑える。たとえ自分が救われずとも、よい子がこの世に現れたことはなんと喜ばしいことではないか。

この世界には時々よい子が生まれ、その誕生がなければ世界はどうやっても悪い方へ転がり続けてしまう。この500年、思い返せばひどいことばかりであった。取り返しのつかない過ちが取り替えされる時が、ようやく来たのだ。人の営みなどもはや私にとっては他人事ではあったが、そうはいっても懐かしき故郷でもある。故郷が幸福なのを眺めていられるならば、もう500年くらい待てないこともない。私だってかつてはよい子だったのだ、懐はどんな穴より深い。さて、最初はうっすらしか聞こえなかった声がだんだん強くなってくる。声の強さは、よい子のよさに比例するという。さあ、願いはなんだ! 私の耳には、今まで聞いたどんな音よりもはっきり響いた。

「サンタさんスプラトゥーンください」

ん? なんて?

「サンタさんスプラトゥーンください」

んんんん? いや、は? これはなにかの間違いだ。よい子が、そんな俗物的な願いを発するものか。そんな俗物的な願いを発する者がよい子であるものか。認めぬ、認めぬぞ、スプラトゥーンなんかやるものか。せめて不幸な子どもにスプラトゥーンをあげてくださいくらい言ったらどうなんだ、それだって俗物的な願いではあるが。物を欲するにしても、よりによって一企業の開発した商品とは。私の懐には真っ赤な怒りが満ちてきたが、それを上回る勢いでよい子の声はさらにはっきり聞こえてきた。

「サンタさんスプラトゥーンください。Switchもください」

Switch持ってないのか? それで先にスプラトゥーンを願ってついでにSwitchもよこせだと? 近頃のよい子は、近頃のよい子は……よい子ではない! 私の怒りの増加はさらに加速したが、負けぬ勢いで子どもの願いははっきり、そして大きくなっていく。耳や頭がおかしくなってしまいそうな爆音。

声はある時からもはや意味をもった声とは感じられない、ただとてつもない爆音のノイズになった。うるさいはずなのに、どこか澄んだ水の静けさを想起させる、不思議な音。この段まで来ると、なるほどこれはただの声ではなく、よい子の発する不思議なエネルギーを備えた声だと認めざるを得ない。声は私の心の赤い怒りを、青く清らかな魂で塗り替えはじめた。

魂はどんどん膨らみ、私の内も外もなにもかもを青く染めていき、最後には大爆発を起こす。一体なにが起こったのか、私は爆発と共に私の心から弾き出され、気がつくと宇宙に浮かぶ青い自分の心を、どこだか定まらない遠くから眺めていた。それは美しい、青い球体だった。子どもの頃、図鑑で見た惑星の姿にそっくりな球体。

そこに私の汚い赤いシミは一滴もなく、100%よい子の色に染まっていた。

私の身体はもうどこにもなかった。これが解放なのか? もしも身体があったなら、あの時の老人のような表情を私は浮かべているだろうか? わからない。宇宙の闇に浮かんだ青い球体以外、私に感じられるものはもうなにもない。

地球は青くなった。

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