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「センスの磨き方」と「メタ認知の習得」が同時に学べる至極の一冊

【超訳】センスとはヘタウマである。完璧な再現をあきらめ、否が応でも浮かび上がってくる無自覚な身体性こそが個性であり、センスの目覚めである

「センスの哲学」千葉雅也
自作まとめシート

センスという言葉はどこか「地頭」を彷彿させる言葉である。「努力による変化を認めず、多様性を尊重せず、人を振り分けようとする発想」しかし、著者は明確にこれを否定する。自由にしてくれるようなセンス、楽しみながら育てることが可能であるというスタンスをとっている。しかし、そのセンスは、決してキラキラしたものではなく、どちらかというと陰りのあるもので人間のどうしようもなさから垣間見れるものである。よくセンスは知識である、才能である、と言われるが、もっと手触り感のある生っぽいものであること、人間の生き方そのものであるということに気付かされた一冊である。

センスとは何か

センスの定式化が興味深い。
センス=不十分な再現性+無自覚に出てしまう身体性
そして、この状態に感じられるものがいわゆる「生活感」である。モデルの再現性から降りて子供のような自由さ、物事が記化する以前の自由さを持っち、自分基準にシフトすることがセンスの目覚めである。物事を上手い、下手ではなく、反復と差異というリズムで捉えることが最小限のセンスの良さである。リズムというのは複層的である。抽象画も「それ自体」を感じることだけで十分な鑑賞であり、理屈の次元を離れてエモさを体感することである。そのリズムにはハラハラドキドキ(ビート:はっきりした対立関係)と微妙な面白さ(うねり:生成変化の多様性)が含まれており、全芸術、あらゆる物事をリズムとして捉えることができるのだ。「いないいないばあ」という遊びにおいて0→1のリズムの中にもサスペンスの展開が含まれていたり、「丁寧な生活」だったり目的達成を遅延し余分な生活を楽しむことなどもリズムを楽しんでいるのだ。

著者の前半のまとめとしては、以下になる。
・センスとは、物事を意味や目的でまとめようとせず、ただそれをいろんな要素の凸凹=リズムとして楽しむことである。
・そしてセンスとは、リズムをとらえるときに(1)欠如を埋めては、また欠如しと言うビート、(2)、もっと複雑に、いろんな側面が絡み合ったうねりという両面に乗ることである。
・さらにセンスとは意味を捉えるときに、それを「距離の凸凹=リズム」として捉え、そこにやはり捻りとビートを感じ取ることである

リズムの面白さは予測誤差にある

人間は予測ができないことに対して不安感と嫌悪感を覚える。しかし、予測を裏切られることに対する耐性がある、直接的に振り回されないという楽観性があるときに人は面白さを感じることができる。それが「いないいないあばあ」であり、予測誤差をいわば視野に収めようとする意識でこれを「メタ認知」と呼んだりする。以前、メタ認知思考の書籍についてレビューをした。メタ認知がこれからの時代において有益かは記載したが、このメタ認知思考を養うには、「センスを学ぶべき」であるということに改めて気づいた。

参照:自分の得意なことで組織と社会に貢献していく時代。それこそがメタ思考

そして何をどう並べたとしても作品は成立する。なぜなら人間はそこにリズムを回収しようとする。極論、オーロラの後に炊飯器が出てきても納得する力を持っている。その上でどのように並べてもいいという最大限の広さから面白い並びにするために「制約をかけていく」ことを追求すれば十分である。

センスとは偶然性

ただの偶然を置いたうえで、いくらかの反復と差異を作っていくことがもはや作品になりうる。 アメリカの作曲家であるジョン・ケージが作曲した「4分33秒」が非常に興味深い。1952年に初演された「3楽章」から成る楽曲で3楽章から成る「4分33秒」の全楽章は全て「休み」。しかし、聴衆を前にして、指揮者は指揮台へと登り、演奏者はしっかりとステージに出て演奏姿勢へと移る。結局、「4分33秒」の間、全く演奏する事無く曲は終了し、指揮者と演奏者は聴衆に対して一礼し、聴衆は「4分33秒」の無音の音楽に対して拍手を送る。足りないものを埋めるのではなく、自分に固有の偶然性の余らせ方を肯定することこそがセンスであると定義づけているのだ。

芸術とはあえて時間をとること

芸術に関わるとは、そもそも無駄な時間を味わうことだ。答えに辿り着くよりも余裕の時間こそが芸術鑑賞の本質である。途中であれこれ考える、迷う、意外なものを発見する、全ては偶然性の積み重なりである。一瞬で終わることではなく、いろいろなリズミカルな状況に向き合うことが楽しむということだ。そして脱目的化した不安な状態こそが芸術であり、意味がわかるという納得は決して必要ではない。そこには人間の多様性が広がっており、どんな悪人でもひとつの芸術的作品であるという見方ができる。そして芸術とはその人のどうしようもなさから生まれるものである。個性とは、いわゆるテンプレと呼ばれるものからどのような距離をとってきたかということであり、ある種のテンプレのその人なりの表現であるのだ。

【付録】芸術と生活をつなぐワーク

●ワーク1
①自分にとって大事な作品から始める(本、絵画、映画なんでもOK)
②思いつくことを箇条書きにする(無意識な感覚を大事にする)
③リズムに注目してサ再度鑑賞する(構造、要素のつながりでみる)
④他の作品に広げる

●ワーク2
一般教養(自分に興味がある分野の美術史・音楽史の入門書を読む)

●ワーク3
生活をリズム的にとらえる(作れるものを作ればいい)

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