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小説で人を殴った

 小説で人を殴った。小説の中でってことじゃなくて、とっさに手が出たときにちょうど本を持っていたのだ。薄いけどハードカバーの本だった、ハリー・ポッターの3分の1くらいかな。拳で殴るのと、本で殴るのと、どっちがダメージが大きかったかはわからないし、ダメージが大きかった方がよかったのか、小さかった方がよかったのかもわからない。でも、手が出るくらいムカつくことを言われたのは、確かだ。だって、実際に手は出たのだから。
 クラスの世論は「ひどいこと言われて気持ちはわかるけど殴っちゃダメだよ」という方に大きく傾いていた。仲のいい子が何人か、100パーセント私の肩を持ってくれたけれど、これは殴ったのが仲のいい子だからそうしてくれているだけで、冷静に考えたら殴っちゃダメだと思っていたに違いない。殴ったけど、私だってそう思った。殴ったんだけど。
 私たちのクラスには毎日たくさんのケンカと暴力がはびこり、毎日、いや毎分それらが忘れ去られていく。この1件にしても、将来振り返ってみたら日常の些細な1ページ、にもならないと思っていた。
 後で見てみたら、背表紙の下の方が数センチ破れていた。
 外国の大家族の女の子が親友とふたりだけで、元は魔法使いの住んでいた家で暮らすのどかなおはなし。それで人を殴ったからといって中身に変化はなく、相変わらずあたたかいおはなしがいつでもそこにあるんだけど、本を見るたびに「あ、私は人を殴ったんだ」ということを思い出す。破れたのは背表紙だから、手に取らなくても棚に収まっているだけでたまに目に入る。
 大人になって読むことはなくなったけれど、その本は棚の目立つところにある。理由は、その本が好きだから。もうひとつは、また人を殴らないようにという自戒のため。
 あるいは、この本は、私は人を殴れるんだという証? 殴っちゃだめとは思うけど、私に拳があることを、忘れたくない。


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