羽根の記憶
カタンッ……
親友からもらったお気に入りのボールペンを机の上に置いた。
『10年後』
そう書かれた封筒を3年間使ってきた学生カバンに入れて肩にかけた。
「お母さん!行ってくるね!」
キッチンで片付けをしているお母さんに玄関から声をかけた。お母さんはエプロンの裾で手を拭きながら顔をのぞかせた。
「はーい。ハンカチとティッシュ持った?」
「持った、持った。今日の夜はクラスのみんなとご飯だからね」
「はいはい。楽しんでくるのよ。気を付けていってらっしゃい」
「うん、いってきます!」
私は勢いよく扉を開けて外に飛び出した。
3年通った通学路。川沿いにずーっと続く桜の木は枝の先を少し膨らませている。
風が吹く度にきらきらと揺れる木漏れ日の暖かさは楽しい時も辛い時もいつも変わらずにきれいだった。
枝の向こう。青い空を鳥たちが軽やかに飛んでいく。どこまでも続く青空。鳥たちはどこへ向かうのだろうか。
足を止めて空を見上げる15の春。今日、私は中学生を卒業する。
辛いことも楽しいこともあった。それでも生まれてたかが15年。中学生はたったの3年。この先の人生の方がもっと長い。
でもこの3年間は私にとってかけがえないもので忘れられないものになった。
それは大切な親友のおかげだった。
いつもこのお地蔵さんの前で待ち合わせしていろんな話をしながら学校へ向かう。今日はそんな登校の最後の日だ。
「おはよっ!」
後ろから声をかけられた。
「?おはよう」
彼女との初めての出会いはこんな感じで唐突だった。
初対面だと思っている自分が間違ってるんじゃないかと勘違いするくらい馴れ馴れしく話しかけてきた。
「君、同じ中学でしょ」
そう言われて彼女が同じ硬い制服を着て新品のピカピカの学生カバンを肩から提げていることに気づいた。
「う、うん」
「やっぱり!3年間よろしくね」
「よ、よろしく」
こんな出会いから始まった私たちの関係はクラスメイトになり、友達になり、部活の仲間になり、やがて親友になった。
甘いものは好きなのにアイスは嫌いなところ。口では「男は性格だ」って言うのに面食いなところ。小説より漫画派なのにポエマーなところ。10代のくせにカラオケの十八番は「ラヴ・イズ・オーヴァー」なところ。誰とでもフレンドリーに接するのに化学のイケメンの先生には弱いところ。
いろんなことを知って、いろんなことを話して、いろんな時間を過ごして親友になった。
そして昨夜。そんな彼女と過ごした3年間を振り返りながら10年後を想像してみた。
どこにいるのだろう。何しているのだろう。幸せにしているかな。夢は叶っているだろうか。それともまだ道の途中かな。また君と冗談言いながら笑っていられたらいいな。
やってみたいこと、会ってみたい人、見てみたい景色、行ってみたい場所……次々に、思いつくままに書き出してみた。出来るかどうか分からない。でもやる前から諦めたくはなかった。
思っていたよりも長くなってしまった。少し厚みを持った便箋を半分に折って、ふと思う。
10年後。これを見るまでにたくさんのことを経験するだろう。挫折もする。遠回りもする。大切なものを失って心が折れることもあると思う。
その時にまた、この手紙を見て本当に大切なものを思い出そうと思う。
「え、なに。顔に何か付いてる?」
「え、あぁ、ううん。何も付いてない」
後ろから声をかけてきた彼女は3年前と何も変わらなかった。
「行こ?もうみんな来てるよ」
「そうだね」
彼女の隣に並んで桜並木の下を歩いた。
「……私たちさ。これから大人の仲間入りでしょ?」
「もう高校生だもんね」
「私、最近思うんだ」
「何を?」
「空って広いなぁ、って」
「なに?急に」
彼女はいつも唐突だった。
「どこまでもずーっと果てしなく広いじゃん?それってこれからの私たちみたいじゃない?」
「そう?」
「だって私たちの将来って無限大でしょ。何者にでもなれる。自由に、どこまでも羽ばたいていける」
彼女は空を指さして笑った。
「私はね、いつか空を飛べると思うんだ。鳥たちだって飛んでるんだもん。私は信じるよ、未来という名の青空を思いっきり自由に羽ばたける羽根が私にはあることを」
「羽根、ねぇ……」
「そうだよ。鳥は飛び方なんか教わらない。風が吹けば身体に眠る羽根の記憶で空を飛び始めるんだ!」
「そうだね」
手を広げ、楽しそうに笑う彼女を見つめた。彼女は本当に今にも飛び出しそうに駆け出した。
その後ろ姿を見て思った。私もいつか空を飛べるかな。大人になったらあの空に手が届くかな。
今はただ無限に続くこの空を見て信じてみようと思う。君の言う
羽根の記憶を。
〈完〉
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